2011年6月30日木曜日

出し切れば、入ってくる

水泳の話の続き。
息は出し切れば入ってくるが、これは他のことにも当てはまる。
逆を言うと、出し惜しみすれば、入るものも入ってこなくなるということである。

どういうことか。

例えば、自分の持っている技術。
後輩や周りの人に自分の持ってる使える技術を伝える。
伝えることで、自分の技術の問題点も見えてくる。
問題点が浮き彫りになることで、技術の精度が上がる。
しかも、伝えた相手が他の情報をこちらに伝えてくれる可能性も出る。
自分の中で秘密にして隠しておいたのでは、こうはいかない。
惜しまず、出し切る。(このブログも、そういう方針で書いている。)

例えば、やる気。
仕事をぼちぼちこなそうと思う。
ぼちぼちの労力で済む。
ぼちぼち終わる。
何となく、倦怠感が残って終了する。
次のやる気は、起きない。
本気でやる。
これは苦しい。
苦しいが、その分今までの自分の壁を越えられる。
新しいものが入ってくる。
充実感があり、またやる気が湧いてくる。

何でも、出し惜しみせず、出し切るのが大切である。

2011年6月29日水曜日

水泳の息継ぎのコツ

そろそろ水泳の時期が始まる。
泳げない子どもがよく間違った認識をしている点。
それは息継ぎで「息を吸えない」と思っていること。
たくさんお腹に空気をためておけば、息が続くと思っていることである。

これは大きな間違いで、正解は「息を吐ききる」こと。
肺は真空状態にはならないので、吐けば一気に空気が入ってくる。
「息を吸えない」子どもは、実は「息が吐けない」のである。
この認識を変えるだけでも、大分違う。
そして、本人は吐いているつもりでも、全然吐けていないので、水中で見てやる必要がある。
水泳指導の基本的なことだが、これは水泳以外のことにもつながる。
(次号に続く)

2011年6月28日火曜日

睡眠時間は何時間が正しいのか?

時間を捻出するための方法の一つに、睡眠時間を削るというものがある。
基本的には、私は賛成できないが、「寝過ぎ」の人も結構いるのは事実のようだ。
「1日8時間程度の睡眠」が健康の基本とされているが、実際、これは人によってかなり違うらしい。
寝不足より寝過ぎの方が体に悪いという研究結果もある。

既に慢性睡眠不足の人は、削ってはいけない。
寝た方が確実に能率が上がる。

毎日8時間以上寝てるのにだるいという人は、寝過ぎの可能性が大。
1日1時間、睡眠に使っていた時間を朝の時間に変えられれば、かなり有効に使える。

しかし、最適睡眠時間が9時間の人もいるそうだ。
ナポレオンは毎日3時間しか眠らなかったとか。(でも居眠り大王だったらしい。)

色々試してみて、一番合う睡眠時間を探る価値があると思う。

2011年6月27日月曜日

シロツメクサの話

シロツメクサ。
いわゆるクローバーのことである。
「白詰草」の名の通り、昔は梱包時のクッション材に使われていた草である。
地味だしどこにでも生えている草だが、いいところがたくさんある。

まず、非常に強い。
踏まれても全然へっちゃらである。
次に、白くかわいい花が咲く。
摘んだものを編むと冠にもなる。
そして、役に立つ。
低めの草が群生することで、小さな虫たちにとっては、いい隠れ家になっている。
人間にも幸せを提供してくれる。
四つ葉のクローバーを探し当てると幸せになれるという。
探し当てたその瞬間、既に幸せである。
もっと言うと、どこにあるだろうとワクワク探している時点で幸せである。
幸せって何だろうということを考えさせてくれる植物である。(深読みしすぎ。)

学級を見渡すと、シロツメクサのような子どもがいる。
前に出て派手に活躍する訳ではないが、人のために黙って何かしている子ども。
そういう子どもは、見落としがちである。
きちんと光を当ててあげたい。
だから、シロツメクサの話を時々学級でする。
そうすると、何だか学級の雰囲気が優しくなる気がする。
たまにはそういう自然に関する話も、いいと思う。

2011年6月26日日曜日

時短の目的意識を持つ

最近よく「仕事術」「ノー残業」をテーマにした本が書店に平積みされている。
流行である。
色々なテクニックが書かれているが、どれも実践するかが全てである。

時間を短くすることを「時短」という。
時短の最大のコツは、時短の目的意識を持つこと。
何のために時短するのか。
早く仕事を終わらせて、何をしたいのか。
飲みに行きたいのか。
好きな本や映画を見たいのか。
勉強したいのか。
家族や友人と過ごしたいのか。
その後の予定への欲求が強いほど、時短は成功する。

仕事を早く終わらせても、その後やりたいこともないようでは、意味がない。
目的意識を持って、時短をしよう。

2011年6月23日木曜日

授業は「クイズ番組」だ

「授業劇場」などという言葉を最近きく。
教室は舞台であり、授業は劇であるという発想のようだ。
私は、個人的にこのたとえに疑問を持っている。
そもそも、劇というのはシナリオが決まっていて、その通りに演じるものである。
シナリオが決まっているのだろうか。
演じるものだろうか。

私は、授業は「クイズ番組」というたとえを子どもに伝えている。
何だか、こっちの方が授業を冒涜しているように感じる人もいそうだが、聞いていただきたい。
何かというと、「回答者が全員正解しか言わないクイズ番組」を想像してみて欲しい。
面白いだろうか。
多分、相当つまらない番組になると思う。
クイズ番組は、誤答にこそ面白みがある。
そして誤答を楽しみつつ、最後には正解に辿り着き、「スッキリ」するのである。
「モヤッと」したままではいけない。

極端な例でいくと、某クイズ番組では、「おバカ」の回答者がメインである。
一見馬鹿にされているようで、相当な人気である。歌まで出したりしてる。
「おバカ」のようで、誰よりも賢いのは、この人達である。

正解を答えるだけの授業なんてつまらない。
紆余曲折して正解に辿り着くから面白いのではないか。
堂々とたくさん間違えて、面白かったって言い合おう。
そんな授業が、理想である。

2011年6月22日水曜日

何となくうまくいった行事の反省

運動会のような大きな行事が終わる。
その時、反省のアンケートをとる。
大きな反省がなかった場合、安心する。
しかし実は、この時が一番危険である。

大きな反省が出た場合は、それについて改善せざるを得ない。
ミスがあったことを担当者も周りも理解している。
同じミスはできないと必死に改善策を出す。
結果、次年度はよりよいものが創り出される。

逆に、何となくうまくいった時は、あまり振り返らない傾向がある。
本当は、なぜうまくいったのか考えていくことが必要である。
また、改善すべき点があったのではないかという点も要注意だ。
実は誰かの懸命なフォローによって成り立っていて、その人が抜けたらガタガタという可能性もある。
結果、次年度はトラブルが起きたり、レベルダウンしたものになりやすい。

「勝って兜の緒を締めよ」の諺通り、うまくいった時こそ、要注意である。

2011年6月21日火曜日

叱られる作法 受容について

前回の続きを。
叱られる作法の第一は「受容」である。
ここを外すと、後が続かない。
受容とは、読んで字のごとく、相手を受け入れること。
せっかく叱っても、「うるせえ」などと反発されていては、叱り損である。

受容の心を育てるために、「心のコップを上向きにしよう」ということを常日頃から話しておく。
心のコップがひっくり返っている人は、何をいっても教えたことが蓄積されない。
心のコップが上向きの人は、どんどんたまっていく。
そういう話を、ちょくちょくしておく。

素直さを育てておくことが、叱るための第一歩である。

叱られる作法

「叱られる作法」という話がある。
1年以上前の「野口塾」で野口芳宏氏が話された内容である。

叱られた時、どういう順番で考えや行動をとっていくかという話である。
少し、考えていただきたい。

最初に「謝る」を選択する人が多いのではないかと思う。
(自分がそうだったので、そう思っただけである。)

野口氏は、次のような順番を示していた。

1受容
2反省
3謝罪
4改善
5感謝

1~5の順で進んでいく。
長くなるので、次回へ続く。

2011年6月19日日曜日

叱り方の原則

叱り方について書かれた本は多い。
叱り方に悩む人が多いこと、叱り方の難しさを感じている人が多いせいだろう。
どう叱るのが良いのか。
私も持論がある。

叱る基準ははっきりしてる方がいいが、叱り方は、もう状況によって千差万別である。
1言えば10の効果がある素直な子どもには、優しく言えばいい。
10言っても1しか効果の出ない子どもには、1回を短く、何度も根気よく叱る方がいい。
こういうのは差別でなく、区別である。
(同じことをした時には、こういう差をつけてはいけない。全員平等に叱る。)

そして、大原則として、基本は、短く叱る。
長いお説教は、いたずらに反抗心を生むだけである。
そして、最後は「きっとこれから良くなると信じている」などとフォローを入れる。
叱って一旦突き放す時にも、近づいてこられるよう隙を作って待つ。

この辺りを意識して叱るようにしている。
(次号に続く)

2011年6月18日土曜日

算数文章題攻略法 その3

今回は攻略法というより、疑問の投げかけを。
それは、「いつもわかりやすいのが本当に良いのか」ということ。
例えば、様々な物を用意して、わかりやすく説明する授業がある。
実物から何から全て用意し、子どもはよくわかる。
子どもも教師も満足度が高い。
しかし、問題はそれで力がついたのかという点である。

具体物の操作は大切である。
目で見てわかりやすいのも大切である。
しかし、一人で問題を解く段階では、それらは一切用意されず、自分の力で解かねばならない。
ならば、どんな場面でも適用できる、共通した考え方と方法を身につけさせることが最優先である。
入り口としてはわかりやすさが必要でも、最後は突き放す必要がある。

算数の文章題はもちろんだが、国語や他の教科でも同じことが言える。
(余談だが、社会科のテストで、白黒の金閣寺の絵が出た。
いつもカラーで見ているので、銀閣寺と区別がつかない。
カラーの美しい教科書に慣れていると、そういうことも起こる。)
教育全般に共通する基本的なことだと思う。

2011年6月17日金曜日

算数文章題攻略法 その2

さて、イメージ化もできて問題の意味も把握できた。
しかし、立式できない。
懇切丁寧に教えて式を立てさせていくことは可能だが、わかったつもりになるだけである。
これでは、テストの時どうにもしようがない。
という訳で、あらゆる場面で対応できる方法を身につける必要が出る。
実に様々な方法がある中で、私がよく使う手がある。

それは「簡単な数値に置き換える」。
「0.8リットルで0.7キログラムの重さの油があります。
1リットルで何キログラムでしょう?」
これはそのままだと立式が難しい。
しかし「2リットルで4キログラム、1リットル分は何キログラム?」は簡単である。
(これすらもできない場合、原因がもっと深くにあるので、多く説明するだけ無駄である。個別に原因を調べる。)
4÷2の立式をもとに、他の数値でも考える。
「8リットルで7キログラムなら?」「7÷8」
「0.8リットルで0.7キログラムなら?」
この「簡単な数値に置き換える」というのは、あらゆる場面に使えるかなり万能な方法である。
難しい概念を説明する時に、たとえ話をすることに似ている。
一つの手段として、活用されたい。

2011年6月16日木曜日

算数文章題攻略法

算数の文章題。
大抵、みんな教えるのに苦戦しているのではないかと思う。
私も、苦戦している。
そういう中でも、必ず心がけていることがある。

例えば
「0.8リットルで0.7キログラムの重さの油があります。
1リットルで何キログラムでしょう?」
という問題を解くとする。

次のように聞いていく。
「何のお話ですか?」→「油の重さを求める話。」
「0.8リットルって、どれぐらい?」→手で大体の量をあらわす
「0.7キログラムは?」→「500ミリリットルのペットボトル1本分よりちょっと重いぐらい。」
「水より重い?軽い?」→「水の方が重い。」
「答えは0.7キログラムより重い?軽い?」→「量が増えるから、重い。」
「絵に描いてみよう」
などなど。
要するに、大体のイメージ化の作業を先にする。
面倒なようで、これは一番大事だと思う。
文章題が苦手な児童は、イメージ化ができていない。
いきなり式が書ける児童も、実はきちんと分かっていないことが多い。
例えば、「割り算」の勉強中で、「0.8」と「0.7」を使うから「0.8÷0.7」と立式しているとか。
こういう児童は、この問題のようにわる数の数値が先に出てくる問題だと、バタバタと間違える。
(次号に続く)

2011年6月15日水曜日

分数の割り算

分数の割り算をどう教えるか。
例えば、子どもが親に聞く。
子「分数の割り算ってどうやるの?」
親「簡単よ。ひっくり返してかけるのよ。」
子「何でそうなるの?」
親「そういうものなの。」
子「ふーん。」
まあ、大体こんなものである。
大人になって分数の割り算の演算理由を述べる必要のある職業など、多分教師ぐらいである。
演算が楽なだけに、理由が忘れ去られがちである。
(ちなみに三角形や台形の面積の公式に関しても、似たような会話が出る。)

面積図を使ったり演算を色々いじったりして説明する訳だが、まあどれもよくはわからない。
わかったようなわからないような感じである。
ただ、大切なのは「なんとなくだけど納得できた」という状態にまで持っていくこと。
とにかくひっくり返してかけなさいといったことを暗記させると、それに慣れっこになる。
わからないけど命令通りに動くことを学ぶ。
それは避けたい。

ある程度納得した上で、「演算を続けると、最終的にひっくり返してかけることになる」と落としこむ。
公式を導く時に共通する原則である。
なぜそうなるのか、訳が説明できるならば、後は自由に使ってよいと教える。
(まあ、実際には使っている内に理由は忘れてしまうのだが。)
しかし、何であれ、一度は納得したという経験の上で使わせるようにしたい。

2011年6月14日火曜日

休日の宿題を考える

土日、宿題をどうしているだろうか。
「平日は毎日宿題を出している」という前提で、大きく次の3タイプに分かれる。
1 平日同様、1日分の宿題を課す(金曜日の分の宿題とみなす)
2 休日なので、宿題無し(金曜日の分もなし)
3 金土日と3日分なので、3日分の宿題を出す(または2日分)

どれが良いのか悪いのか、一概には言いにくい。
(まあ、自分が子どもだったら、2の場合が1番楽なので嬉しいが。しかし楽だから良いとは限らない。)
ねらいを考えてみる。
1は、宿題を「その日の学習の復習を中心にするもの」ととらえている場合。
学習習慣の形成は考えつつ、休日は自分の活動をして欲しいと考える。
2は、「金曜の放課後からは休日」ととらえている場合。
休日ならではの活動を重視していると考える。
3は、「学習習慣の形成」に重きを置いている場合。
スポーツクラブだろうが習い事だろうが何だろうが、勉強は毎日するものだと考える。

宿題をどうとらえるか。
夏休みの話にも関わる。
また、とりあげて考えていきたい。

2011年6月13日月曜日

話し方を見直す

普段、どういう言葉遣いで話しているだろうか。
小中学校の教師が毎日教室で話す相手は、常に年下である。
いや、はるかに年下であると言っていい。
年下の相手になると、ついつい言葉がぞんざいになりがちである。
呼び方をどうするかもこれに含まれ、呼び捨ての方が親しみがわくという主張をする人もいる。
そういう面があることも認めるが、私は子どもに対しては、さんや君づけが基本であると考える。
年下であるからこそ、きちんとした呼び方でないと、人格を尊重していることが伝わりにくいと思う。
(逆に、同級生のような近い年齢、同じ立場の仲間同士なら、場合に応じて呼び捨てやあだ名でもいいと思う。)

立派だと思う人を思い浮かべると、やはり周りの人々への言葉遣いがていねいな人が多い。
お礼をきちんと言い、自分が悪い時はしっかり謝る。
そういう人には、尊敬の念を感じて、逆にこっちの腰がさらに低くなると思う。

威張らず、肩肘張らずに、自然と互いに頭が下がるような、柔らかい人間を目指したい。

2011年6月12日日曜日

好きです、エッセイ

休日ということもあり、たまにはゆるい話を。
教科書が変わって、国語で「随筆(エッセイ)を書こう」というような学習活動が入った。
同系列で枕草子も教材として入っている。
(ついでに、私のクラスでは枕草子の冒頭文を暗記させた。)

私は、エッセイが好きである。
最近小説等の楽しむ系の本はあまり読まないが、エッセイだけは割と読む。
前から、さくらももこと原田宗典のエッセイがお気に入りである。
教室でさくらももこの本を紹介して学級文庫においたら、すぐ全部借りられて品切れ状態である。
子ども達にとっても面白いらしい。
その後、エッセイを書かせたら、ユーモアあふれる作品がたくさん出てきた。
面白い文を書かせたいなら、面白い文をたくさん読むことが大切なのではないかと思う。

2011年6月11日土曜日

流れに身を任せる

以前書いた、メリハリをつけるという話に追加を一つ。
仕事にも体調にも気分にも、リズムや波がある。
乗っている時は、いくらでもやれる。
落ちている時は、何をやってもダメである。

落ち込んでいる時は、ささいな仕事が一大事に見える。
乗っている時に片付ければ、あっという間の仕事である。

流れに逆らわず、身を任せる。
そういう考えも、時に役に立つと思う。

2011年6月10日金曜日

他己紹介ゲーム

学級経営にレクは役立つ。
学級の人間関係を良くするおすすめのレクを一つ紹介する。

いわゆる自己紹介ならぬ「他己紹介」ゲーム。
適当に紙を全員に配る。
自分の名前を書き、自分のイメージ(こんな人間だと思う)を適当に書かせる。
紙を回収。
ランダムに再配布。
回ってきた人物について、その人の良いイメージやエピソードを書く。
直感的に感じたことでよい。
あまり知らない仲間のことなら、勝手なイメージで書く。
(優しそう、何となく雰囲気がかっこいい、など適当でよい。)
一人30秒程度で書く。
班内で回し、4人程度書かせたら、回収。(全員書かせても良いが、時間がかかる。)
読み上げて、誰のものか直感で当てていく。
班毎に回答用のスケッチブックや紙を配り、班対抗戦にすると面白い。

誰が自分のことを書いているか分からないので、ドキドキする。
自分の気付いていない良い面に気づき、自信がつく。
「そんな風に見てくれている人がいる」と、仲間に対して感謝の念がわく。
色々、いいことづくしである。
何となくクラスの雰囲気がかたいと思っている時など、オススメである。

2011年6月9日木曜日

応援係はみんなの鏡

運動会の応援係の児童の指導をした。
応援係の仕事は、ずばり全校児童に応援を教えること。
応援係の児童の声が小さければ、当然教えられる側も声が出ない。
無表情にやっていれば、教えられる側も無表情である。

「応援係はみんなの鏡」と教えている。
つまり、自分達の姿勢がそのまま投影されるということ。
そして、教える側以上のレベルになることはないということ。
だから、自分を高めることがみんなの応援のレベルを高めることになる。
まあ、そういうことをちょくちょく伝える。
基本的に精神論を指導して、どんな応援をするかという方法論は、団長はじめ応援係に任せている。

ちなみに、日直の児童にも同じようなことをよく言う。
朝、みんなの前に立つその日のリーダーが暗い顔と声では、他の人が可哀想だと。
だから、努めて元気な声を出しなさいと。
それは、個性とかの問題ではないということも伝える。

これは、そのまま教師にも当てはまる。
基本的に、全体のレベルは教師のレベル以上にはならない。
一部の天才的な児童を除き、教師のレベルに収まる。
そういう風に考えれば、自分を高める必要性も出てくると思う。
常に学び続ける姿勢を見せられるようにしたい。

2011年6月8日水曜日

運動会の存在意義は何か

教科の内容が増え、行事の見直しを迫られた学校も多いと思う。
しかし、「運動会をなくした」という学校はきいたことがない。
運動会は、もはや学校教育の中に確固たる地位を確立したといってよい。
それぐらい、当たり前のようにどの学校にもある行事である。

運動会の歴史を遡っていくと、明治時代の海軍兵学校のものが最初とされている。
鍛錬の要素が強く、集団行動が重視されたらしい。
多分に軍事的な面を含む行事であったようだ。

それが近代に入り、エンターテイメント性が強いものになっていった。
表現運動などには、特にそれがよく出ている。
保護者に見せる手前もあるから、見栄えを気にするのは分かる。
しかし、「それは体育なのか!?」というものが見られることも多々ある。

運動会の本来の意義を考えた時、やはり体育的要素を外してはならないと思う。
子どもの運動能力や身体表現に、体育的指導の結果が具現化されているようなものが望ましい。
ただの見世物にしてはならない。

また、見栄えを気にしすぎて、時数をやたらかけすぎるのも考えものである。
ただでさえ授業内容が増えているのだから、本来の学業をおろそかにするようでは、本末転倒である。

運動会の存在意義や指導時数について、どの学校でも真剣に考える必要があると思う。

2011年6月7日火曜日

残業と早帰り

何事も、メリハリは大切である。
私は自分自身も「ノー残業」を目指して推奨しているが、これも時と場合によりけりである。

例えば体育主任なら、運動会の前は残業無しという訳にはいかないだろう。
授業研があるなら、やはり気合いを入れて指導案を書く日がある。
仕事の重要度によっては、土日にやることもあるかもしれない。
本当に多忙な人の都合で、会議が遅く始まる日もあるかもしれない。

そういう日もある中で、残業しないで帰る日があると、すごく時間が貴重に感じる。
いつも言うが、スイカの塩である。
塩のおかげでより甘い。
必死に空けた時間だから、大切に使おうと思える。
いつもダラダラ残っていたら、それも感じられない。
いつも適当に仕事をこなして早く帰っていても、やはり感じられない。

一生懸命仕事をやって、その後一杯やる。
このメリハリが、大切ではないかと思う。

2011年6月6日月曜日

客観的事実

評価や評定と関わって、選手や代表作品を決めるという場面がある。
この時大切なのは、「客観的事実」である。
データであったり、勝負の結果であったり、誰が見ても納得するものであればよい。
「なぜこの人(作品)を選んだのか」ということに対して、明確に説明する責任がある。
ここがブレると、後で「クレーム」となって表出する。
何かを選ぶ時は、「客観的事実」を明確にすることが大切である。

2011年6月5日日曜日

日常生活で教材研究

教材研究は日常的にできる。
社会科で有名な有田和正氏は、常にネタを探して日本中を旅行したという。
ゴールデンウィークのような長期休暇に旅行に出たら、その地方独自のネタを仕入れる。
私は今6年生を担任しているので、歴史に関わるモノがいい。
写真を撮ってきたり、土産物を購入したり、パンフレットなどを集めてもいい。

「プライベートと仕事を分ける」という考えもある。
しかし楽しいプライベートが仕事になったら、最高である。
(ちなみ有田氏は、仕事にかこつけて旅行に出かけたという。)

人間は、意識したものだけが目に入る。
新聞でも、あるテーマを意識すると、普段見過ごしていたような記事に目がとまる。
日常生活でも、必要な情報がひっかかるようになる。
例えば北海道に行きたいと思ってテレビを見ると、「最近、北海道に関する番組が多いなぁ」と思うようになる。
だから、常にネタを探し求めようとする意識が大切である。

2011年6月4日土曜日

あいさつは大きな声で?

あいさつは「大きな声で」などとよく言う。
私は、大きい声である必要は全くないと考えている。
むしろ、大きい声のあいさつは、威圧的で迷惑であることが多い。
「声のものさし」などというものがよく掲示されているが、あれが大切である。
遠くから自分の方に向かってくる相手には、大きな声が必要だろう。
逆に1mの距離なのにやたら大きい声であいさつするのは、失礼な行為である。
明るくはっきりとした声と、大きな声は、別物である。
また、他のクラスが授業をしている時間に廊下を移動中、やたら元気な声であいさつするのも考えものである。
TPOに合ったあいさつの仕方がある。
そういうことも、きちんと教えないと、意外に分かっていない。

2011年6月3日金曜日

あいさつの心構え

あいさつ運動をしている学校は多い。
あいさつが大切にされている証拠である。

よく「あ い さ つ」の頭文字をとってあいさつの仕方を指導する。
色々あるようだが、私は次のようにしている。

あかるく
いつも
さきに
つたわるように

最後の「つたわるように」が大切だと思っている。
あいさつは「あなたを大切に思っている」ということを示す、人間関係の第一歩である。
その気持ちを、つたわるようにしなければ、あいさつの意味がない。

色々書くことがあるので、続きはまた次号。

2011年6月2日木曜日

塵が出たならすぐ掃除

たまには仕事術の話を。
仕事を早く快適にこなす方法はないか。

ずばり、「後でやらずにその場で処理」これに尽きると思う。
小さな仕事を「後でいいや」とすることで、「塵も積もれば山となる」という状態になる。
すると、後から入ってくる仕事が全て後回しになる。
常に山積み状態が続く。
漢字や算数が苦手という子どもは、このパターンにはまっていることが多い。
前に習った漢字を覚えていない。(例「必」)
次に習う漢字は、以前習った漢字の組み合わせや一部変化したものである。(例「秘」「密」)
当然、これも覚えられない。
まず「必」からして覚えるのが大変である。
そうこうしている内に、漢字テストがやってくる。
テストをしても、当然できない。
すると、再テストである。
再テストの漢字に手がかかっていて、次の新出漢字に手が回らず、これまたできない・・・これをひたすら繰り返す。
結果、「漢字が苦手」という子どものできあがりである。(算数も同様。)

逆に、毎日の掃除のように、少しの塵もきちんと片付けていけば、常に快適&クリーンな状態である。
漢字テストの例だと、毎日こつこつやっているので、もうテストをやる前から万全の状態である。
余裕があるので、次に習う漢字まで予習してしまう。
漢字テストは100点。
次の新出漢字もやってあるので、余裕で、また100点・・・これをひたすら繰り返す。

努力量は大して変わらない(実は、後者の方が辛い思いをして勉強している分、大変)。
なのに、結果は大違い。
常に勝者と敗者の二極化が続く。

仕事もこれと同じで、常に先取りして仕事を終わらせている人が「できる人」である。
例えば教務主任などは、常に先を走っているはずである。
仕事量が多いから、そうならざるを得ないのだと思う。
忙しいはずの人を見習って、すぐやる習慣を身につけたい。

2011年6月1日水曜日

運動会の存在意義は何か

教科の内容が増え、行事の見直しを迫られた学校も多いと思う。
しかし、「運動会をなくした」という学校はきいたことがない。
運動会は、もはや学校教育の中に確固たる地位を確立したといってよい。
それぐらい、当たり前のようにどの学校にもある行事である。

運動会の歴史を遡っていくと、明治時代の海軍兵学校のものが最初とされている。
鍛錬の要素が強く、集団行動が重視されたらしい。
多分に軍事的な面を含む行事であったようだ。

それが近代に入り、エンターテイメント性が強いものになっていった。
表現運動などには、特にそれがよく出ている。
保護者に見せる手前もあるから、見栄えを気にするのは分かる。
しかし、「それは体育なのか!?」というものが見られることも多々ある。

運動会の本来の意義を考えた時、やはり体育的要素を外してはならないと思う。
子どもの運動能力や身体表現に、体育的指導の結果が具現化されているようなものが望ましい。
ただの見世物にしてはならない。

また、見栄えを気にしすぎて、時数をやたらかけすぎるのも考えものである。
ただでさえ授業内容が増えているのだから、本来の学業をおろそかにするようでは、本末転倒である。

運動会の存在意義や指導時数について、どの学校でも真剣に考える必要があると思う。
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