2014年12月30日火曜日

御礼 「まぐまぐ大賞」受賞

今回は御礼なので敬体で書きます。

このブログの元になっているメルマガですが、
「2014まぐまぐ大賞」の「教育・研究」部門の「大賞」受賞となりました。
http://www.mag2.com/events/mag2year/2014/free/sch.html
本当に有難いことです。
支えてくださった皆様のお陰です。
感謝しております。
選んでくださったまぐまぐの担当の皆様にも感謝です。

今回の受賞をバネに、今後ともより一層皆様のお役に立つ情報を提供していきます。
今年もたくさんの方にお読みいただき、有り難く思っております。
2015年も、がんばっていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

2014年12月28日日曜日

「これだけで必ずやせる!」の真実

真面目な話が続いているので、今回は雑感。

先月から今月にかけて、とにかく勉強会尽くしだった。
お世話になっている色々な人との関係で、どれもどうしても外せなかった。
(それでも、かぶってしまって参加できない会がいくつもあった。)
こんなに毎週のように方々に出かけたのは、初めてだったと思う。

結論から言うと、素晴らしい御馳走のフルコースで、やや消化不良である。
どれも必ずやれば「確実に効果あり」という感じがした。
ただ、自分の中でまとまっておらず、少しずつの実践になっている。
拙著の「やる気スイッチ」でも、「感動は生もの」「今すぐ」「少し」やることを推奨している。
そういう意味では、書いた通りに実践しているとは思う。

話は飛ぶが、実家に帰る度に、増えているものがある。
母の「通販グッズ」である。
昨年度の大掃除で相当処分したが、まあよく買うものである。
ここ数十年は「ダイエット」系が多かったが、最近は「掃除機」系である。
たしか、先月行った時には、4台あった。
「使ってる?」と聞くと「その内使うつもり」とのこと。
それ以上は追及しないのが、親子の暗黙のルールである。

ここである。
多分、ダイエットグッズにしても掃除機にしても、優れた効果があるものだと思う。
「これだけで必ず!」は、多分真実である。
注意点は、実は書いていない「但し書き」があって、それは「やれば」または「続ければ」である。
新しいものにどんどん飛びついても、やらねば、続けねば意味がない。
どんなに素晴らしいものでも、使わなければ宝の持ち腐れ。
せっかくの学びを埋もれさせないためにも、「即実践の心得」で今週もいきたい。

母の投資は、このためであったと勝手に納得した。
処分されたグッズ達に、合掌。

2014年12月26日金曜日

本質を見抜く視点 水泳「で」教える

以下、西村健吾先生からのメールの引用文の続きである。
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僕の最も重視する水泳「で」教えるねらいは、ずばり、
○自分に勝つ心。特に最も苦しい場面(最後の5m)でこそ、歯を食いしばって、弱い自分に打ち勝つ強い心
です。

水泳はなんとも不思議なスポーツです。
たとえば、陸上の100mではがんばってもその伸び幅は0.何秒の世界です。
ところが、その半分しかないたった50mなのにもかかわらず、タイムは平気で5秒、10秒、へたをすれば30秒近く縮まることだってあります。
しかも、最も苦しい場面でどう泳いだかによって、その伸び幅が断然ちがってくるのです。
これだけ自分の取り組みや、心の持ち様を如実に反映するものって、他にあるでしょうか?
そしてもっと重要なことは、
「苦しいとき(非常時)にがんばれるか否かが、常時のそれよりも、結果にてきめんに反映される。」

この、子ども達が人生の困難を乗り越えるために必要な心の持ち様は、最も重要であることのように思えるのに、それを教えられる場面って、学校生活の中ではなかなかないと思うのです。

だからこそ僕は、「水泳は学級経営だ」という隠れスローガンのもと、まずは子ども達に、
「自分に勝つことの重要性」「苦しい時にこそがんばることの重要性」を、この水泳を通して心と体で感じ取らせます。
そして、ひとたび水泳が終わったら、
「ほら、水泳で学んだことは、水泳のタイムのようにははっきりとは目に見えないだけで、勉強も同じ。生活も同じ。」
と意図的に転移させていきます。
水泳学習を終えた子ども達が、単に泳力が伸びただけの状態にならないことは、容易にご想像いただけるのではないでしょうか。

手前味噌で恐縮ですが、僕の教えた組立体操や学習発表会での子ども達が、あのような状態になるのも、それまでのこうした布石があってのこと。
要するに、春先から秋にかけて、一つ一つの活動を、次なる活動に転移させるように、ずうっと仕掛けております。
これはかなりの自信をもって断言できます。
ところが水泳「を」教える視点しかない場合は、まさに打ち上げ花火…。
きっとこうはならないのではないでしょうか。
(引用は以上。以下、松尾が後略)
=======================

さすが、水泳の県内トップ選手を多数輩出している指導者の言葉だけに、説得力がある。

『水泳「を」教える視点しかない場合は、まさに打ち上げ花火』
という一文は、何にも当てはまる。
研究授業など、特にそうなりがちなので要注意である。
(授業研が終わってからさっぱり、というのでは、やはり寂しい・・・。)
何を教えようが、それそのものを教えるに留まっていては、発展性がない。
「次なる活動に転移」を意識しているか。

以前にも紹介したが「ごんぎつねが終わった」という表現のおかしさと一緒である。
「ごんぎつね」という教材を通して、何の力をつけたのか。
そして、それは次にどう生きていくのか。
さらに、これからの人生の上でどう役立つのか。

そういう先見性を持って指導に当たるのと、その場だけで教えるのでは、子どもにつく力も雲泥の差である。
目的は、本質は何なのか。
常に意識して指導に当たりたい。

2014年12月24日水曜日

本質を見抜く視点 水泳指導

「本質を見抜く視点」シリーズ。
このシリーズのそもそものきっかけである、西村健吾先生からの新しいメールを引用する。

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本質を見抜く視点(西村健吾)

B「その教育が、一面的なねらいにとどまらず、立体的なねらい(裏のねらい)を包含しているかどうかということ」については、先生が十分に実例を示しながら僕の思いを代弁してくださいました。
よって、新たにCの視点を立ち上げ、視点BとCとを絡めながら以下に愚見を書き連ねます。

ではまず、Bについて。「水泳指導」を例に…。

例えば小学校高学年における水泳の目標(あえて技能に限定)を端的に言えば、「続けて長く泳ぐこと」です。
これがまず第一のねらい(表のねらい)であることは、教科の特性からみても言わずもがなです。
水泳「を」教える視点はまさにこれですよね。

その一方で、水泳「で」教える視点こそが、立体的なねらい(=裏のねらい)と合致します。
すなわち、松尾先生のマラソンのねらいでいけば、

○泳力の向上への取り組みに意欲を持たせる
○寒さや苦しさに耐え、心身の機能を高める
○続けて努力することの大変さと意義を体感する
○勝負を知る

といった感じになりますでしょうか。

僕も基本的に同じです。まさしく視点Bです。
ただし、同じなんですが、あえて視点に軽重をつけるとすれば、その根拠となるのが、視点C「別の活動に転移していくかどうかということ」です。
すなわち、そこで学んだことが、例えば学習面、例えば生活面に波及し、生涯にわたって生きて働く力になるかどうか…という視点です。
(先生のマラソンのねらいでいけば、下2つですね。)
===============================
まだまだまだ続きがあるが、今回は引用をここまで。

視点Cについて、この後西村先生の持論が展開される。
水泳における「学習面、生活面に波及し、生涯にわたって生きて働く力」とは何か。
読者の皆様にも考えていただきたい。
(次号に続く)

2014年12月21日日曜日

本質を見抜く 根本に返る

「本質を見抜く視点」シリーズ。
今回は、メルマガを書いていての雑感。

ここ数回、久しぶりに初期の発行当時のように「毎日発行」してみた。
書くネタがたくさんあるから、いけるかもと思った次第である。
正直、きつい。
なぜ隔日にしたか、思い出した。

そこに力を入れた分、しわ寄せがどこかにいく。
特に、仕事の無理は家庭にしわ寄せがいく。
残業すれば、その分帰宅が遅くなるのは自明の理である。
付き合いが多くなるのも同様。
一長一短である。

そう考えると、やはり自分にとってメルマガは「隔日」が適正のようである。
結構な数の方が読んでくださるので、ちゃちゃっと書いて発行、とやりにくい。
たかがこの程度の記事でも、毎回30分から、長いと1時間以上かかっている。
本質に返ると、あまり他にしわ寄せがいくのは正しいと思えない。

学級通信も自分にとっては同様。
毎日書ける人を尊敬する。(まして手書き&イラストとか、神業である。)
学級通信も、自分にはなかなか骨の折れる作業である。

結論。
それは、何のためにやっているのか。
単なるルーティーンになっては意味がない。
せっかくの仕事が「作業」になっては意味がない。
「仕事は志事」にしたいと改めて思った次第である。

2014年12月19日金曜日

失敗の五原則

最近、「本質」と「失敗」について最近考えているので、それに関する情報がひっかかる。
今回は原田隆史先生の著書からの学び。
以下、原田先生の本より引用する。

========================
私は、よくはまる「失敗の五原則」について常々お話ししています。
五原則とは、
人は失敗を
1直視しない、
2後回しにする、
3人のせいにする、
4忘れようとする、
5繰り返す、
の5つです。
(『原田隆史の熱い言葉64』原田隆史著 実業之日本社 より引用)
========================

つまり、うまくいかないと感じた時、上記の5つのどれかに当てはまっているのではないかということである。
これをひっくり返すと、成功に近付く「良い失敗」の原則になるという。

失敗した時、これを思い出すと役に立つのではないかと思い、シェアしてみた。

2014年12月17日水曜日

相手の立場で考える

サークルにて、曽根綾子氏の新聞記事からの学び。
簡単に言うと
「昨今の大きいリンゴは結構だが、一人暮らしの、特に高齢者にとっては食べるのに困る」
というような内容のコラムがあり、それについて考えた。

要は、作り手がいいと思うもの、素晴らしいと思うものでも、相手次第ということ。
作る側の自己満足ではなく、提供される側に立った視点が欲しい、という話だった。
相手は十人十色なのだから、リンゴにしても、一人暮らしの家庭用、大家族用と、
せめて2種類は用意してもらいたいという内容もあった。

教室や部活など、多人数を相手に教える際、個に対応するのは量的な限界がある。
だからこそ、全員一斉に与えるものの場合は、あらゆる立場の視点を慮る必要があると感じた。

自分が持ってない視点に立つのは難しい。
しかしそれに思いを馳せるのは、忘れがちで大切なことであると反省させられた。

2014年12月15日月曜日

本質を見抜く視点 「立体的なねらい」について

前回、西村健吾先生の講座での学びを紹介した。
再度紹介すると、この先生である。
↓「学級通信の極意」西村健吾著(明治図書)
http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20140156

西村先生とのやりとりで、次のようなことを書いた。
=================
「立体的なねらい」について(松尾英明)

私としては、「立体的なねらい」について、例を挙げると次のように考えています。
1.算数で「九九の習得」を指導しながら(表)
2.「口に出して繰り返し覚える方法」を習得し
3.「努力はすぐに結果に結びつくとは限らない」「しかし努力は実を結ぶ」という経験を獲得し
4.「(○○さんは)できる・できない」という壁を壊し、
5.「できる感動・喜び」を経験し、かつ仲間ができる喜びを共有し、
6.「人は一度覚えてもすぐ忘れる」という原則を体感し、
・・・・
というイメージです。
1は表で、いわゆる「教材のねらい」と「教科のねらい」といった面が強いです。
1以外は全て「裏」のねらいになります。
まあ、角度を変えてみたところで、見えるのは3面ぐらいです。
立体を真正面から見た時と同じで、「見えないけれどそれが支えている」というイメージです。
いうなれば、まさに豆腐の形です。
====================
この後も、かなりの量の文章のやりとりがあった。
これを読んだメルマガ読者の方々からも、様々な意見をいただいた。
結論から言うと、ねらいは子どもの実態に応じてそれぞれ。
何に主眼を置くかも、必ずこれとはいえない。
ただ、例えば九九を教えるなら「九九の習得」は外せない。
ここを抜きには語れない、というのが大方共通する見解だった。
また、九九を教えることだけに終始しない、というのも大方の共通点である。

教える側にとっても、ねらいや視点は様々であると学んだ。

2014年12月13日土曜日

本質を見抜く視点

先日、鳥取の指導主事である、西村健吾先生の講座を都内で受ける機会があった。
西村先生は「学級通信の極意」という本を明治図書から出したばかりである。
http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20140156
学級通信を見ただけで、並大抵でないことがわかる。
指導主事にご栄転となり、充実した毎日を送っているらしいが、学級通信が出せないことだけが心残りのようである。
(「だけ」かどうかは、ご本人に聞かないと分からない。)

講座中のQ&Aで、「本質を見抜く視点とは何か」という質問が出た。
講座の「教師の指導の落とし穴」という内容の一つに「本質はどうか」という項目があったことを受けての質問。
なかなか鋭い質問である。

西村先生は「子どもをどうしたいか」と答えられた。
その授業や行事を通して、子どもをどう成長させたいかという視点で見るという。
最高の理想を描いて、そこに向かって実践し続けてきた西村先生らしい回答である。

私なら、「もしこれがなかったら」と答える。
「そもそも論」という点で、西村先生と一致している。
そもそも、この授業や行事がなかったらどうなるか。
指導したいと思う場面で、あえて流したらどうなるか。
もし自分が教えなかったとしたらどうなるか。
・・・
そのように考える。
理想を描くというより、無かった場合の未来を予想する考え方である。

読者の皆様の「本質を見抜く視点」も、是非教えていたただきたい。
思考の幅が、広がると思う。

2014年12月11日木曜日

ちょっと勝つ

先日、岡山に学びに行った。
「通常学級の中の特別支援教育」というテーマの学習会である。
タイトルの「ちょっと勝つ」とは、講師の一人である南惠介先生の言葉。

特別支援教育を必要とする子どもは、教室に多数いる。
その子どもたちは、どうしていいかわからず苦しんでいることが多い。
本人は本気だが、周りから見るとふざけていたり、だらけていたり、反抗的だったり、としか思えない。

いわゆる「不適切」な行動が目立つ。
不適切な行動に対し、指導者は困る。
しかし、実際に一番困っているのは、その子ども自身である。
自分ではどうにもできず「何とかして」と思っている。
内心、子どもは大人に「勝って」欲しいのであるという。

これに、講師の一人であるノートルダム清心女子大学の青山新吾先生が
「大人が勝てば、子どもも勝ち」という言葉を付け加えられた。
逆に言うと「大人が負ければ、子どもも負け」で、両方不幸である。

つまり、ここでいう「勝つ」というのは、指導者の思う適切な方向に導くということ。
(相手を打ち負かすことではない。)
大きく勝ちにいかずに、「ちょっと勝つ」を目指す。
「まあそれぐらいなら、仕方がないかな」と従いやすい。

学級経営は、小さな小さな勝負の連続である。
時に「ちょっと負ける」ことがあってもいい。
トータルで「ちょっと勝つ」を積み上げて、より良い方向に導きたい。

2014年12月9日火曜日

子どもに「時間」をプレゼントする

原田隆史先生の「カリスマの目線」というメルマガを購読している。
週1程度だが、無料で質の高い内容の話が読める。
今号の内容が「時間のはやさ 大人と子ども」というものだった。
以下に紹介する。

===============
(以下、引用)
(前略)
しかし、ここ一番。自分のことを置いておいて、子どもと向き合い、
目をみて、正面から、子どもの時間に身を委ねるということが、重要
なのではないだろうか。

私の娘たちは、取り組んでいることは違うが、それぞれにバレエ、合
唱、ダンス等の舞台で発表するような活動をずっと続けてきた。
なんとか時間を見つけて舞台を観に行くと、こちらが驚くほど喜んで
くれた。それは、「忙しいお父さんが、私の時間(スピード)に合わ
せてくれた」という嬉しさなのである。
親が手を止めて子どもや家族に付き合う、ということは、親が思って
いる以上に、子どもや家族に喜びを与えるものなのだということが、
身にしみてわかった。
(後略)
(以上、引用終了)
===============

この文章に、深く頷いていた矢先、別の本を読んでも似た内容の言葉に出会った。
「大人とは、器の大きな人間。子どもの時間ぐらい待てる人」とあった。
(『「ドジ・グズ・せっかち」のほうが人生は楽しい』経済界 刊 斉藤茂太 著)

集団生活の場である学校において、毎度毎度、待つ必要はない。
ただ、「ここ一番」と思って、子どもに向き合う時間は必要である。

「時短」「スピード」の世の中だからこそ、必要な考え方であると感じた。

2014年12月7日日曜日

先生の授業参観なの??」

自分のクラスで授業研があった。
「詩の花束作り」という実践。
地元の国語の指導主事の先生の講座を受けて、真似してアレンジしたものをやってみようという次第である。
それに、校内の先生方のアドバイスをいただいて、実践してみる。
簡単に言うと、たくさん詩を読んで読んで読み浸った後、好きな詩や自作の詩を鑑賞し合うという単元である。
「クラス会議」の手法も取り入れて、話し合いの場面も設定する。

今日やるので、昨日連絡帳を書く時、子どもに伝えた。
「5時間目、他の先生方が見に来るから、みんなは気にしなくていいけど、一応伝えておくね。
「ぼくたちを見に来るの?」
「うーん、どちらかというと、先生を見に来る感じかな」
「じゃあ、先生の授業参観なの??」
「ん~、まあ、そういうことになるかな。」

言われてなるほどと思った。
通常の「授業参観」とは大分訳が違う。
授業参観は子どもにとってまさに自分を見てもらう時間。
主役は自分である。

一方で、授業研は、何だかはよくわからないが、「自分たち」が見られる時間。
授業研は、嬉しい子どももいる一方で、内向的な子どもにとっては、かなり「いい迷惑かも」しれない。
(取り囲まれて自分のノートをのぞき込まれて、ふむふむ言いながら何かメモされていたら、かなり気になる。)

授業研は子ども対象の研究ではあるが、指導の研究であり、教師の側の研修である。
こちらの都合である。
付き合ってくれる子どもに感謝しながら、授業にあたりたい。

それにしても「先生の授業参観なの??」とは、さすが低学年の子ども。
その率直な表現に感心しきりである。

2014年12月5日金曜日

『失敗学のすすめ』から「仮想失敗体験」の大切さ

次の本を読んだ。

『失敗学のすすめ』畑村洋太郎著 講談社(2000年)

十年以上前に発刊された本だが、とても興味深い内容である。
ここには「仮想失敗体験」というものの大切さが書いてある。

「仮想失敗体験」というのは、要は失敗をバーチャル体験することである。
何かというと、リーダーがあらかじめメンバーに「仮想失敗体験」をさせる。
そうすると、その失敗は実際には起きにくくなる、という話である。
仮想失敗体験をさせておかないと、現実にその失敗が起きてしまう。

例を挙げる。

例えば、家庭科で子どもにミシンを使わせるとする。
ここで怖いのは、ミシンの誤った使い方による事故である。
体育を筆頭に、家庭科や図工、理科という教科には危険なものを扱う実習があり、大けがをする可能性がある。
図工なら、カッターで指を切るかもしれない。
ミシンの場合なら、指を打ち抜くというケガがある。
だから、この事故は絶対に避けたい。

そこでどうするかというと、指を打ち抜く事故があった時の話をリアルに話しておく。
どういう状況でどうなってそういう事故が起きたのか。
実際に見たことがない場合でも、人に実体験を聞いたりして「仮想失敗体験」をしておく。

こういう話をしておくと、似たような同じミスをしなくなる。
例えば理科の実験は、一歩間違えると大変危険であることもわかる。
失敗を仮想体験しておくことで、失敗が防げる。

同僚とこの手の話題で話すのは勉強になる。
取り返しのつかない失敗は、仮想失敗体験を共有することで避けるようにしたい。

2014年12月3日水曜日

掃除は試金石

掃除ができるクラスはいいクラス。
拙著「やる気スイッチ入れてみよう!」にも書いたが、毎年必ず伝える言葉である。
それぐらい、掃除の時間はクラスの状態が出る。
掃除の時の姿に、その子どもの「芯」の部分が出ている。

例えば、個々に見ると大きく次のような子どもの状態が考えられる。

1 常にふざけているだけでなく、周囲への妨害行為がある
2 一応やるが、時々ふざけていたり、さぼったりする
3 教師がいるととても一生懸命やるが、見えない場所でさぼる
4 常にきちんとやり、どんな時でもやる気があり真面目
5 常に進んでやり、人の分まで手伝ったり、楽しんでやっている

これらが、そのまま子どもの普段の学習や物事への取り組み姿勢と重なる。

1なら、あらゆることに対して不真面目な傾向がある(反社会的)
2なら、興味のあるなしでやる気にむらがある(場合によって非社会的)
3なら、あらゆることで自分を必要以上に良く見せることに力を注ぐ。評価や点数に変にこだわる。
4なら、あらゆることに真剣に取り組む。
5なら、あらゆることを楽しんで取り組む。

掃除を一生懸命やらせるというより、掃除は試金石に近い。
そういう見方もあると思って観察しながら掃除するのも面白い。

歴史の鉄則 便利と義務

最近読んだ本からの気付き。 次の本から、一文を引用する。 『サピエンス全史 上 文明の構造と人類の幸福』 ユヴァル・ノア・ハラリ 著 柴田 裕之 訳 河出書房新社 http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309226712/ ======...

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