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2020年9月4日金曜日

オープンな職場を目指して

実際に、校内研修に際して、校内に私が流したメール(校内SNS)の文章を、人名や文末等を一部改変してシェアする。

今日的な問題への提起となると考えたためである。


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1.「見取る」はわからない

授業研で「見取る」という用語がよく使われる。

広辞苑だと「見て知る」「みとめる」、明鏡だと「見てはっきりと知る」とある。


授業中、見ることはしている。

見て瞬時に判断している。

しかしそれが「見取る」なのかというと、「見てはっきりと知る」まではとてもいかない。

よって通常、授業中に「子どもを見取る」ができているということはありえない。


しかし学校で使われる「見取る」は、教育業界の造語、新語である。

教育で使われるときは、本来の意味とは違うようである。


こういう定義が曖昧な言葉は、注意して使わないと危険である。

よくわからないまま、学識の高いと思われる人や権力の強い人の意見に従って妄信してしまうからである。


よって「わからない」「できていない」と堂々と発言していた人の意見が、誠実で正しいのだといえる。

そうなると、定義しようという取り組みになるのだろうが、それが研修目的になっては目的と手段の主客転倒である。


授業で何を「見る」べきかなら、議論できる。

しかし「みとる」という未定義の新しい造語を用いた上に「何を」が入ると、混乱する。

授業研の際には、その辺りを意識しないと、授業後の議論が噛み合わないのである。



2.主体的・対話的で深いまなびは難しい

研修に参加している我々が主体的・対話的で深い学びができない以上、子どもに求めることは不可能である。


例えば夏の校内研修でも、研究主任にぶら下がって「何をやるのか」というような姿勢では、到底実現できない。

研修が「面白い」「つまらない」と評価するような受動的な態度ではなく、主体的に参加できる職員集団であるべき。


子どもへは「つまらないなら、もっと詰めて」と伝えている。

せっかくの貴重な時間を費やすのであれば、全員で中身を充実させていきたい。



3.自分を表現できる空間へ

少人数での話合いは、自分の思いを堂々とさらけ出し、白熱できる。


一方で、全体で行う話合いの場の空気はかたくなりがちである。(職員会議も同様。)

「答え合わせ」をしていて、間違えてはいけない、下手に手を挙げられないという空気。

あまりうまくいっていない教室でよくある雰囲気である。

指された人が「うわー」となり、周りの人がほっとするようであれば、うまくいってないと考えて間違いない。


差は何なのか。


安心感につきる。


何を言っても安全・安心。

人格を否定されたりしないし、意見の違いを面白がれる。


殺伐と「斬り合う」のではなく、建設的に意見の違いを伝え合い、面白がれる集団。

目指す子ども集団と同じである。



研修も、回数を重ねるごとに良いものになっていく。

クラス会議での話合いと同じである。


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以上である。

オンラインでチームズを使うようになってから、こういうことを校内でシェアし合う文化ができてきている。

新しいものも、チームづくりに有効に活用していきたい。

2020年8月23日日曜日

学校教育は失敗を経験する場

 今回のCOVID-19対策として、学校で「オンライン学習」という形をとってきた。

教師対子ども、あるいは子ども同士のコミュニケーション手段は、チームズというクローズドの中ではあるが、SNSである。


そうすると、SNS特有の様々なトラブルというのが、当然起きる。

肖像権や著作権等のルール違反も、当然起きる。


ここが大切なのである。

こちらからもある程度見えるクローズドの世界で起きるので、対応できる、指導ができる。

いきなりオープンなネットの世界で大失敗をしてしまうと、助けようもないし、取返しがつかない。


つまりは、学校が、ICTの活用やネットの世界に関連する様々なことの、練習になるのである。

いきなり本番よりも安心である。


データを見ると、小学校ではスマホ所持率は3割程度である。

しかし中学以降で子どもにスマホをもたせる家庭が7割を超える。

そこで持たせることに不安な保護者は多い。

当然である。


いきなりネットやSNSの世界に出ることになるので、危険なのである。

きちんとそこへの教育を受けた人間が出たのであれば、多少なりとも安心感が出る。

つまり今の時代、先に学校がICTやSNSに関する教育をする必要がある。


最初は、ある程度自由にさせてみる。

すると、問題が起きるので、制限をかけていく。

その制限がかかっている場でしばらく様子を見る。

上手くなってくるので、それらの規制を、段々と緩めていく。

通常の学級指導と同じである。


学校で、来たるべき危険への対処練習をしておくことが大切なのである。


これに関連して、長年問題となっているのが、日本の性教育である。

海外に比べて、学校教育で扱う範囲が大変小さい。

また、家庭教育でも「タブー」のようになっていて、更に範囲が小さい。

結局先延ばしして、見ないふりで終わり、という方向性である。


では子どもたちは実際それをどこで学び覚えるのかというと、インターネット上などの歪んだ性の世界である。

もちろんきちんと子どもの性の悩みに正対した心理カウンセリングなどのページも多くある。

しかし、そういったものとは違ったところから、誤った知識を先行して得てしまうというのが現状である。


これらは、学校におけるケガの大切さと根本は同じである。

学校で、仮に全くケガをしないように完璧な環境整備とルールの徹底をしたとする。

子どもは木や高いところから落ちることはないし、転ぶこともない。

小さなケガを全くしないのである。

こうした子どもたちが学校を卒業した後に直面する世界は、危険だらけである。


実際は、学校ではたくさん転ぶし、危険な目にもあう。

大怪我だけはないように細心の注意を払うが、小さなケガまでしないように全て制限してしまっては、体育などできようもない。

転ぶから、手をつけるようになるのである。

柔道でも、最初に学ぶのは受け身だし、自転車でもスノーボードでも、転び方からスタートである。


正しい知識を得て、正しい失敗への対処の仕方を学ぶ。

それがあって、初めて危険も多い外の世界に安心して踏み出せる。


失敗も含めて、学校でICTを活用し、疑似でもSNSを体験しておくべきである。

そのためには、環境整備。

今後は、GIGAスクール構想も本腰を入れていくようなので、期待していきたい。


学校は、社会に出る前の失敗を経験する場。

成功ばかりが注目されがちだが、失敗にこそ学校教育の本質があると考える次第である。

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