2014年6月30日月曜日

自分自身の健康マネジメント

一日の気温差がすごい。
さすが梅雨時。
何だか、一日中じめっとしている。

こういう時は、いらいらしやすい。
湿度が高いのは肌にはいいが、体と心によろしくない。

環境を整えることである。
それも、自分自身の環境である。

具体的には、こまめな水分補給、適度な運動、汗の始末、トイレに行くこと等々。
扇風機やクーラーなどを利用して、教室環境の気温調節も大切である。
こういうことを無視して、精神論で何とかしようとしてはいけない。

「心頭滅却すれば火もまた涼しい」とは言うが、火のそばは熱いに決まっている。
一部の特殊な修行僧ならまだしも、こちらは普通の人間である。
火が涼しいはずはない。
この諺はあくまで心の在り方を説いているだけで、実際火は熱い。
梅雨時は暑い。
だから、対策をきちんと取る。

こういうことを怠っては、子どもの前に立てない。
自分自身の健康管理も仕事の内である。
まして、教室の環境を整えるのは、教室の責任者である担任の責務である。
可能な限り、自分も含めた全員にとっての快適環境を作るべきである。

何が言いたいかというと、体と心もリンクしているということ。
身体的に負の状態に持っていかない。
身体的に負の状態のままがんばらない。
体のケアは心のケアであり、ひいては子どものためのケアである。

お疲れモードの時は、無理をしないこと。
自分のマネージャーは自分。
自分のコーチは自分。
自分自身の健康状態を把握し、そこへの声かけも大切である。

2014年6月27日金曜日

多数に流されない

先日、総選挙があったらしい。
「え!?」と思って焦ったが、どうやら、政治の話ではないとのことだった。
流行についていけていないのは、テレビを観ないことの弊害である。
(本当に、そう思う。何でもほどほどが大切である。)

投票で決まる。
多数決で、いかにも民主的である。
一方で、この多数決という方法は、気を付けないと誤った判断になりやすい。

社会心理学で、「集団心理」というものがある。
集団心理を支配するものは「空気」であり、正しさではない。
「みんなと同じが正しい」となり、これに支配されると善悪は度外視される。
負の方向だと、集団いじめにもつながる心理である。

周知の通り、某総選挙などは、メディア上で「人気がある」と報道されているものが圧倒的有利である。
「単純接触効果」という心理学用語もあり、要はたくさん接すると好意を持ちやすい。
CMで何度も見れば、なんだか良いものに見えてくる心理である。

私のように疎い人間には、「人気がある」と言われる人物以外、目にすることすらない。
(しかし、無関心のこの層は、投票もしないので票への影響は出ない。)
そんなにコアでもない中間層ファン(最も厚い層)はここに流れる。
「人気がある」と言われると、良いものに見える。
ブランドものや流行に振り回されるのも、この心理の一種である。

判断力の低い子ども時期であるほど、集団心理にはまりやすい。
「自分が確定していない」=「判断力がない」ということにつながる。
だから、本来その子どもの性格からなら有り得ないような、陰湿かつ悪質な集団いじめに荷担してしまう。
ニュースで報道している恐ろしいいじめも、「普通の子」によるものである。
集団心理の負の力の大きさを感じさせられる。

教室では、「自分の判断」を大切にさせる。
例えば朝読書の時間、教室の中が話し声でザワザワしているとする。
「朝読書は静かに行う」ということは、全員知っている。
しかし、「周りがやっているから大丈夫」なのである。
先に述べたように、集団心理の正しさに善悪はない。
ここを流していれば、そういう集団に育っていく。
10回や20回言っても直らない。
1年間通して、「気付かせて」いく。
要は「気付かない」だけである。
指摘して「気」をそこに「付ける」ようにする。
やがて、指摘されない姿を目指す。

学級の合い言葉に「良いことは良い、悪いことは悪い」がある。
周りがどうこうではない。
自分で判断せよということを繰り返し繰り返ししつこくしつこく指導していく。
授業では学問を教えるため、正解は多数決で決まらない。
たった一人でも、正しい方が正しい。
そういう意味でも、どんな授業をするかは大切である。

いつでも正しい判断ができる人間の集まりなら、学校に来る必要はない。
大人にだって難しい。
そうでないから、これは学校で指導をする。
アイドルの総選挙なら多数派でもOKだが、教室での多数派には、要注意である。

2014年6月25日水曜日

やる気スイッチは誰が押す

子どもを「やる気スイッチオン!」に持っていきたい。

教師自身のやる気スイッチオンにすることはできる。
極論、そうしようと思えばこれはできる。

しかし、子どものやる気スイッチオンにするというのは難しい。
やる気スイッチをオンにしようと思うようになるための手助けはできる。
しかし、実際にやる気を出すかどうかは、結局本人次第である。

やる気スイッチは自分が持っていて、自分にしか押せない。
そこに気付かせる指導が時に必要である。

子どもは(大人も?)勘違いしていることがある。
どこかに自分のやる気スイッチをオンにして、すごい力をつけてくれる人が現れると思っていることがある。
努力して勉強しなくても、いつか上手に教えてわからせてくれる人が現れると思っていることがある。

自分の頭の中身は、他人がいじることはできない。
手足を周りの人が一生懸命動かしてくれても、自分の筋力はつかない。
自分の足で立って、歩き出すしかない。
自分のやる気は、自分で出す。

そういう当たり前のことが、結構おざなりになっていないか注意する。
何でもやってもらおうという癖がついている子ども。
結果が悪いとすぐに周りに原因を求める子ども。
忘れ物の理由を聞いた時に「お母さんが準備し忘れた」など、言語道断。
全部自分の責任である。親や周りの大人に責任転嫁させない。

やる気を引き出す方法は色々あるが、やはり基本は目標をきちんと持たせることである。
やる気を引き出せないのは、教師として謙虚に受け止める。
しかしそこから先は、結局自分次第。
自分に起きることには自分で責任を持つ、という基本は、小さい内からでも教えておきたい。

2014年6月23日月曜日

「やらない」のか「やれない」のか

子ども、特に小さい子どもを相手にしていると、感じることがある。

それは、
「やらない」のか「やれない」のか。
言い換えると、
「単に甘えている」のか「本当に困っている」のか。
この見極めが大切だと思っている。

何年前だかに、遠足での記事を書いた。
1年生と6年生のペア遠足。
遠足の復路で疲れた1年生が「おんぶして」と6年生のペアに頼む。
おんぶしてあげるべきか、という記事である。
遠足のねらいからすれば、特別な事情がない限り歩かせるべきである。
「ペアの仲を深める」ためにおんぶするという人もいるかもしれない。
しかし、状況にもよるが、その多くは「信頼」というより「依存」であるように感じる。
「信頼」と「依存」は紙一重である。

教師は、子どもに「信頼」されるのはいいが「依存」されてはならない。
「子どもを育てる」=「人格の完成を目指す」のが教師の仕事である。
やれることをやらせないで余計な手を出せば、子どもの成長の機会を逃す。

子どもは、大人のようにうまくやれないかもしれない。
しかし、うまくやれないから、危ないからという理由でやらせなければ、いつまでたっても成長しない。
口を開けて餌を待つ雛鳥のまま大きくなられては、社会の役に立つ人間を育てたことにはならない。

応援指導然り。
学習指導然り。
給食指導然り。
掃除指導然り。

それは、やらないのかやれないのか。
教師の仕事は、その判断の連続である。

これは、自分の哲学に関わる部分だと思う。
相手のことを思うからこそ、相手の成長を願い、できることへの甘えは許さない。
優しさの中に厳しさを、厳しさの中に優しさを常に意識したい。

2014年6月21日土曜日

負けるが勝ち、勝ったが負け

陸上記録会、運動会という運動系の大きな行事が終わった。
運動系の行事は、勝負事がついて回る。
結果の分析と取り扱いが大切である。

まず表面的な結果として、勝ったか負けたか。
賞をとったとか優勝したとか、そういうことである。
この段階をクリアすることが「目標」である。
しかしこういった賞などは、あくまで目標(道しるべ)であり目的(まと、ねらい)ではない。

より大切なのは、実質的な結果として、勝ったか負けたか。
行事を通して、どんな成長や変化があったかということである。
ここが目的である。

目標の方で思う結果が得られなかった時は、反省しやすい。
悔しさや反省が次へのバネになり、実質的な結果として「勝ち」になりやすい。
目標も、依然として目標として存在し続けてくれる。
どちらかというと、目標の結果が得られた時の扱いの方が難しい。
実質的に「負け」にならないよう、事後指導が大切である。

勝ったのに残念なパターンを考える。

A 勝ったが周りに文句を言われる
勝ち方に問題があった場合。
何か不正と思われてしまう行為があった時にクレームとして起こる。
本人達としては一生懸命やったのに、そうとられることもある。
友達同士のトラブルなどに発展する。
モラル面の指導や、やり方に原因があることが多い。

B 勝って傲慢になる
勝利至上主義でいくと陥りやすい。
負けた相手を馬鹿にしたり、勝ったことを自慢したりする。
日常指導の負の遺産。
自分勝手な問題行動に発展する。

C 勝ったが燃え尽き症候群
それ一本に絞ってやらせすぎた場合に起こる。
目標を急に見失い、他のことまでやる気を喪失する。

D 勝ったのにもうやりたくないと言い出す
駅伝やマラソン指導、水泳など、苦しさに耐える競技で起きやすい。
びっちりやらせすぎて、中学に上がったら全くやらなくなるというパターン。
親や指導者の期待に応えようと無理をし続けた後に起きる。

まだまだあると思うが、経験上多いのが上記4パターンの「勝ったが負け」パターンである。
ひっくり返せば、「勝って勝ち」パターンも見える。
A「勝って周りからも称賛」
B「勝って感謝し、謙虚になる」
C「勝って他のことにもやる気アップ」
D「勝ってもまだ続ける」

その先が見えていれば、指導の仕方も自ずから変わる。
経験から見えることも多いので、なかなか難しい面もある。
「勝たせる」ための技術的な指導と同時に「心づくり」の指導も日常的に心がけたい。

2014年6月19日木曜日

5月病対策「溺れている時はもがかない」


もう6月だが、引きずっている人もいる「五月病」について。

5月から6月は、子どもも大人も疲れている人が多い。
この時期に「私は元気いっぱいです!」という人は、変な人だと思ってよい。
(そういう人は、あなたは変だと言われても大丈夫な人だと思うので、あえて言う。)

事実、厚生労働省の出す自殺統計を見ても、過去何十年から現在まで、どの年度も大体4月から6月がピークである。
日本では学校や職場などの環境の変化に加え、季節の変わり目ということもある。
むし暑くなると、どうしても疲れやすくなったりイライラする。
教師の仕事は、学級開きから授業参観に家庭訪問、陸上に運動会やらで、朝から晩まで働きづめである。
大体、そういう最高に忙しい時に限って、生徒指導の問題が出るのも全国共通である。
なぜなら、子どもたちだって疲れているからである。

諸事情重なって、ぐったりしている人が多い。
ぐったりしている感が出せる人はまだいいが、元気に振る舞って実はぐったりしている人が一番危ない。
無理に無理を重ねている証拠である。
特に4月に新しい職場に異動した人は、愚痴一つこぼす相手もいなかったりする。
そうなると、もう心も体もくたくたである。

心理系の本が好きなので、そういうストレスマネジメントみたいなものもよく読む。
色々書いてあるが、一番自分に効果があったのは
「溺れている時は、もがかない」というアドバイスである。
サーフィンで波にのまれた時の対策と同じで、丸まって浮かぶのを待つ。
(下手に出ようとすると、海の底の方に泳いでいることがある。)
潮の満ち引きと同じで、一生懸命押し返しても引き潮の時に上げ潮にすることはできない。

「現状から脱出するためにやれることをやれ」というのは、それができないから困っているので、あまり役立たないことがある。
ただ「トラブルは育つ」という言葉もあるので、何もしないより動いた方が後でダメージは少ない。
そういう時はいい策が思いつかないので、やはり人に相談するのが一番である。
同僚や信頼できる上司や管理職がいたら一番いいが、いなければ誰でもいい。
電話相談やメール相談でもいい。
家族でも誰でもいいので、相談が絶対条件であるように思う。
別に解決策が出なくても、愚痴るだけでかなり救われると思う。

最近自分を含め、周りに疲れている人が多いような感じなので、書いてみた。

2014年6月17日火曜日

体を止めて聞く

以前紹介した次の本からの学び。

3ステップ「聞く」トレーニング
上嶋 惠著 さくら社

体を止めて話を聞く。
これができない子どもは結構いる。
注意をするが、なかなか直らない。

これはつい「やる気がない」「態度が悪い」だけと思ってしまう。
実は一部の子どもにとって、「トレーニングによる改善以外は不可能」とのこと。
著者の上嶋氏は最初の「床に寝る」からのステップを踏んだトレーニング方法を提唱している。
「体を動かす」=「聞いていない」の状態のため、当然色々なことができない。
「聞く」は学力形成の中心になる部分だからである。
体のコントロールの仕方がわからないだけで、トレーニングで改善可能だという。
つまり、その指導技術を持っていれば、聞けるようにできるということらしい。

自分のやり方が間違っていないか。
悔しいが、できないのは、結局教える側の責任である。
「その道のプロ」が教えたら、改善してしまう。

「同じことを何度も何度も繰り返し、異なる結果を期待すること。これを狂気という。」
とは、アインシュタインの言葉である。
謙虚に受け止め、自分自身をまず改善していきたい。

2014年6月15日日曜日

第121回 授業道場野口塾IN木更津

今回は宣伝なので敬体で書きます。

昨年度、大雪のため中止となった「授業道場野口塾IN木更津」が今週開催されます。
せかっくの企画でしたのでほぼ同じ内容で、再チャレンジすることといたしました。
スタッフ一同今度こそはという気持ちですので、ぜひご参加ください。
告知ページ→ http://ryomoedu.exblog.jp/22352563/

1.期 日   2014年6月22日(日)

2.会 場   木更津市民会館 小ホール
         〒292-0833 千葉県木更津市貝渕2丁目13番40号
         TEL:0438-22-4184   FAX:0438-22-4186
         http://www.kisarazu-shimin.jp
         ●JR内房線木更津駅西口より徒歩約20分

3.日 程
  9:10~ 9:30  受付
  9:30~10:30  【第一講座】 素材研究・教材研究の方法/木更津技法研
               「わすれられないおくりもの」(教育出版 3年下)
 10:30~10:40  野口先生による講評
 10:40~10:50  休憩
 10:50~12:10  【第二講座】 野口流詩の授業(模擬授業)/野口芳宏先生
              ~あの伝説の授業を再現!
 12:10~13:00  昼食 (お弁当)
 13:00~13:30  【第三講座】 教養講座~「私の教育観」(仮題)/地元小学校校長

 13:35~14:30  【第四講座】 思考力を鍛える説明文指導の方法/木更津技法研
 14:30~14:40  野口先生による講評
 14:40~14:50  休憩
 14:50~15:50  【第五講座】 野口流道徳の授業(模擬授業)/野口芳宏先生

4.参加費  4000円(昼食・飲み物付き 昨年参加された方は3000円)
        *当日受付でお支払いください。なお当日キャンセルの場合は、
         昼食代として、1000円をお支払いいただきます。
        *懇親会あり(16時半頃より2時間程度 駅周辺にて
         野口流宴会術が学べます!
         初参加の方大歓迎です。会費4000円程度の予定)

5.その他
  *お申し込み希望の方は、上記リンクにアクセスして直接事務局へメールしていただくか、メルマガ登録した後、メルマガに記載されているメールアドレス宛に以下の項目を記述をして送信してください。
メルマガ登録→ http://www.mag2.com/m/0001211150.html
   (連絡事項) 1)氏名 2)学校名 3)連絡先 4)懇親会の出欠
  
たくさんの方のご参加をお待ちしております。      

2014年6月13日金曜日

声出しも主体変容、率先垂範

運動会といえば、応援。
応援といえば、声。
声は大切である。
言葉の内容以上に、声の持つ雰囲気が大切である。
声の雰囲気でほぼ何が伝わるか決まる。

運動会で教師が失敗しがちなのが、声の出し過ぎ。
聞かせたくて、ついつい大きく高い声になってしまう。
大きな高い声が聞こえると、それに呼応するように更に騒ぎ声が大きくなる。
正しい方法は真逆で、聞かせたい時には、少し声を抑えて低い声を出す。
そうすると、「おや?」と耳をそばだてるようになる。

逆に、応援係は、テンションの低い声は禁物。
低く抑えた声は、気分を落ち着かせたり緊張させたりする効果がある。
応援のように、元気な声を出して欲しい時には逆効果である。
だから、説明させる時にも、それを意識させる。
「応援係はみんなの鏡」を合い言葉に、なりたい姿に先に自分がなるようにする。
応援係の「もっと声を出してください」は、応援係である自分自身への注意である。

試しに、全校での応援練習が終わったら、応援係だけを集めて次のように尋ねてみる。
「今日のみんな(応援係以外)の問題点とか気に入らない点ある?」
すると、応援係の子どもから色々と不満が出る。
やる気が感じられない、声が小さいなど。
全て出させ切ったら、最後は「それが、応援係自身の課題だよ」と伝える。
何をすべきかはっきりする。

声を出させたかったら、まず応援係から。
そして、応援係を指導するのは教師である。
主体変容、率先垂範を心がけたい。

2014年6月11日水曜日

呼称を考える

私の参加しているML上で、呼称が話題になった。
「さん」「君」づけか呼びすてやあだ名か、姓で呼ぶか名で呼ぶか。
意外とばらつきがある。

次に紹介するのは、野口芳宏先生の言葉。
「公的話法」
相手本位のしゃべり方をせよというもの。
思いやりにつながる考え方である。

野口先生は男女で「君」と「さん」を使い分けることも話されている。
男言葉と女言葉があるのは、国の文化であり、使い分けがなされるものという考え方。
(ちなみに「君」は元々尊敬すべき目上の人につける呼称が、同輩以下に使われるように転じた。
一方の「さん」は「様」の転じた形の敬称である。)

結論、子どもとの距離感がポイントなのかと思う。
呼び捨てやあだ名は距離感を最短(自分と同格)まで縮める。
だから、私は基本的に子どもの名前には呼称付きである。
そういう学級経営方針だからである。
一方、あだ名で呼び合って、素晴らしい学級を作っている先生もたくさんいる。
だから、必ずしもどっちがいいとは言えないような気もする。
学級経営の在り方にも関わる部分である。

2014年6月8日日曜日

低学年への応援練習は率先垂範

応援指導シリーズ。
今回は低学年への応援練習における「率先垂範」について。

応援係の子どもが、一生懸命低学年の子どもに説明する。
「手をこうして、こうやって・・・」と実に丁寧にがんばって説明する。
しかし、全く伝わらない。
なぜか。
低学年は、かなりを「イメージ」でとらえる。
細かな動きや言葉は、言われてもよくわからない。

「言ってきかせ、やって見せ、やらせてみせて、誉めてやらねば人は動かず」
とは山本五十六が用いたという有名な言葉だが、低学年にはこの「やって見せる・・・」以降の部分が重要である。
とにかく、やって見せて、やらせる。
この繰り返し。
コツは3つ。

1 手本がばっちり見せられること
2 たくさん何度もやらせること
3 誉めまくること

修正をかけたい点は、誉めた上で一言付け加えればOK。
それでまたやって見せれば「なるほど」となる。
「かなりできてるかも!?」と勘違いさせてのせることが大切である。
応援は音楽と同じで、説教をせずに「アゲアゲ」の雰囲気でやるのが原則である。

楽しくやるためにも、まずは応援係自身ができるようになって、自信を持って前に立たせたい。
それには「プライドを根付かせる」ことも必要である。

2014年6月6日金曜日

応援の声は「不自然」で

応援指導シリーズとして、昨年度の記事を修正再録。

「指導とは、ちょっとの無理をさせ続けること。」
例の如く、野口芳宏先生の言葉である。
指導とは、まさにここにあると思う。
現状維持は楽。
負荷をかけ続けて少し無理させるから伸びる。

極端なことを言うと、普通にできることは指導する意味がない。
わざわざ導かなくてもできる。
下のレベルだけに合わせると、ほとんどの子どもにとって意味のない指導になる。
「底上げ」というのなら、底の上にある全部を上げないといけない。
上のレベルを基本にして、下まで含めて全体を引っ張り上げるのが指導である。

例えば、日直のスピーチ。
自分の普段通りのしゃべり方で話していては、よく聞こえない。
教室で全体に向かって話すのだから、無理が必要である。
(野口氏はこれを「公的話法」という言葉で教えている。)
「不自然でよい」のである。
自然ではいけない。
無理をするから、伸びるのである。

応援での声がよく出ない子どもは、無理できてないのである。
普通に出そうとしている。
応援などは「パフォーマンス」なのだから、演技が必要だ。
これは意外と難しい。
教師が前に立ってオーバーに演技することで、殻が破れることもある。
相手に少し無理を強いるのだから、教師はその倍は無理をする。

応援係はここが最重要になる。
全校の前で手本として立つのだから、恥ずかしがったりしていてはアウト。
応援団長が自ら「バカ」になって大げさにパフォーマンスをする必要がある。
山口の福山憲市先生の言葉だが「バカ」が大切である。
「バカ」の読み方は「馬力(ばりき)」であり、「心力」である。(「バ」の字を崩して「心」に変化させる。)
エネルギーと心がないとできない。
これを、団長ができるようになるために、先に教師が応援係への指導でやる。
教師が「バカ」になって、まず応援係にエネルギーを入れる。
応援係全員がこの「バカ」になれれば、ものすごい力を発揮する。

自分のキャラとかはあるが、そこは置いておく。
それは「自然」であるが、殻を破れない。
まずは、教師が無理をしてでもバカになる。
自分が無理をしてから、初めて子どもにも無理を求めることができる。
指導全般の鉄則である。

2014年6月4日水曜日

応援係の自主性の尊重と指導すべき事

運動会シーズンとうことで、再録記事。
応援係への指導について。

応援係は、応援を自分達で考える。
応援歌を作ったりもする。
振り付けを考えたりもする。

ここで考えるべきなのは、どこまで任せてどこまで指導するかである。
応援係だけの動きや声だしであれば、本人達のやりたいようにやらせればよい。
本人達が考え、そうしようと決めたのだから、複雑だろうが、歌いにくい歌詞だろうが、放っておいてもよい。

しかしながら、応援係は、全校児童に応援を教える係である。
そこが、係の仕事としての重要なポイントである。
その場合、複雑だったり歌いにくかったりするのは、よくない。
ここは、指導を入れるべきである。
応援練習は短い時間で仕上げる必要がある。
応援係の児童の自主性も大切だが、この場合、圧倒的多数である全校児童の方を優先する。

こういう失敗をしない為には、予めポイントだけを指導しておく。
たとえば応援歌であれば、高学年だと人気アイドルの歌や流行の歌に走りがちである。
しかし、低学年の児童は、そういうものに興味ないことが多く、知らない児童が多数である。
だから、応援歌などは、低学年の児童でも知っているような歌を選ぶとやりやすい。
ロングヒットのアニメの主題歌などであれば、確実である。
大きな声を出しやすいものを選ぶのもポイントである。
低音のものや、やたらな高音部のあるものは歌いにくい。

応援係が「自分達で作った」ことを自覚しつつ、きちんと全校児童に伝わるもの。
そういう方向で指導していきたい。

2014年6月2日月曜日

応援係はみんなの鏡

この時期に役立ちそうなので、昨年の記事の再録。

応援係の仕事は、ずばり全校児童に応援を教えること。
応援係の児童の声が小さければ、当然教えられる側も声が出ない。
無表情にやっていれば、教えられる側も無表情である。

「応援係はみんなの鏡」と教える。
つまり、自分達の姿勢がそのまま投影されるということ。
そして、教える側以上のレベルになることはないということ。
だから、自分を高めることがみんなの応援のレベルを高めることになる。
そういうことをちょくちょく伝える。
基本的に精神論を指導して、どんな応援をするかという方法論は、団長はじめ応援係に任せる。

ちなみに、日直の児童にも同じようなことをよく言う。
朝、みんなの前に立つその日のリーダーが暗い顔と声では、他の人が可哀想だと。
だから、努めてなるべく元気な声を出しなさいと。
日直という「務め」の、がんばりどころである。

これは、そのまま教師にも当てはまる。
基本的に、全体のレベルは指導者のレベル以上にはならない。
一部の天才的な子どもを除き、普通は指導者側のレベルに収まる。
そう考えれば、自分を高める必要性が出てくる。
個人的にテンションが上がらない朝であっても、「務め」としてがんばりどころである。

応援指導にも率先垂範、主体変容が常である。

スペースを埋めない

7月29日、高校サッカーインターハイが開催される。 私も高校時代、燃えていたので、どこか出るのかとかは気になる。 さて、サッカーでは、ポジショニングが大切である。 それぞれの選手がその瞬間にどこにいるか、ということが次のプレーを左右する。 ポジショニングの上で大切なこ...

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