2011年8月5日金曜日

ゆとり社会?

かつて、某進学塾のキャッチコピーに、次のようなものがあった。
「ゆとり教育はある。ゆとり受験はない。」
まさしくその通りである。
受験は勉強量の多いものが勝つ。
そこにゆとりはない。
最低限でいい、という訳にはいかない。

偏差値重視の傾向も、大して変わる様子はない。
考える力がどうだとか言っても、結局テストの点の話である。
PISA型なんちゃらの話も、テストの話である。

受験戦争をくぐり抜け、社会に出ても、ゆとりはない。
たらたら仕事をしていても、個別指導として誰かが助けに来てくれることはない。
仕事が遅いと怒られるか、無視されるかのどちらかである。
自分の力で切り拓く必要がある。

結局、きめ細やかな指導も、個に応じた指導も、最終的には個人の生きる力を鍛えることが目的である。
先回りして優しくわかりやすく教えて身につけさせても、結局その先にある社会は厳しい。
最終的に自立を目指した教育でなければ無意味である。

「わかる授業」や「個に応じた指導」を考える上で、ここを外してはならないと考える。

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