2014年11月30日日曜日

教育実習生と学級担任 それぞれの指導案のねらいの違い

前々回の続きで、尊敬する先生方からの学び。

教育実習生の書く指導案と、学級担任の書く指導案はどう違うか。
この問いにどう答えるか。
考えてから読み進めて欲しい。

教育実習生の指導案は、「今」に成功基準がある。
精錬実習がうまくいくかどうかである。
うまくいったら「良かったね」で、うまくいかなくても「初めてだから大丈夫」である。
いずれにしても、全力でやる体験をしたこと自体が大切で、プラスであり、前進である。
内容がどうであれ、その後は学級担任が責任をもって引き継ぐのだから何も問題ない。
そこで一旦終わり、本職としての教諭を目指す段階に入る。

学級担任の指導案は、先を見据えている。
短くても、一年間の見通しがある。
年間を通してつけたい力をつける指導案である。
よって、一回の授業研がうまくいったかどうかは成功基準ではない。
むしろ、うまくいかなくても、今後への改善の見通しが持てれば成功である。
子どもの長期的な成長が第一である。
(附属小学校のように「他校の参観者への新機軸の提案」の比重が高い場合は、その限りではないらしい。)

何のために指導案を書くのか、また授業研をやるのか、意識して臨みたい。

2014年11月29日土曜日

第3回やる気スイッチセミナー

宣伝なので今回は敬体で。

「第3回やる気スイッチセミナー」を開催します。
3月7日(土)13:00~
例の如く千葉県(市川駅)での開催です。割と都内から近いです。
↓お申し込み(こくちーず)
http://kokucheese.com/event/index/230864/

岡山の南惠介先生を招いての講座がメインです。
飯村友和先生と、ついでに私も「ちょろっ」とだけ出ます。
告知する前に既に申し込みが結構あったようなので、興味のある方はお早めにどうぞ。
(懇親会の方は、あと8名です。)
今日もお読みいただき、ありがとうございます。

2014年11月28日金曜日

少し上の人からこそ学べる


ここ最近、尊敬する先生方と話せる機会が何度かあった。
当たり前だが、年齢的にはそんなに離れていない人であっても、何年経とうが常に先輩であり、そこが変わることはない。
親がいつまで経っても親なのと同じである。

話題に上ったのが、「どの辺りの人から学べるか」という点だった。
50代のベテランの先生の授業は、技術が血肉化しており、若い人から見ると学びにくいという。
つまり、すごいことをしているのに、普通にやっているから、見る視点がないと見えないということだった。
野球に例えると、プロ野球の守備である。
サッカーに例えると、ワールドカップの代表選手たちのトラップである。
(伝わる人には伝わると思う。)

40代は、そもそも絶対数が少なすぎて、今は見られる機会がほとんどないとのことで割愛。
(実際、30代の人にとっては、一番学べるのがここだけに、惜しい。)

30代になると、意識的にがんばってる感があるので、まだわかるとのこと。
野球に例えると、甲子園のゲームの守備である。(時々まさかのエラーが出る。)
ちょっとハラハラ感があって、見ていて楽しい面もある。
それでも20代の人から見れば、自分からは遠い感じがするという。

20代の人が最も学べるのは、同じ20代の少し上の人だという。
自分にもやれそうな気がして、本気で学べる。

授業を参観した後に、
「下手だな」と思ったら、大体自分と同じレベル。
「これぐらいなら自分と同じ」と思ったら、自分より上のレベル。
「うまいなあ」と思ったら、かなり上のレベル。
「すごい!」と思ったら、自分とは桁が違うほど上のレベル。
そんな風に言われている。

学ぶなら、身近な人。
同年代から少し上の仲間である。

逆に、年齢が上に行けばいくほど、下の人から学べることが増えるともいう。

誰からも学ぼうという姿勢を持ちつつ、重要ターゲットを絞りたい。

2014年11月26日水曜日

図工作品審査会での学び

勤務地の市の図工作品の審査会があった。
自分は図工の審査会自体に縁はないが、作品搬入等を手伝ったり、作品展を見に行ったりしたので、色々な作品をみる機会に恵まれた。
作品を片付けながら、審査員の方々の講評が耳に入り、勉強になった。

審査員の方々の話を聞いていると、発達段階に応じた素材選びが大切だという。
特に、低学年は作品の中に「自分」がいることが大切とのことだった。
発達段階的に、美しいものを表現したいというより、「自分が○○している」という物語のようなものを表現したい。
言われてみると当たり前だが、あまり深く考えてこなかった自分としては、目から鱗が落ちた。

中学年になると表現方法が広がり、選択肢が増える。
高学年になると技能も発達し、うまく作りたいという思いも強くなってくる。

また、何を根拠にその材料でその作品なのかということの大切さも強調されていた。
工作キットは使わない、テープ類は極力使わないとか、常識が色々あるらしい。
難しいものである。

何でも、専門に勉強している人の話を聞くのは大切だと実感した。

2014年11月22日土曜日

何の祝日でしょう

先日は「文化の日」で月曜が休みだった。
日本国憲法の公布記念日。
元々は明治節(明治天皇の誕生日)である。

祝日に休むからには、祝日の理由も少し子どもに教えておく。
「何の日」「本来何をするための休み」ぐらいちょっと触れておく。
ちょっと教えるぐらいしないと、「とにかくハッピーマンデーでしょ?」のような能天気になる可能性がある。
ちなみに、文化の日は「11月3日」であることがとても大切であり、ハッピーマンデーは適用されない。
今年は、たまたま月曜日なだけである。

例えば体育の日も、東京オリンピック開催記念日だから、「10月10日」が大切なはずである。
安易なハッピーマンデーは止めて、次の東京オリンピック開催までに戻そうという動きもある。
「根本・本質・原点」にかえり、意義を考えることは大切なことだと思う。

大人でも、祝日についてきちんと答えるのは結構難しい。
「教えよう」と思うと、こっちも勉強することになる。
お陰様で、こちらも何となくだったのが、よくわかるようになる。

教室でも、子どもに「教えようとするのが一番勉強になる」と教える。
早くできたことで満足させない。
周りの仲間に一生懸命教える姿が見られるようになる。

話が若干逸れた。
休むからには、祝日の意味ぐらいは片隅に入れておきたい。
ちなみ明日は「勤労感謝の日」である。
この仕事ができることそのものにも感謝したい。

2014年11月20日木曜日

ハロウィンの心温まる出来事

ハロウィンの話題。(元々メルマガでの記事なので、時期がずれているのはご容赦を。)

昨今、かなり定着の感があるハロウィン。
スコットランドの祭りに端を発するらしいが、日本人にとってそれ自体はあまり興味のないことである。
子どもにとってはお菓子がもらえる日で、大歓迎。
しかもお化け系イベント。
コスプレブームに妖怪ブームも手伝って、テーマパークでもこれ系のイベント。
かなりの広がりである。
要は、楽しいイベントだからやろうというのが本音だろう。
(若者に煙たがられるかもしれないが、本来はお月見など伝統的な行事をより大切にしたいところではある。)

勤務校でも、各所でハロウィン色だった。
グラウンドで仮装鬼ごっこ(?)をしたり、ハロウィンの英語の読み聞かせがあったり、色々な光景が見られた。

その中で、ちょっと心温まる出来事があった。
昼休み、ハロウィンのシールがもらえるイベントがあった。
そのイベントに参加した子どもたちが、教室にそれを持ち帰り、喜んでいた。
一人、参加しなかったために、シールがもらえないで残念がっている男の子がいた。

ある女の子がそれを見て、折り紙を切り抜いて、自分のシールと同じおばけの形をつくった。
「これ、あげるよ。」
「ありがとう。」
男の子は、とても嬉しそうだった。
私が「○○ちゃん特製だね!」と言うと、「うん」と言ってニコニコそれを眺めていた。

小さな小さな出来事だが、子どもの心が見える、心温まる一コマだった。

2014年11月18日火曜日

雰囲気作り その2 日常が大切

前号の雰囲気作りについての続き。

挑戦心は安全・安心ベースから生まれる。
危険・不安では挑戦できない。
挑戦して失敗しても受け止めてもらえる前提があるからやれる。

これは、学級の日常でどうなっているかが全てである。
中心となるのは、授業。
授業中にどれだけ「挑戦による間違い」が称賛されているか。
子ども同士のコミュニケーションがあるか。
話し合いによる問題解決がなされているか。

このあたりがクリアされているようなら、何をやるにも挑戦する雰囲気ができている。

これは他のことにも言える。
何か一つをやろうとする時、日常のあらゆる場面でできているのが本物である。
そうでない場合、付け焼き刃にしかならない。

これらは全て、教師の率先垂範が前提になる。
「挑戦による失敗は善」を自分の中の価値観として持っているなら、子どもに反映される。
教師が持っていない価値観は、どんなに巧みに口で言っても反映されない。
子どもは、親を筆頭に、今まで受けてきた様々な人の価値観を吸収している。
特に学校において、現担任の価値観は強く反映される。
目の前の子どもに感じる課題は、全て自分の持つ課題だと思ってほぼ間違いない。
(よって、中には解決できない課題もある。)

どんな雰囲気を子どもたちが持っているかは、教師の持つ日常の価値観次第である。
雰囲気を変えたい場合、自分が変わるしかないというのが、これまでの実感である。

2014年11月16日日曜日

雰囲気を重視する

クラス会議の話が続いたので、今回は8の字跳びの話と関連して。

クラス会議と8の字跳びの両方の実践時に共通すること。
それは「手順を覚えた後は自分たちでやる」という点と「雰囲気が大切」という点。

まずはやり方を指導すること。
これには適切なマニュアルが必要になる。
だんだん指導者の手を離れて、自分たちで工夫、創造するようになる。

次に、雰囲気を重視すること。
「心身に危険がない=安全」を前提に、「温かい雰囲気=安心」の両方が必要。
失敗しても大丈夫だと思える状態になること。
もっというと、全員が失敗を挑戦とみなし、称賛する状態になること。
挑戦による失敗をした仲間には、称賛や励ましが入る状態である。

クラス会議では、まず最初に感謝や嬉しかったことなどを一人ずつ順番に言う場面がある。
ここで雰囲気を作る。
8の時跳びでは、入ってひっかかったら「ドンマイ!」「ナイストライ!」と声かけをする。
「ひっかかったのは縄に入ろうとした証拠。勇気の証。」などと指導者側も繰り返し伝える。
また、ひっかかるのは本人以外の要素(回し手、本人の前の数人、全員の作る雰囲気や声かけの仕方)が原因のことが多いこともしっかり教える。

一つの場面で雰囲気が良くなると、他の場面にも波及する。
授業で雰囲気が悪いのならば、クラス会議など他の場面のどこかで一点突破する。

空気の空間支配力は強い。
雰囲気作りには常に心を配るようにしたい。

2014年11月14日金曜日

『いま「クラス会議」がすごい!』

前号の続き。
8の字からちょっと離れて、マニュアルの大切さについて。

前号でも述べたが、「マニュアル」は語感が悪い。
何というか、機械的なイメージがある。
「こうするとこうなる」というのは、例えば自販機でお金を入れてボタンを押すとジュースが出るというような「仕組み」である。
仕組みの詳細まで知らなくても手段(お金とボタン)さえ知っていれば、結果(ジュース)が出る。
確かにそういう側面がある。
しかし、機械がそうであるように、要は使い方次第で便利なものになる。
便利なものは活用した方がよい。
それが目の前の子どもの成長につながるかもしれないなら、尚更である。

例えば学級経営のマニュアルは、既にたくさんあるものの中から選べる。
他の人がたくさん作ってくれているので、いきなり無理してゼロから作る必要はない。
またたくさん知っていれば良いというものでもないが、一つしか知らないのは危ない。
たくさん知っている中で、特に自分に合うものを深めていくのが一番いいと思う。

今、手元に次の本がある。
『いま「クラス会議」がすごい!』
(赤坂真二 編著 学陽書房)

「クラス会議」についての本である。
前書きにある文の
「わたしたちがしたいことは、格好いい話し合いをする子どもたちですか、
それとも、紆余曲折を恐れず問題に向き合い解決をする子どもたちですか。」
という理念にはじまり、やり方から事例、ケース別対処法まで全て出ている。
「クラス会議」をよく知らなくて、興味があるという方には、特におすすめである。
手順としてのマニュアル化がされているだけでなく、クラス会議を通した様々なエピソードも書かれていて、読み物としても楽しい。
これを読めば、現時点の知識がゼロでもとりあえず始められる。
編著者の赤坂先生だけでなく、4人の実践家の先生が、体験を通して書いているのもいい。
様々なケースに対応している。
複数の人が同じ手法でやっても成功例が出るというのは、それが名人芸でなく、マニュアル化された成功手法という証拠である。

マニュアルを覚えたら、まずは試してみる。
「いつか」は「五日」を過ぎれば一生なくなる。
宝の持ち腐れにならないよう、原則は「覚えたら五日以内に実践」である。

2014年11月12日水曜日

マニュアルの多様性を認める

前号のマニュアルについての話の続き。

マニュアル通りにやると、うまくいくことがある。
「ことがある」というのは、逆に言うと、うまくいかないこともある。

前号で「クラス会議」について少しふれた。
多数の成功事例が出ている手法であり、自分自身も取り入れている手法である。

ここで大切なのが、「複数の人がうまくいく」=「誰にでもうまくいく」という勘違いをしないこと。
時々「○○先生の△△という手法をやったけれど、自分のところでは全くうまくいかなかった」という話をきく。
極端な場合「△△の手法はダメ」と周りに公言するのを見ることもある。
これはやめた方がよい。
服装と同じで、合うか合わないかは、人それぞれである。
例えば志茂田景樹さんのファッションは世界に認められているが、正直、私は真似しない。
しかし、それを否定もしない。似合う人には似合うと思っている。

多様性を認めていく。
そのためには、色々なマニュアルを知っておくことが大切である。
可能性が少しでも感じられるものなら、やってみる。
すると、初めて本当の良さも欠点も見える。
うまくいかないのは、やり方がまずいか、または自分と自分のクラスに合っていないのである。

組み合わせも大切で「自分としては合っていると思う手法だが、今年のクラスには合わない」ということもある。
だから、毎年やることが違ってくる。
取捨選択ができるのも、複数の手法(マニュアル)を持っていればこそである。

マニュアルは「手引き書」であり、いわば道具である。
例えば食事をするのに、フォークしか持っていないとする。
すると、カレーが出ても味噌汁が出てもフォークで食べるはめになる。
スプーンや箸があれば、違う選択ができる。
まあ、そんなところである。

マニュアルの多様性を認め、複数持っておく。
そのために、常に学び続け、マニュアルの更新とともに自分自身を更新する。
当たり前ながら、結構大切なことであると思う。

2014年11月10日月曜日

自主性を育てるためのマニュアル化

「子どもに自分でやらせてみよう」という、前号の話の続き。

マニュアル。
自主性の真逆にある気がする言葉である。
実際の「マニュアル」の意味は「手引き書」「取り扱い説明書」である。

自主性を持たせるために、マニュアルを作るのがリーダーの仕事である。
フランチャイズチェーン店には、必ずマニュアルがある。
親会社の社長は、全店舗に指導しに行けない。
だから、手引き書を作る。
マニュアルは「中学生が読んでも分かる」というレベルまで落とし込む。
それで初めてマニュアルとして機能する。
いちいち作成者が説明しないと伝わらないようなものは、マニュアルとはいえない。

マニュアルがあれば、とりあえず自分でチャレンジできる。
マニュアルが身に付いて「当たり前」になると、新しいことにチャレンジしたくなる。
チャレンジしてうまくいったことは、またマニュアルに書き込まれる。
この繰り返しである。

8の字跳びも、まずはマニュアルできちんと教える。
実践を通し、できなかったことをマニュアル化していく。
よって、常にマニュアルは更新される。

マニュアルが浸透しだすと、自主性が生まれる。
ある程度自分たちで基本がわかっているので、どうしたらよりうまくいくか考えるようになる。

注意して欲しいのは、こういう風に書くと、偏って解釈してしまう人がいる点である。
マニュアル作りが先なのだが、自主性ゼロでいいと言っている訳ではない。
割合の問題で、最初が「教える」:「考える」=9:1なのが、
だんだん8:2、7:3と移行していき、最後は1:9になるというイメージである。
だから、最初の教えるためのマニュアルは持っておいた方が良い、という話である。

8の字・大縄レポートは、何年も前から好評で、多くの人の手に渡って活用されている。
(そろそろ、更新バージョンも出さないといけないと思っている。)
普段、何となくやってうまくいっていることは、マニュアル化してみる。
マニュアル化されると、人の役に立てる。
「マニュアル人間」「マニュアル至上主義」などという俗っぽい語感の悪さに惑わされない。
マニュアルも「根本・本質・原点」が大切である。

2014年11月8日土曜日

できることより変わること

8の字&学級経営シリーズ。
今回は次の言葉より。

「できることより変わること」
(『心に刻む日めくり言葉 教師が述べるための 野口芳宏 師道』
野口芳宏著 さくら社 より引用)

8の字跳びに限らずだが、教師はつい「できた」に着目してしまう。
本気でできるようにさせたいと願って、一生懸命熱心にやるほどそうなる。
結果や記録が欲しいのは、当然の心理である。

クラスで一番跳ぶのが苦手な子どもがいる。
何回、何十回やっても、うまくいかない。

「跳べた」という結果だけに着目すると、毎回「変化なし」である。
よく見れば、僅かずつだが変化している。
10回躊躇してから縄に入っていたのが、9回になっている。
中に入って縮こまっていたのが、わずかながらジャンプしようとするようになっている。

そういう小さな変化を認めることが大切である。
「認める」=「見て留める」、つまり見る側の意識にかかっている。
視点がなければ僅かな変化も「あれども見えず」になる。

経験から言うと、毎回ひっかかって跳べない子どもは、「ひっかかるのは悪いこと」というマインドセットがされている。
そうではなくて、縄に入れたこと、入り方が変わったことに価値を見いだせるようにする。
「ひっかかるのはチャレンジした証拠」「ひっかかったら縄に入れたことを喜ぶ」ということを、まず教師がやる。
ひっかかった瞬間に「ナイストライ!」と言うのを口癖にしておく。
主体変容・率先垂範である。
そうすると、周りの子どもにも伝播する。
やがて、本人にも、挑戦意欲が湧いてくる。
「安全・安心」ベースがあっての挑戦意欲である。

挑戦できる安心ベースを作るのは、教師の姿勢。
教師が「できることより変わること」の精神を常に持っておけば、子どもはすぐにできなさそうなことでもどんどん挑戦できる。

忘れがちだが、常に思い出したい言葉である。

2014年11月5日水曜日

子どもにやらせてみる

前号で「うまくできなくてもやらせる」ということを書いたので、そこに関連した話。

地元の国語の指導主事の先生からの学び。
同僚の先生の行った校内授業研の後の協議会(テーマは「学び合い」)で、次のようなことを話していただいた。
「先生の美しい説明よりも、子どものたどたどしい説明を。」
「先生の関わりを、子どもたち自身ができますか。」

つまり、全部教師がうまくやろうとせず、子どもにやらせてみよとのことだった。

以下は、それを聞いての自分の解釈。

子どもにやらせると、うまく伝わらない気がしてしまう。
補足説明程度なら必要かもしれない。
しかし実際は、補足どころか、子どもがやった何倍もの時間をかけて説明してしまう光景をよく見る。
(特に、算数の授業研で顕著である。子どもの発言のまとめは、難しい。)
子どもからすれば「じゃあ、最初から先生が説明すればいいじゃん」と思ってしまう。
やがて「待っていれば、先生が正しい答えを教えてくれる」という受け身の姿勢を作り出す。

子どもが自分の頭で考えないとか、自分でやろうとしないと嘆く時、それは大人の責任ではないか。
我々の立場で言えば、学校教育の責任である。
例えば幼児は、全部自分でやろうとする。
それが経験によって、「失敗するならやらない方がよい」と学んでしまう。
教室で、どれだけ失敗が本当に「称賛」されているか。
これによって、チャレンジ精神の有無が決まる。
自主性を持たせたいなら、失敗を推奨して褒める必要がある。

安全さえ確保できるなら、どんどんやらせてみる。
余計な口や手を出さずに我慢。
辛抱強さが、勝負の分かれ目である。

2014年11月3日月曜日

8の字跳び 子どもだけで回すメリット

8の字跳びの回し手の話に戻る。

8の字跳びを自分で回す。
回しながら、逆の手で苦手な子どものケアをして背中を押したりしながら、さらに並んでいる子どもにも声をかける。
跳び方にも注意しながら、もう片方の回し手の子どもも見て、跳んだ後の動きにも目を配る。
千手観音よろしく、八面六臂のめまぐるしい働きである。
当然、かなりの汗をかく。
そうすると、真面目にやっていない子どもに対して、腹が立ってくる。

こうなると、悪循環が生まれる。
マイナスを注意して、全体の雰囲気が悪くなり、さらにパフォーマンスが落ちる。
その内、「やりたくない」という子どもが出てくる。

教師が一生懸命やればやるほど、陥りがちなパターンである。

ここに陥らないために、一歩離れて見る。
当事者になりきらずに、責任は持ちつつ、あくまで外の視点を持つ。

がんばっているのは教師でなく子どもたちなので、客観的なアドバイスができる。
円座してミーティングする時も、子どもたち自身が当事者意識を持ちやすい。

一緒に回すメリットも勿論あるのだが、個人的にはなるべく子どもに任せたい。
自分と子どもの状態を見て、合う方法を選択することが大切であると思う。

2014年11月1日土曜日

8の字跳び まずは少数精鋭を育てる その2

前号の続きで、先に少数精鋭を育てることのメリットを述べる。

先に少数精鋭を育てるというと、何だか苦手な子どもを放っておいているような冷たいイメージがある。
(便宜上、本稿では8の字跳びに対して「得意な子ども(=○)」「苦手な子ども(=△)」とそれぞれ表記する。)
真実は、真逆。
苦手な子どものために、得意な子どもを育てる必要がある。

どういうことかというと、得意な子どもが、苦手な子どもをカバーしてくれる。
たとえば苦手な子どもは、縄に入るタイミングが遅い。縄から出るのも遅い。
つまり、△△△・・・と並ぶと、後ろにいくほどどんどん跳ぶのがきつくなる。
逆に○△○と配置してもらえば、苦手な子どもも跳べて、後方へのしわ寄せも消してくれる。
この作戦でいくと○△○△○・・・という配置になる。

つまり、得意な子ども(○)は苦手な子ども(△)と同数以上必要になる。
だから、得意な子どもを増やせば、苦手な子どもが救える。
8の字跳びは、チームプレーである。
自分だけ日本一跳ぶのがうまくても、全く記録は伸びないのが特徴である。

また、自分だけモチベーションが高くても、記録が伸びない。
仲間のモチベーションをいかに上げるか。
それは、良い雰囲気作りであり、まずは得意で前向きな子どもが中心に作っていく。
だんだんと周りを巻き込んでいく。
やがて苦手な子どもをみんなが応援、サポートして跳ばせて、全員で喜ぶ。
「クラスで一番運動が苦手」という子どもが跳んだ時は、必ず全員がわっと喜ぶ。
この時一番嬉しいのが本人で、次に嬉しいのが直接サポートした得意な子どもである。

そして、少数精鋭は、育てやすい。
最初からモチベーションが高い。
プラスに目を向けて、まずは長所伸展。
明治維新の志士を育てた吉田松陰先生も
「長所伸展、短所無視」と仰っている。
人間は、短所に着目されるときつい。

短所ばかりを見て、長所に目を向けない事態を避ける。
授業全般でも同様の、学級経営の大原則である。
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