2012年2月28日火曜日

見て良いテストで学力はつくか

さて、人にきいても見ても良いテストなら、全員満点になりそうである。

ところが、そうはいかなかった。
まず、きけずに自力でやってしまった子ども。
ところどころに間違いがある。

また、よく確認しなかったために、単位忘れなども結構ある。
結局、満点をとれたのは、全体の7割程度である。

ここまでやっても、7割程度ということに驚いた。

で、私はしつこいので、違うテストでもう一度やってみた。

今度は「班対抗」である。
班全員が満点なら、勝ち。
「でも、クラス全員満点なら、大勝利」であると告げた。
(決して遊んでいる訳ではなく、本気である。)

こういうゲーム形式にして、やっとほぼ全員満点になった。(単位漏れのミスが一つだけあった。)

ここで一番問題になることは「それで、学力の方はついているのか」ということだろう。
そこで、今度は「実力チェックテスト」と銘打って、また違うテストを普通にやらせてみた。
(ただし、このテストは先の二つのテストより、やや難易度が高いものである。)
そうすると、まあ大体いつも通りの結果になる子どもが多かった。
やはり文章題なぞは、いつも算数を苦手とする子どもの正答率が低い。
「3/4mで9/5kgの棒1mの重さ」などは、例の如く全員正答率が低い。

しかし、「知識・理解」「技能」などの面においては、以前はできなかった子どもが、きちんと正答していた。
やはり、教えてもらったことによる、一定の効果があるのかもしれない。
(この程度では、憶測の領域を出ない。)

以上の結果により、テストで教え合うことは、学力形成そのものにおいて、プラスの側面も期待できそうである。
ただし、評価・評定する際には、あまり良い方法とはいえない。

しかし、今回の一連のテスト実施により、算数の授業を考える上での大きなヒントを得た。
(次号に続く)

2012年2月26日日曜日

自力で解かない方がよい時

誰にも頼らず、自力で何とか解こうとしている子ども。
算数の授業研なら、「好ましい」とされる姿である。

しかし、私はこの姿に否定的な立場である。
「解けないものは解けない」と思っている。
「ない袖は振れない」という言葉もある。
漢字テストだとわかりやすいのだが、「頭の中にない字は書けない」のである。
算数なら「頭の中にない解き方は100年考えてもでない」のである。
アイデアが突然天から降ってくるものだと思っている人もいるが、それは違う。
たくさんの知識の寄せ集めが、新しいアイデアを生む。
算数の場合なぞもっと単純で、解法をいくつ記憶しているかどうかである。
だから、そもそも解法を記憶していない子どもに考えさせても、無駄である。

さて、冒頭は前号の「友達にきいてよいテスト」の一部の子どもの姿である。
放っておくと、このままできないで終わる。
困ったことに、普段算数を苦手としている子どもほど、なぜかきけない。
「プライド」が高いのである。
「今できない自分」を認められないのかもしれない。
だから誰にもきけずに自分で考え、できないスパイラルにはまっている。
弱いから、自分を頑なで意地っ張りにして、守っている。
こういう場合は、助けてあげた方がよい。
このまま大きくなって社会に出ると、本人にも周りにも不利益が生ずる。

算数が比較的得意な、気の良い子どもを一人つかまえてこっそり声をかける。
「○○君、困ってるみたいだよ。」
あ、という顔をして、そろそろと近づく。
しかし、声をかけにくい。

顔が、暗いのである。
むしろ、むっとしている。
「僕は私は、誰の助けもいらないんだから」という顔をしている。
だから、みんな声をかけない。

しかし勇気を出して気の良い子どもが声をかけると、ふわっと表情が和らぐ。
本当は、ききたいのである。
熱心に教え、やがて解き終わった。

さあ答え合わせ。
全員満点、のはずであるが・・・。

2012年2月24日金曜日

友達にきいてよし、算数テスト

算数の「6年生まとめのテスト」である。
次のように告げた。
「今日のテスト、わからなかったら、友達にきいてよし。
全員満点とってみなさい。
ただ、解答を写すだけじゃダメですよ。
解き方とか筆算まで、きちんときいて納得するまでやる。
教える方も、わかるまで教える。」

子どもは、まさに「鳩が豆鉄砲」のような顔をして「本当!!!???」と歓声があがった。
「ただし、いきなりききにいかないで、とりあえず自分で解けるものは全部解きなさい。
たくさん解けるものがあれば、友達の役に立つでしょう?
その上で、ききに行きなさい。」

テスト開始。
しばらく、いつものように、しーんとした状態が続く。
やがて、何人かが隣にききはじめる。
班の仲間にもきく。
「席を立っても構いません。」
何人かが算数の得意な子どもに群がる。

熱心に説明する子ども。
首をひねって、更にどういうことかきく。
「ああ!」「そういうことか!」と声が上がる。
嬉々として席に戻り、解を書き始める。

その間、コミュニケーションが苦手な子ども達が逆に目立つ。
難しい顔をして、ききにいけずに、テストを凝視している。

(次号に続く)

2012年2月19日日曜日

カンニングしてよし

テストで隣の人の解答を見る。
いわゆる「カンニング」。
公式な試験でやったら、重い罪になる。
(中国の国家試験だと、死刑になる事例があるらしい。恐るべし。)
テスト実施者の側からすれば、受験者の能力を「テスト」したい訳だから、当然人の解答を見られては困るのである。

学校のテストを考えてみる。
小学校なら、単元ごとに行ういわゆる普段の「ワークテスト」である。
この出来を見て、成績をつける。
だから、カンニングは困る。
「自分の実力でやりなさい」となる。
「成績をつける」「到達度をはかる」という目的からすると、絶対見られては困るのである。

しかし、テストを「力をつける」「自信をつける」という目的から見ると、話は変わる。
わからない問題があったら人にきいて、わかるようになる。
わかるようになって、満点もらって、自信がつく。

「そんな自信、嘘じゃないか」という声もきこえてくる。
しかし、自信というのは「根拠のない大いなる勘違い」が始まりであり、それがやがて本当の自信になる。
心理学でいう「ピグマリオン効果」である。
小さい子どもなど、みな自信に満ちあふれている。
だから、何でもチャレンジしたがる。

そこで、テストを解答を見せ合ったり教え合ったりする先行実践がある。
実はかなり前から知っていたのだが、何となく恐ろしくて手を出さなかった。
しかしこの度、訳あって一つチャレンジしてみた。

次号、そのレポートをする。

2012年2月17日金曜日

思うは招く

先日、素晴らしい講演を聴いた。
素晴らしすぎて伝えきれないので、講演者の方の名前と言葉を一つを紹介するにとどめる。

植松努さん。
日本でただ一つ、ロケットを自社だけで作っている工場の社長である。
全国でかなりの数の講演を行い、著書がいくつかあるので、ネット等で調べていただきたい。

「思うは招く」
中学生の時、植松さんの母が教えてくれた言葉だそうだ。
NASAの門にも似た言葉が刻んであり、これは
「Dream can do,
Reality can do.」
(想い描くことができれば、それは現実にできる)
という言葉である。

結局、現実と区別がつかないぐらい強く想い描いたことが、現実になる。
将来の夢でも何でも、そこがポイントである。
8の字跳びや大縄なら目標回数を設定していると思うが、それを全員がどれぐらい想い描いているかが大切である。

とにかくだまされたと思って、読者の皆様には一冊買って読んでいただきたい。

2012年2月15日水曜日

大縄・8の字跳び必勝法「下がれば、上がる」

記録が伸び続けていけば、それに越したことはない。
しかし現実は、最高記録が出たらまた落ち続けて、スランプに陥ることの方が多い。

上がり続ける方法はないのか。

多分、ない。
学校の成績と一緒で、2学期上がったら3学期は下がる可能性が高い。
逆に、2学期落ちたら3学期は上がる可能性が高い。

高くジャンプするには、一度膝を曲げて沈み込む必要がある。
バネは押しつぶして縮めるからこそ、大きな反発力を生む。

何を言っているのかというと、「記録が落ちても落ち込まない」ということである。
特に、最低記録を叩きだしたら、最高記録が出る前兆。
上がれば下がる、下がれば上がるのである。

モチベーション維持に、どう声をかけていくかは大切である。

2012年2月13日月曜日

それができないとどうなるのか

最近大縄と8の字跳びの記事ばかりだったので、気分を変えて別の話を。

学校教育において何が大切か、ということを考える。

学校で教えることができないと、どうなるのか。
「できないと、将来困るぞ」ということが多いと思うが、果たして本当か。

勉強ができなくても、運動ができなくても、遅刻や欠席が多くても、立派になる人はたくさんいる。
たとえば、将来教師になるのであれば、一通りできていた方がよい。
しかし、そうでないなら、何が必要かは変わってくる。

縄跳びが跳べないとどうなるのか。
算数ができないとどうなるのか。
あいさつができないとどうなるのか。

できたらそれに越したことはない。
しかし、できない場合、それがどれぐらいの意味を持つのかも、時々考えてみるのがよいと思う。
意外と、どうでもいいことも多いかもしれない。
本当に、将来の職種によると思う。

あいさつができた方がいいに違いない。
しかし、一人で引きこもって創作するような仕事であれば、必要ないかもしれない。

算数などは、言うに及ばず。
将来的な実用性を求めるものではない。
算数は単純に楽しく、人生を広げてくれるからやるのである。(と、私は勝手に解釈している。)
読書や音楽、スポーツとある意味同じである。
無駄な中に楽しさがある。

大縄や8の字跳びとて同様。
跳べたからといって、将来何がある訳ではない。
しかし、集団で一つの目的に向かって努力した経験や感動は、人生の大きな糧にもなり得る。
ただ辛い思いをしただけの思い出では、何のためにやったかわからない。

何かをできるようにすることは大切だ。
しかし、目的を見失ってはならない。
それを考えるには、「で、それができないと将来どうなるの?」と自分に問いかけてみるとよい。
案外、いい答えが見つかるものである。

2012年2月11日土曜日

大縄・8の字跳び必勝法 リズム声かけをやめるタイミング

リズム声かけの最も重要な役割は、リズムを体に刻み込むことである。

ちなみに大縄では、1秒1回のリズムが基本である。
「1,2!」を1分間に60回言うリズムである。
人間の体にとって自然で心地よいリズムで、行進などにもよく使われるリズムである。
(となりのトトロの「さんぽ」など。)
これを、縄の長さや実態に応じて、少しだけ変化させる。
ゆっくりにするだけ跳ぶまでの余裕がある分、同じ回数を跳ぶのに時間がかかるので、集中力もいる。
ゆっくりにしても速くしても一長一短である。

いずれにせよ、クラスで一定のリズムがその内決まる。
跳んでいる内に、目をつぶってても跳べるようになる。
(ただし、縄がリズム通り正確に回っているのが前提だが。)
やがて、声を出さなくても、体がリズムを覚えてくれる。

そうなれば、もうリズム声かけは必要ない。
静かに、リズムに乗りつつ、集中して跳べる。
列がずれた際の修正の声や、気合いを入れるための声がよく通るようになる。
また、縄のリズムがずれた際にも、自分の中でリズムを刻んで縄を見て跳んでいるので、対応できる。

大縄なら、200回を越えることがあるようなら、声かけは必要ないと思われる。
8の字は、1分間100回が目安だが、こちらはずっと声かけをしているクラスの方が多い。
色々試してみるとよいと思う。

いつだって、正解は一つではない。
万人共通の方法は存在しない。(多くの人に有効な方法は存在する。)
その時、その場面、その集団に合った方法を選択していただきたい。

2012年2月9日木曜日

大縄・8の字跳び必勝法 声かけのメリットとデメリット

大縄・8の字跳びにおいて、リズムをとるための声かけは大切である。
全員がリズムに乗って動く、集中力を持続するなど、メリットは大きい。

しかしながら、声かけによるデメリットもある。

一つ目は、指示の声が通らなくなること。
大縄では、外にいて指示を出す役割の子ども達がいる。
全員が声を揃えてかけ声を出していると、相当大きな声でないと指示の声が聞こえない。

二つ目は、疲れること。
長く跳んでいると、呼吸が乱れる。
当然、「1,2!」の声が辛くなる。

三つ目は、周囲のリズムに頼ってしまうこと。
時に縄がぶれたり、8の字なら入るタイミングがずれたりという場面がおこる。
その時、自分自身の判断で跳ぶことになるのだが、機械的に声を出して動いていると、それができない。
主体的に跳ぶためには、リズムに乗りつつも自分自身でコントロールする必要がある。

では、声かけはした方がいいのかしない方がいいのか。

持論としては、「初期はするが、最後は要らない」である。

次回 、どのタイミングで声かけをしなくするのかをお伝えする。

2012年2月7日火曜日

8の字・大縄必勝法「集中力を持続させるための声かけ」

8の字跳びと大縄では、集中力が命である。
大縄では連続200回以上になると、集中力で記録が決まると言っても過言ではない
(8の字跳びなら、1分間に100回以上レベルからは、技能より集中力で記録が決まる。)

では、集中力を高める方法はあるのか。
全員が本気になってくれればいいのだが、なかなか難しい。
心がけるべきことは、跳んでる最中の「声かけ」である。
技能的なアドバイスではなく、「がんばろう!」「集中!」「いけるよ!」などのポジティブ声かけである。

これは、跳んでる最中に行う。
主にリーダーが行うが、他のメンバーも機会を見計らって声を出す。
「一人一回は声を出す」ことを目標に取り組んでもよい。
その際の約束事は、全員に「ハイ!」と元気よく返事をさせること。
せっかく声を出したのに無反応だと、次に出しにくくなる。
相当大きな声を出さないと聞こえないので、出す方は腹から声を出させる。
(ちなみに、8の字跳びの場合は、「ハイ、ハイ」とリズムをとるための声かけを常にしていることが多い。
従って、跳び始める前の声かけや、引っかかった時の「ドンマイ!」などが有効である。)

これが全体に広がると、やたらとテンションが上がり、なぜか急に跳べるようになる。
学級経営が大きく関わる部分だが、試していただきたい。

2012年2月4日土曜日

8の字・大縄必勝法「棒は地面と平行を保って」

大縄の回し方でよくみる失敗に、やたら棒を振り回すというのがある。
棒を振り回せば、張ることができないのはすぐ分かる。
当然、縄はびよびよ状態になる。

具体的には、棒の先の部分が、常にもう一人の回し手を真っ直ぐ指している状態でなくてはならない。
棒の先が空を向いたり地面を向いたり、右を向いたり左を向いたりしてはいけないのである。
常に、パートナーであるもう一人の回し手を指す。
言い方を変えると、棒は常に地面と平行な状態を保ちながら動いている。
そうすれば、縄が回る間の距離は固定されるので、きれいな円を描くことになる。
(縄の中心部から両端への距離が常に一定であれば、中心部の軌跡は完全な円に近くなる。)

そういう正しい回し方をして、かつ両方の回し手の力のバランスがとれた時、びよびよ状態でなくなるのである。
縄が安定しないチームは、今一度、回し手の棒の向きをチェックしてみることをおすすめする。

2012年2月2日木曜日

8の字・大縄必勝法「大縄の回し方とびよびよ状態の原因」

今回も大縄編。
回し方についてである。
前号で書いた、縄がびよびよと揺れた状態になる原因と克服について書く。

そもそも、何でびよびよ状態になるかというと、「張っていないから」である。

以前にも書いたが、回し方の基本は、「回すのではなく、張る」である。
腕を振り回したり上下に動かしたりしない。
片方の腕の肘が伸びた状態で棒の先の方を握り、もう片方の手でへそ付近を持つ。
車にたとえるなら、伸ばした腕の手がハンドルだとすると、へそ付近の手がアクセルである。

二人がタイミング良く縄を引っ張れば、張力によってほとんど勝手に回る。
(「びゅんびゅんごま」の原理)
伸ばした腕の方の手元を軽く回す程度である。
へそ付近の手の方は、ほとんど動かさずに、引っ張ることに徹する。

強めに引っ張るタイミングは地面につく直前なのだが、その後も縄を張る必要がある。
つまり、空中に縄がある時にも、常に軽く両側から「張っている」のである。
この力のバランスがとれた時、縄は完璧なアーチを描く。
(私は、「板付きのかまぼこの形」と読んでいる。
虹とかの方が素敵かもしれないが、「板」が大切なので。)
この、空中での軽い引っ張りができていないことが、びよびよ状態の原因である。

そうは言っても、うまく張れないということが多いと思う。
次号、回し方についてもう少しふれていく。
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