2013年8月28日水曜日

学習課題か学習問題か その2

前号の続き。
教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。
(そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。)

例の如く野口芳宏先生よりずばり。
「課題」は出されたもの。
「問題」は感じたもの。
つまり、教師から与えたものが「学習課題」。
子どもから出てきたものが「学習問題」。
こう考えるとすっきりする。

算数などは「学習問題」を作るようにするが、実情は「学習課題」である。
いや、ほとんどの教科が、内実は「学習課題」である。
総合的な学習の時間などは、本来「学習問題」でいくべきところである。
どちらにせよ、教師がそれを捌く必要があることには変わりない。

僅かな言葉の違いだが、中身は本来大きく違う。
自分が黒板に書いたものは「学習課題」か「学習問題」か、意識してみると面白い。

2013年8月27日火曜日

学習課題か学習問題か

国語で類義語について教える。
例えば「大切」に似た言葉(類義語)を挙げる。
小学館の「類語例解辞典」によると、
「重要」「大事」「肝要」「肝心」とある。

どう違うのか。
どれがより「重要度」が高いのか。
調べてみると結構面白いことがわかる。

「大切」「大事」はほぼ並列である。
「重要」はそこに役割のようなものがつく。
「大切な人」と「重要な人」では、前者はより感情的な面が、後者は役割の面が強い。
プライベートかビジネスか、という感じである。
「肝要」は先の三つよりもさらに重要度が高い。
最も高いのは「肝心」(または「肝腎」)。
「肝臓」+「心臓」(または「腎臓」)から成っている。

ところで、サークルで「学習課題か学習問題か」ということが話題に上がった。
この二つには「重要な」違いがある。
(長くなったので次号に続く。)

2013年8月25日日曜日

2割期待の8割諦め

一生懸命やっても、期待する結果が得られないことは多い。
宿題一つとっても、
「明日は必ずやってきます!」
と誠実、真剣な目で言ってきたのに、やってこないなんてザラである。
(すごい先生は、ここできちんとやらせるのだが、私は力量及ばず。)

「ピグマリオン効果」によると、期待するからそうなるという面がある。
しかし、過度な期待は「無理」を生ずる。
期待しつつも、「まあそう甘くないかもね」という「前向きな諦め」も必要になる。
以前書いた「期待値の設定」の話である。

8割期待してて2割諦めだと、うまくいって当然、ダメだった時に腹が立つ。
5割期待してて5割諦めだと、うまくいってもダメだった時にも納得。
2割期待してて8割諦めだと、うまくいったら感動、ダメだった時に当然。

「期待する像」はでっかくもっておいて、実現確率は低めに設定。
それでいて、できる努力は最大限にする。
特に生徒指導において大切な考え方になると思う。

2013年8月24日土曜日

誕生日は何をする日

どうでもいいと思うが、今日、自分の誕生日である。

誕生日は何をする日か。
これについて、教えていただいたことがある。
(どなたの教えか忘れてしまったのが申し訳ない。)

誕生日は、両親に感謝をする日。
加えて私は、祖父母を含む、命をつないでくれた全ての祖先に感謝する日だと考えている。
ここがなければ、存在そのものがない。

もっというと、ここまで支えてくれた全ての人に感謝する日でもある。
一人だったら、きっと生きていけてない。

地球に、日本に、ここに生きていることに感謝する日でもある。

生きてるだけで丸もうけ。
誕生日は、全てに感謝する一日にしたい。

2013年8月23日金曜日

成長は自覚させる

学期末に必ず「成長・変化したこと」について書かせる。
4月の自分を思い起こさせて、今の自分はどう変わったか。

「あれども見えず」に気付かせるのが発問である。
「成長・変化したことは何か」という発問といえる。
習慣化したことは特に気付きにくいので、問われて初めて気付く。
成長の自覚が必要である。

書かせたことから、自分の指導を振り返ることができる。
力を入れて指導したことは、多くの子どもに書かれているはずである。

例えば
「勉強が楽しくなった・がんばるようになった」
「掃除が楽しくなった・がんばるようになった」が多い場合。
授業改善と清掃指導に力を入れた結果である。
教師との信頼関係・縦の関係が強まったとも見られる。

「人に優しくなれた」
「友達が増えた」が多い場合。
心の面の指導や人間関係作りに力を入れた結果である。
友達同士の信頼関係・横の関係が強まったとも見られる。

何と書いて欲しいだろうか。
それを考えてから書かせたものを見てみるのも面白い。
指導の具体的な反省点は、子どもが教えてくれる。
子どもに教わるつもりで、読ませてもらう。
「先生の通知票」が直接教師を対象にするのに対し、これは子ども自身の成長の反省である。
使い分けて考え、二学期からの指導の指針にしたい。

2013年8月21日水曜日

子どもの頭に乗り移る

担任していると、子どもは自分に似てくる。
ものの考え方からしゃべり方まで似てくる。
全てそうではないが、究極、子どもの頭の中身(思考法)が同じになる。

歌が好きな担任の先生の子どもは歌好きになる。
国語、算数、体育、図工など諸々の教科も同様。
掃除やあいさつなども、全てそうである。
そして、価値観や考え方、行動まで似てくることがある。

例えば、今年度は子どもに「返事は0.2秒」を教えた。
「素直さ」の大切さとリンクする教えである。
何度も言っているので、「返事は?」の問いに「0.2秒!」と即答する。

しかし、わかっていることとできることの隔たりは大きい。
教えを実践できるようなら、本物である。
教室で「頼みたいことがあるんだけど・・・」と言った瞬間、
「ハイ!やっておきます!」と即答し、
続けて「で、何ですか?」

つまり、「返事(了解)」→「用件をきく」の順できたとする。
先生や師匠の言うことに「YES」から入る。
こうなると、ものすごい勢いで成長する。

私自身、「頼みたいことがあるんだけど・・・」と言われたら、
「ハイ、やります!で、何ですか?」と答えるよう意識している。
損得を考えると、逆にいいことがない気がしているからである。
「頼まれたら断らない」とは、尊敬する野口芳宏先生の言でもある。

つまり、子どもが素直でないなら考えられることは2パターン。
1 子どもの頭に乗り移れてない(感化・影響できていない)
2 自分自身が素直でない

良い行動を率先垂範し、子どもの頭に乗り移ること。
そうすれば、互いにとって最も良い結果が得られるように思う。

2013年8月20日火曜日

人気の投稿の傾向

夏休みなので、ここまでの投稿について読み返している。
読者の方々のページビューが記録に残っているので、人気の投稿がどれかわかる。

ちょっと分析してみたので紹介する。

8の字跳びと大縄の記事がぶっちぎりの人気である。
時期は偏るようだが、圧倒的に多い。
(記事数自体も多い。事実、力を入れた実践記録である。)
加えて、陸上指導に関する記事も需要が多い。
「大会」ということで「勝負」があり、真剣さが伺える。

単発で際立って多いのが、言語性IQと動作性IQの記事。
これは他の先生からの学び紹介であり、残念ながら私自身の実践ではない。
すごく関心が高いようである。

総合的に多いのが、学級経営に関する記事。
紹介しきれないが、かなりある。
何百個もあるので、自分で見るのも大変である。

単発で笑えたのが、校外学習でのあいさつ指導の記事。
「公害学習」とはなかなか言い得て妙だと思う。
過去の自分とは思えず、まるで他人が書いた記事のようである。

期間でいうと、意外にも夏休み中は一番少ない。
みんな、バカンス中である。
学級開き前の3月、4月や、夏休み、冬休みに入った7月と12月が多い。
需要の多い時期がわかる。

一度もまともにしたことがないので、分析してみた。
読み返してみると、手前味噌ながら、結構面白い記事もある。
人気の記事は、それなりに面白い傾向がある。
やはり、読者の方々の評価は公正であるとよくわかった。

2013年8月19日月曜日

やる気のない相手への禁じ手

こっちが一生懸命だと相手も一生懸命。
そうあって欲しいが、そう甘くはない。
最近読んだ本に、なるほどど気付かされることがあったので紹介する。

「やる気と情熱がある相手には、いくら厳しいことを言ってもいい。
どんなにきつい注意でも、素直に伸びようとしている人間にとっては、肥やしになる。
だけど、やる気がない相手へ説教をすることだけはいかん。
その時点で、相手はお前から背を向けて、どんな話もきかなくなってしまうぞ」
(人生の「師匠」をつくれ! 中村文昭著 サンマーク出版より引用)

最近「やる気スイッチ」をテーマに日々実践をしている。
しかしながら、なかなかスイッチが見つからないことも多い。
そういう時、つい説教をしてしまうが、大いに逆効果である。
相手は、凹むか反発するかのどちらかになる。

これは、相手が大人でも子どもでも同様の鉄板ルールである。
うまい人は、例えやる気がない人でも、あの手この手で乗せる。

先日、下関の福山憲市先生という素晴らしい方の講座を受けた。
全く注意も説教もせずに、全員を乗せての楽しい模擬授業が進んだ。
(この先生の話を目当てに集まっているので、元々やる気の高い集団ではあるが。)
福山先生によれば、教室でも「95%誉めて叱るのは5%」だそうである。
叱るのも、人を傷付けるようなことに限定する。

ついやってしまいがちな説教だが、する相手を間違えないように注意したい。

2013年8月17日土曜日

手間をかける

仕事には能率の良さを求めたくなる。
どうでもいいことにだらだら時間をかけるのは避けたい。
しかし、教育は基本的に非能率である。
特に子どもに対しては、そうならざるを得ない。
「手をかけても多分変わらない」ということも多い。

先日紹介した「掃除道」(鍵山秀三郎著 PHP研究所)に、次のくだりがある。
「つまり、そうなることはわかっていてもやる。
いや、やらずにはおれない。」

手間ひまをかけること。
料理と同じで、一手間かけるから、美味しくなる。
お手軽なものには、きちんんとお手軽な結果がついてくる。
「悪銭身につかず」「easy come easy go」である。

すぐには変わらないことも多い。
しかし、「今できることを全力でやる」以外にない。
時に虚しい気分になることも多いが、せめて子どもに対しては手間をかけることを厭わずにしたい。

2013年8月15日木曜日

おしゃれにいかない、泥臭くいけ

私は、原田隆史先生が教師塾でさらっと言った
「おしゃれにいこうとすんな」
という言葉が強く心に残っている。
続けて「泥臭くいけ」ともおっしゃったように記憶している。
(私個人向けの言葉ではなく、塾生全体に向けての言葉である。)

本当に、そうだと思う。
何か、いつも「上手くやろう」として、かっこつけていることが多い。
(大抵、そういう場合は、かっこ悪い。)
「教師面」して、結構偉そうなことも言う。
しかし、かなり無理をしている自分にふと気付くことがある。

かっこつけてる自分に気付いた時に有効なのが、掃除である。
たとえばトイレ掃除は、かっこつけようがない。
便器と向き合ってひたすら一生懸命磨く。

トイレ掃除に抵抗のある人は、階段の床磨きとかもいいと思う。
汚れてもいい服を着て、膝をついて、ひたすら磨く。
(ほうきは、子どもにやらせる。床に這いつくばることに意義がある。)

何がいいかというと、これが他に転化していく。
他のことでも、とにかくやれることをやろうという気が湧いてくる。
理由は説明できないが、本当である。
家でやっても同様の効果があるので、夏休みは家の中をやるといいと思う。
(家事をやってくれている家族と住んでいる人は、一声かけてからやる方が良い。
突然やりだすと、ありがた迷惑になることもある。)

掃除が日本の教育の一環として位置付けられていることに、心から納得である。

2013年8月13日火曜日

声をかけましょう

研修で学んだ内容に深く頷いたのでシェア。

精神疾患につながる教員のストレス要因として、次の3点が挙げられる。
1異動 2生徒指導 3特定の保護者 
自分の経験からいっても、異動1年目は精神的に厳しい状況に追い込まれることが多く、危険な時期であるといえる。
ここに加えて異動1年目の教員には指導が困難な子どもがいるクラス(荒れたクラス)を任されることが多い。
2や3の要素も同時に抱え込むことになる。

一方、ストレス軽減に重要な要因として、「同僚性」「管理職の対応」という2点が挙げられる。
自分自身もそういった状況を切り抜けることができたのは、同僚の温かい励ましや、管理職の支えなどが大きい。
しかし、必ずしもそういう恵まれた職場ばかりではないというのが現実だと思う。

要するにどうすればいいのか。
「声をかけてください」ということだった。
特に初任者や異動1年目、講師の人達である。
人間は存在を無視されている、というのが一番辛い。
声をかけるだけで、相手にされている実感が湧く。
自分の異動一年目を思い浮かべると、合点がいく。

声かけぐらい、と思うが、意識しないとこれがなかなか難しい。
自分が異動2年目以降なら、特に注意してみたい。

2013年8月11日日曜日

失敗も素直さがベース

失敗には大きく二種類ある。
二種類とは、前向きと後ろ向きである。

前向きな失敗は、チャレンジによる失敗。
底には「良い」「正しい」という思いがある。
結果的に失敗になったので、学習して「選択」を変えるだけで改善される。
素直な人なら、自分の選択の間違いに気付き、すぐ直せる。

後ろ向きな失敗は、妥協による失敗。
「これダメだよね」とわかってて起こす失敗。
底には「悪い」「正しくない」という思いがある。
この場合、心そのものを正さねばならない。
容易ではない。
だから、なかなか直せず、繰り返す。

漢字練習で例を挙げる。

前者は、家で一生懸命やってきたけど、半分の50点でしたという場合。
確かにやったが、練習量が足りない。あるいはやり方が悪い。
ここに気付けば、次はうまくいく。
誉めて励ませばよい。

後者は、やらなきゃいけないと分かっているのに、ついダラダラ過ごした場合。
または、練習が足りないと分かっているのに、何とかなるかもと自分に甘くした場合。
自分を厳しく律していく必要があり、すぐには改善しない。
繰り返す。(すぐに改善できるようなら、とっくの昔に改善しているはずである。)
心変わりするような、何かしらのきっかけが必要である。
誉めないのは勿論だが、叱って効果があるかというと、相手の性質による。

「すぐ」は漢字だと「直ぐ」であり、「直す」「真っ直ぐ」「素直」という性質である。
曲がっているものを「直ぐ」に「真っ直ぐ」「直す」のは容易ではない。
鉄のような「物」なら叩き直すことも可能だが、人間は生き物である。
真っ直ぐ伸びるように、手を加えて「自ら育つ」のを「待つ」しかない。

そう考えると、やはり全てのベースは「素直さ」である。
失敗をチャンスにつなげられるようになるにも、ここの性質を「育てる」他ない。
「でも」「だって」の言い訳をしている間は到底無理である。

指導者側も、言い訳をして失敗を繰り返していないか、時に振り返りたい。

2013年8月9日金曜日

「上げ言葉」と「下がり言葉」

国語で、敬語についての授業をしている。
毎年のことだが、「尊敬語」と「謙譲語」の区別が子どもには難しい。
「謙譲語」は、意味もさることながら、字面からして、しかめっ面である。
見た目が怖くて難しそうというのは、やはり親しくなりにくい。

なので、ちょっと呼び方を変えてみた。
本名も教えるが、ニックネームみたいなものである。

尊敬語は「上げ言葉」。
相手を持ち上げる言葉である。
御輿のようにヨイショっと担ぎ上げるイメージである。

謙譲語は「下がり言葉」。
自分がひざまずき、自ら立場を下げる言葉である。
戦国武将の前で「申し上げます」と言ってる時のイメージである。
(このイメージで「申す」=謙譲語、も頭に入る。)

丁寧語は、文字通り丁寧な言葉である。
タラちゃんが使う言葉である。
(幼児なのに、使用言語が完全に丁寧語である。
時々「やったーですー」のように誤用もあるので要注意ではある。)
「タラちゃん言葉」とは著作権がありそうなので教えないが、そんな感じである。

厳格なる敬語をそのように教えるのもどうかとは思うが、わかりやすくはあると思う。
そもそも、大人でも間違えるのだから、難しくて当然である。
意味としてはその程度で教えるが、日常で使うよう指導を心がけたい。

2013年8月7日水曜日

点検の必要性

定期の委員会訪問がある。
学校を見てもらうということで、安全点検をしたり掃除をしたり、色々準備する。
見栄をはる場ではなく、点検、見直しのチャンスである。

自分では結構ちゃんとやったつもりでも、意外と見落としている。
そこを指摘される。
痛いが、必要である。

点検するという行為自体は、やる側も楽しいものではない。
しかし、点検してもらわないとやる気がしない、というのも事実である。
それそのものが楽しい、というようなものには、点検はいらない。
それなら勝手にきちんとやる。
しかし、現実として、「必要だからやっている」ということは多い。

テストがあるから、勉強ががんばれる面がある。
試合があるから、練習をがんばれる面がある。
日記だって、先生が見てくれるから、書く。
連絡帳も同様。
宿題も、そういう面があるかもしれない。
(点検行為ではないが、「家庭訪問があるから掃除をする」という機会にもなるそうである。)

指導者の点検はなるべく少ない方が良いが、必要とあらば面倒でもやるようにしたい。

2013年8月6日火曜日

失敗のゴールデンパターン

成功にはパターンがある。
これをやるとうまくいくという方法。
うまくいっている時は、気にならないので、流してしまうことが多い。
だから、なぜうまくいったのか気付きにくい。
しかも、パターン化可能なのだが、万能の効果が出ないのも成功パターンの特徴である。
誰かがやってうまくいったのに、自分がやるとうまくいかない。
前にやってうまくいったのに、今回はうまくいかない。
そういうことがあり得る。

うまくいかない時、失敗にもパターンがある。
これをやると必ず失敗するという方法。
こちらは、問題として改善したいので、気付きやすい。
しかし、改善するとすっかり忘れてしまうので、また繰り返すのも世の常である。
そして、こちらは成功と違い、割とどんな場合にも万能に効果があり、必ず失敗する。

「ゴールデン失敗パターン」を一つ。
それは「誰かの問題点を指摘して直そうとする」という行為。
誰かの問題点に焦点を当て、そこの改善に力を注ぐ、という方法である。

教室で例を挙げると、
1宿題をやってこない子どもへの説教
2掃除をさぼる子どもへの説教
3態度が悪い子どもへの説教
・・・・

大人の職場で例を挙げると
1仕事のミスが多い(気がする)同僚への批判
2仕事がいい加減な(気がする)同僚への批判
3態度が悪い(気がする)後輩への説教
4上司の悪口
・・・・

なぜこれをすると必ず失敗するのか。
これら全て「他人」と「問題」に焦点を合てているからである。
「説教」が効果を発するのは、相手が自分に対して素直な人の時だけのようである。
「批判」が効果を発するのは、前向きな研究会等の時だけのようである。

逆に、「自分」と「うまくいっている点」に焦点を当てると、成功するように思う。
結局「主体変容」「良い所を見る」のが、数少ない万能の成功ゴールデンパターンだと思う。

2013年8月4日日曜日

トラブルは評価

前回の続き。
物隠し等があった際、学級全体にどのように指導するか。

次のポイントだけ押さえる。
1 やられた人は本当に哀しい思いをしている。自分ならどうか。(共感性を持たせる)
2 やった人も心が荒れて哀しい人である。放っておきたくない。(担任としての心配を伝える)
3 知っていることがある人は、どこかで教えて欲しい(再発防止の為の情報収集を求める)
この辺りを、具体的に感情を込めて語る。
「困る人」=「困っている人」という原則も教えられる。
目新しいことはないが、解決の必殺技みたいなものはない。

これで、やった子どもが判明するかどうか。
そこは「どちらでもよい」と考える。
教育的にプラスの効果を出すことが目的である。
やられた子どもに二度と哀しい思いをさせないことが何より大切である。
やった子どもが判明することより、再発しない方が大切である。
(誰だかわかったのに、再発する方が問題だろう。)
再発しない=やった子どもは何かしらの反省ができた、と捉える。

再発する場合は、問題の根本が解決していない。
やった子どもをどうこうより、根本的な原因を探れというサインである。
学級経営そのもののどこかを見直す必要がある。

トラブルは、学級全体への指導チャンスである。
トラブルは、学級経営に対する「評価」ととらえる。
常に謙虚に、自身を見直すチャンスととらえる。

トラブルには、毅然とした中にも、温かみのある指導を心がけたい。

2013年8月1日木曜日

トラブルはチャンスの「虎ちゃん」

学級経営にトラブルはつきもの。
ささいなトラブルも何もないという状態は、逆に怪しい。
(もしそうなら、水面下で何か起きていることを疑うべし。)

トラブルは、チャンス。
略して「トラチャン」=「虎ちゃん」。
虎の児のことである(強引)。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」である(更に強引)。
トラブルは歓迎すべきものと捉える。
(実際にその瞬間はなかなかそうは思えないのも承知である。)

例えば、「物隠し」が起きたとする。
隠された子どもはその場において「被害者」であり、教師は当然守ろうとする。
しかし、この場合同じく配慮すべきは、物を隠した側である。

学校は警察とは違う。
警察ならば、犯人捜しは徹底して行う。
警察行政機関である以上、治安維持がその使命である。
しかし、学校は教育機関であり、心身共に健全な国民の育成がその使命である。
「犯人」を捜すのではなく、双方の教育に最も相応しい手段を選ぶ。

この場合、物を隠した側の発するメッセージは何か。
「相手が憎らしい(羨ましい)」
「意地悪をしてやりたい」
「何か悪さをして気晴らししたい」
「担任の先生を困らせたい」
・・・
いずれにせよ、共通しているのは「苦しんでいる」ということ。
少なくとも「ハッピー」な状態ではない。
この手のトラブルは、無意識下では確実に「SOS」である。
つまり、問題が表出したことで、解決のチャンスでもある。

皆さんは、どのように指導されるだろうか。
(次号に続く)
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