2016年9月29日木曜日

「これ1冊だけで大丈夫」の真偽

本のタイトルの話の続き。
よくあるキャッチコピーに「これ1冊だけで大丈夫」がある。
本当だろうか。

これは、あながち嘘とも言い切れない。
ただ前提として、その本に書いてあることを実行すればという話である。
各種トレーニング本などはまさにこれで、恐らく実行し続ければ効果は出る。
しかし現実は、実行自体が難しいか、飽きてやめてしまう。

本に書いてある内容は、どれも
1.知る
2.実行する
3.実行し続ける 
の3ステップで完結なのだが、大体が1でとまる。
2は勇気ある決断が必要だし、3は強い意志が必要。
2と3のステップを踏むということは、新しい何かを人生に取り入れるということ。
つまり、相当に余裕がない限り、今ある何かを捨てる必要が出る。
このステップには、世の多くの人が苦手な部分が含まれる。

「感動は生もの」ということを書いたが、まさにあれ。
読んだり話を聞いたりして、すごく感動する。
「もう、こんなすごいこと知ってしまった!」と興奮する。
そこで、それをいつ生かすのかである。

そのために、できそうなことを「1つ」だけ決めて、あとはきっぱり捨てる。
1つでいい。やってみる。実行あるのみ。

タイトルやキャッチコピーの真偽は、結局受け手次第でもある。
書き手はそれも念頭に入れた上で、買った人が読んだ後も満足するタイトルをつけるようにしたい。

2016年9月25日日曜日

大波はピンチかチャンスか

今はパラリンピックが話題だが、オリンピックの時期に書いた記事。

日本人選手団も目覚ましい活躍を見せ、大変盛り上がっている。
選手達はやはり期待を裏切らないというか、本当に見事である。
国を背負っている以上、失敗してもくさるというような選択肢はない。
起死回生の大逆転がある。
一見ピンチな状況をチャンスに変えるのを見ると、人は感動する。

ところで、そんな映像を見ていると「自分もあの舞台でやれたら気持ちいいだろうな」と憧れる。
そこで、こんなことを考えた。
今から自分の得意種目でいいので「明日、オリンピックに出てください」と言われたらどうだろうか。
記念とかではなく、正式に国の代表としての本気の参加である。
映像も世界中に配信される。
ものすごい「チャンス」である。ビッグウェーブである。
しかし恐らく、99.99%以上の人が断るのではないかと思う。
チャレンジしようとかのレベルの差ではない。
いくら世界の晴舞台とはいえ、いきなり言われたら「大ピンチ」以外の何者でもない。

では、どんな人にとって「チャンス」となるのか。
構えができている人である。
準備ができている人である。
そこに行くつもりで目指していた人である。

2020年からオリンピック種目になるサーフィンで例えるとわかりやすい。
例えば台風の影響で、とんでもない大波が来ることがある。
通称「お化け」といい、文字通り化け物のような大波である。
サーファーはボードにうつ伏せ状態で波に向かうので、岸から見るのとは迫力が全く違う。
この「お化け」は、上級サーファーにとっては「ご馳走」であり、大チャンス。
一方それ以下のレベルのサーファーにとっては「災害」であり、大ピンチである。

しかもこの「お化け」は大抵「セット」になっており、大波が一発で終わらず何度も連続で来る。
一度飲まれたら最後、浮かび上がろうとした瞬間にまた大波に襲われる、恐怖の連続である。
だから、「待ってました」となるのは、それ相応の修行と万全の準備をしているプロ級サーファーだけである。
それ以外のレベルの人は、そもそもそんな時には海に入らない。
遠方から波を求めて3時間の距離を車で来たとしても、「入らない」という決断をする。
悔しいが、それは英断である。
下手に入れば命の危険にさらされ、周りの人にも多大な迷惑をかけることになる。
あまりに分不相応であれば「やらない」というのも立派な選択肢の一つである。

話がサーフィンの内容に逸れたが、とにかくピンチになるかチャンスになるかは構えによる。
準備している人には女神に見えるし、そうでない人には悪魔に見える。

常にしっかり準備をして、ピンチではなくチャンスに見えるようにしていきたい。

2016年9月23日金曜日

タイトルを読み解く

読書の秋。
これからたくさん本を買う人も多いと思うので、本のタイトルについて。

電車の広告や新聞の広告欄を見ると、本の宣伝が多くある。
どれも売るための工夫が満載である。

中でも最も大切なのが、本のタイトル。
売れっ子放送作家の鈴木おさむ氏によると、次のようなことが言えるらしい。
「いい商品名で味が70点のカップ麺と、商品名が普通で味が100点のカップ麺。
より多く売れるのは、いい商品名の方だと思っている。」
(『新企画』鈴木おさむ著 幻冬舎より引用
http://www.gentosha.co.jp/book/b9629.html

ちなみに、紹介したこの本はかなり面白いのでお勧めである。
斬新な切り口の数々に、発想力が磨かれる。

鈴木おさむ氏の論からすれば、出す側から言うと、タイトルが命ということになる。
買う側として注意したいのが、タイトルだけで選ぶとはずれもあるということである。
(とか言いながら結構タイトルで買ってしまう自分。
あんまりな本を買ってしまうのも経験値だと思っている。)

個人的には、タイトルが誇大広告であるものも多いのが気になる。
「簡単に痩せられる」とかは、ほぼ100%誇大広告である。
(本当に効果が出る人もいるので、全部とは言わない。)
ただ「そんな訳ない」とわかっていても買ってしまうというのがポイントである。
いつもうまくいかない現状を、お手軽に変えたい。
そんな心理を上手についてくる。
そして、売り手も買い手も、そこは腹の底ではわかっている「お約束」な感じもある。

自分の本も、タイトルには気を遣った。
まず『やる気スイッチ押してみよう!』
https://www.amazon.co.jp/dp/4181646149
子どもだけでなく教師自身のやる気スイッチを押してみようという意味合いを含む。
そのまま、やる気を出すことを目的とした方法と理論、具体例が書かれた本である。

一方『ピンチがチャンスになる「切り返し」の技術』は、やや誤読がされやすい。
http://www.amazon.co.jp/dp/4181907120
「はじめに」を読んでもらえるとわかるのだが、治療ではなく予防の本である。
ピンチに陥ってからチャンスに這い上がる本ではない。
ピンチの場面事例を予め知ることで、チャンスに変える本である。
ピンチに陥るかチャンスになるかの境目という局面において、切り返しの方法・理論・哲学を書いた本である。
現在ピンチでない人にも読んで欲しい本である。

タイトルの示すところは何なのか。
本のタイトルの真意を読み解くことは、実に大切である。

2016年9月21日水曜日

型に踊らされない

アクティブ・ラーニングという言葉が新聞の紙面を賑わしている。
一ヶ月ほど前、アクティブ・ラーニングを全教科に導入することが明示された。
教育の世界だけで先行して広まっていた言葉が、これで一般化してくる。
授業参観での保護者の目にも「担任の先生の授業はアクティブ・ラーニングか」という視点が多く入るようになる。
今後、これに関する研修も増えるはずである。

しかし何でもそうだが、型にはまるのが怖い。
「これをやったらアクティブ・ラーニング」というものはない。
子どもが本当に主体的かつ協働的に学べているかである。
方法と理論は最低限学ぶ必要がある。
それ以上に、根底に流れる思想まで考えていないと、型にはまって応用が利かない。
例えるなら、台形の面積を公式で求められるが説明できないというのがその状態である。
「どのような経緯でその公式があるのか」「どんな歴史から生まれたものか」というところまでわかると、応用が利く。

「子どもがよく発言していた」「グループで活発に意見交換していた」というのは、あくまで現象。
内実は、子どもにどんな学びや気付き、思考の深まりがあったかである。
もっと長期的視点でいうと、今後の人生で役立つかどうかである。
アクティブ・ラーニングは生涯学習の視点からも重要視されている。
生涯を通して学び、主体性を持って広く他と協働できる国民を育てたいということである。
学び嫌いにしたり、ロボットみたいにいうことをきくだけの人間、身勝手で協働できない人間を育てられたら困るということである。

流行としての社会の要請にはしっかり答えつつ、不易の本質の部分は見失わないようにしたい。

2016年9月19日月曜日

詰め込み教育からの脱却?

1月ほど前の新聞記事からの雑感。

学習指導要領改訂について。
「日本のこれまでの教育は詰め込み型だった」。
「一方的な講義形式の授業からの脱却」。
「アクティブ・ラーニングへの転換」。
現職教員の中には、これらの言葉に違和感を覚える人も多いのではないかと思う。

授業で、子どもに詰め込んでいるだろうか。
授業中、子どもの声など聞かない、交流などさせないで、一方的に喋りまくっているだろうか。
「言うことをきけばいい。考える必要なんてない。」と言っているだろうか。

どちらかというと、そもそも聞かない、入らないというのが悩みである。
現在の学習指導要領の内容を授業で扱う時、詰め込むほどの大量の内容でもない。
(まあ、ちょっと内容が多いかなと思う学年もある。)

ある程度詰め込む必要性が出るのは、例えば受験をするような場面である。
仮に難関中学を受験をするとなれば、学習指導要領の内容をクリアしただけでは足らないだろう。
求められる力が違う。
一定の時間内に、能率良く答える必要が出る。
それには、どうしても繰り返しの訓練が必要である。
手順の省略化が必要である。
ここは否定できない。

しかし、少なくとも現行の小学校での指導方法のスタンダードは、詰め込み型ではない。
どちらかというと、自由にやらせすぎて、うまく力がつかないという悩みである。

ではこの通達と現場感覚とのズレは何か。
伝わり方の時差もあるが、それ以上に「問題点を問題」とするからである。
問題なくやれているところには着目されない。
クラスで、手のかかる子どもに目がいってしまうのと同じである。
学級だと、きちんとやっている子どもを認めてあげないと反乱が起きるが、この場合は起きない。
これは仕方がない。
ただ、それが世間一般の方々に、現在の学校の姿だと思われるのも困る。

情報は、あくまで「情の入った報せ」。
このことに限らず、氾濫する情報を鵜呑みにせず、現物を見て自分で判断する必要があると感じた。

2016年9月17日土曜日

ピンチはチャンス~ポケモンGO現象から~

ポケモンGOは社会現象化するほどの大人気ぶりである。
予想通り歩きスマホやその他モラル面の問題も起きた。

ただ、問題の「歩きスマホ」への意識が高まった人が多いようにも思う。
トラブルが起きた場合は、ニュースで即周知される。
注目が集まっているのだから「〇件起きた」と詳細に伝えてくれる。

そうなると、否が応にも外でのスマホの使い方を意識させられる。
今までは何となくダメぐらいに思われていたことが、はっきり問題視して指摘されている訳である。
そして「ポケモンGO」をやっている訳ではなくても、歩きスマホ自体がそれに見える。
「今話題のマナー違反実行中」に見える訳である。

ちなみに、このゲームは歩きスマホをしなくても遊べるので、マナーを守ってやっている人もいる。
画面を見ずに歩いて、バイブでお知らせが来たら止まってゲットという遊び方もできるようである。
どちらが多いかは統計がないのでわからないが、少なくともマナー違反でない利用者にとっては騒がれたくないはずである。
必然的に、規範意識のある人は、普段の外でのスマホ利用の仕方に改善が起きる。

これは、不祥事が起きた時とも似ている。
一部の不祥事が大きく報道されると、それがものすごく意識されるようになる。
飲酒運転が激減したのは、厳罰化だけでなく、問題の顕在化による社会の規範意識の高まりによるものも大きい。

教育の現場でも適用できる。
教室で起きた諸問題は、見直しのきっかけである。
今まで何となくしか意識していなかった問題が、表面化されることで真剣に考えるようになる。
結果、より良い学級経営につながっていく。

ピンチは、チャンス。
ポケモンGOの普及をきっかけに、逆にスマホの利用マナーが改善される可能性もある。
その上で、楽しみとしても経済効果としても良いものになればと思う次第である。

2016年9月15日木曜日

なりたい姿を思い描く

残暑厳しく、暑い日が続く。
あまりに暑く天気の良い日は、無防備に外を歩くと、しかめ面になる。
別に嫌なことがあった訳ではなく、眩しいからである。
眩しければしかめ面になるというのは、生理的反応であり、反応自体は変えられない。
(集合写真で、目の色素が薄い人はしかめ面が多いのも、致し方のないことである。)
太陽が眩しく照るのも、もちろん変えられない。

例えば「夏は太陽が眩しい」とわかっていれば、帽子を被るなりサングラスを付けるなり予め対策をとる。
現象を直接変えようとせず、その元になる行動を変えるということである。
望ましくない反応が起きないように、自分の側でできることをやるということである。

切り返しの技術も同様で、構え、準備が命である。
授業中にこんなことを言ってくるだろうなと予想できれば、対策がとれる。
子どもといい教師の雰囲気を作りたいと思うから、話のネタを仕込んでおいたり、笑顔で教室に入ったりする。
逆に、このままでは後々に良い方向に進まないと思えば、びしっと叱る時もある。

つまり、何事も願いから始まる。
「こうありたい」という自分の姿が思い描ければ、自ずと対策はとれる。
気分は選べないが、その気分を引き起こす行動は選べる。

自分の望む方向を描き、そちらに進める行動を選択していきたい。

2016年9月13日火曜日

汎用性を重視する

親友の飯村友和先生が、私の著書と次のセミナーについて、ブログの記事に書いていた。
http://etomo.exblog.jp/25842910/

書かれている通りで、自分にしか使えない手法は、本に書いても仕方がない。
だから、汎用性のある、誰でも使える可能性のあるものを書いている。

誰にも真似できないすごい実践を紹介する本もある。
これはこれで価値がある。
最終的には、自分だけの実践になるのだから、特に年数を重ねた人にとっては刺激になる。

ただ、私の書いた本は、「新任3年目までに知っておきたい」とあるように、若手向けである。
飛び道具的な実践は面白いかもしれないが、火傷する可能性が高い。
それよりも、まずは基本を身に付けて欲しいのである。
登山だって、装備や天候への知識などの安全面を整えた上で挑戦した方がいい。
高い山に挑戦するのは、その後でも遅くはない。

汎用性は外せない視点である。
本の中にも、私が「こんなすごいことしてますよ」というような記述は、残念ながら全くない。
(あったら書くのかもしれないが。)
とにかくない。
あるのは、「誰でもできる」実践のみ。
誰でもできるけど、意外と気付いてないというような視点、切り口で書いた。
それで、学級運営や子育てへの希望や元気、加えて手法も知っていただけたらと思っている。

読んだ方に何かしらの気付きがあったら、著者として幸いである。

2016年9月11日日曜日

正常を知っているから異状に気付く

日常生活の気付きからのブリッジング。

毎朝納豆を食べる。
色々な種類を試す。
すると、違うものでも共通点が結構あることに気付く。
共通項がわかるからこそ、違いもわかる。

先日、いつもの納豆を食べた。
混ぜた感触が何かおかしい。
いつもよりさらっとしているのである。
何か、変である。

賞味期限を調べてみると、まだまだ先である。
賞味期限切れではない。

試しに、一口食べてみる。
豆がいつもより少し硬い。
何か「じゃりじゃり」した食感である。
期限切れの納豆に多い食感である。(わかる人には伝わると思う。)
においも違う。

さて、明らかにおかしいのでこれはやめる。
この時点で、いくつか原因が考えられる。

1 購入前に保存状態が悪くて傷んだ
2 購入後に保存状態が悪くて傷んだ
3 製造過程でのミスがあった

まず、1を疑う。
しかし、冷蔵庫を見ると、同じものがもう一つある。
三個で一セットなので、まだ一つ余っていた状態である。
一個は普通に食べた。
1の場合なら、三つとも傷むはずである。
つまり、1の可能性は低くなる。

2を疑う。
それなら、最後の一つも悪いはずである。
食べてみると、問題なしである。
2も消えた。

この場合、現時点での推測は3。
この1個にのみ、イレギュラーなミスがあったと考える。
大量の製造過程において、やむを得ないともいえる。
納豆菌がうまく働いてくれるかどうかは、完全にはコントロールできない。
これは、諦める。

異状に気付けたのは、自分が毎朝納豆を食べるからである。
要は、通常の状態がわかるから、異変に気付けるということである。

健康観察時に、いつも元気な子どもが元気がなくなったら気付ける。
そこを、普段から適当な返事で済ませていると、変化に気付きにくい。
(これは、確かずっと以前に飯村友和先生のセミナーで聞いた話である。)
だから、元気なら元気な声で返してと求める訳である。

家庭でもこれはいえて、普段接しているからこそ家族の異変に気付ける。
顔もろくに見ないで会話もしないで生活していては、異変に気付けない。

大きな犯罪があると、近所の人へのインタビューが出る。
「そんなことをする人には見えなかった。明るかった。」と言う。
当然である。
そんなに接してないのだから、異状に気付くはずがない。

普段からよく見ること。
そこからその相手の「普通」の状態を知ること。
対人、対モノに関わらず、大切な視点であると思う。

2016年9月9日金曜日

事実は受け手次第

些細な場面からの気付き。

先日車を運転中、大きめの交差点の信号で停止していた。
こちらは右折したいが、対向車線の端にも一台停まっている。
この一台が直進後にいこうという流れである。

あちらは大きなキャンピングカーである。
停車中なのか駐車中なのかわからないぐらい、歩道側に寄せている。
大きいからなのか、癖なのかわからないが、とにかく歩道ぎりぎりに寄っている。

信号が赤から青に変わった。
しかし、対向車が動かない。
待ってても動かないので、こちらが先に右折しようと動き始めた。
すると、相手も動き始めた。

この場面である。
ごく些細なことだが、どう捉えるか。
こちらとしては、正直とまどった。
早く行って欲しいのに、動かないという状況。
こちらの瞬時の捉えとしては「ぼーっとしてて動かない」または「やはりキャンピングカーを駐車中」である。

もしかしたら、真実は「譲ってくれた」のかもしれない。
事前に合図を送ってくれていて、こちらが気付かなかっただけかもしれない。

ただ、事実として残るのは
「何か、迷わされて嫌な感じ」だけである。
真実とは別に、それが事実である。

何度も書くが、受け手がどうとるかが、相手にとってのすべての事実である。

善意でやったこと、一生懸命やったことが、相手にとってそう伝わるとは限らない。
いや、善意や一生懸命こそ、相手にとって迷惑ということすらある。
だから、相手に応じた伝え方というのは、非常に大切になる。

1学期、善意をベースに全力を尽くしたことと思う。
これは、どの職業であっても「前提」である。
教員採用試験に例えるなら「子どもが好き」ということと同じである。
これは大前提であり、アピールポイントにはならない。(通常、子どもが嫌いな人は教員採用試験を受けない。)

それよりも、相手にその善意、全力が「どう伝わったか」「どんな影響があったか」が大切である。
サービスの提供先に「作業効率が上がった」「儲かった」というような有形のメリットがあったか。
または「安心」「信頼」などの無形のメリットが与えられたか。
提供先は、企業なら、御客様や取引先。
教師なら、子どもである。

どう伝わり、どんな力がついたか。
どんな変化があったのか。
通知表を渡す場合、それが子どもにどう伝わるか。
通知表を見て「よくがんばった」と自信を持たせたり、「次こそは!」とやる気を発奮させたら、大成功である。

どんなことも、受け取る相手の解釈次第という視点を常に忘れずにいたい。

2016年9月7日水曜日

対価に見合う価値の提供

商品を買う時、通常買い手は支払った金額と同等かそれ以上のメリットを感じて買い求める。
期待したものよりも良かったら嬉しいし、悪かったら残念な気持ちになる。
100円払うのも100万円払うのも、その点では同じである。

要は、本物よりも期待値を上げすぎると、良いものでもがっかりされる可能性がある。
逆も然りである。

例えばあなたに異性を友人が紹介してくれるという時。
友人は先方にあなたのことを「女優の誰々似の絶世の美女」と紹介しておいたと言われたとする。
恐らく回れ右して帰りたくなるに違いない。
そこまで期待値を吊り上げられたら、実際どうであれがっかりされる可能性が高い。

逆に「誰似かといわれたら、カエルに似ている」と紹介してくれていたとする。
こうなれば、実際会った時に「そんなに悪くない」と思ってもらえる確率アップである。
(問題は、その前ふりの時点で断られないかどうかである。)

つまり、興味を持ってもらうためのPRはした方が良いが、誇大広告は良くないということである。
商品であれば、適正な情報を流し、適正に買ってもらうのが筋である。

そこで自分の著書を見てみる。

新任3年目までに知っておきたい

ピンチがチャンスになる「切り返し」の技術

https://www.amazon.co.jp/dp/4181907120

前半はいいとして、後半の「ピンチがチャンスになる」が誤読されがちなので補足。
この本は、ピンチになってから読むより、余裕のある内に読む本である。
前書きにも書いているが、「治療医学」よりも「予防医学」である。
ピンチかチャンスかの境目を分ける技術という位置づけである。

時間や費用といった貴重なコストをかけていただく以上、価格以上の価値は提供したい。

2016年9月5日月曜日

若手育成の視点を持つ

主体的かつ協働的な学習。
つまり、自分だけでなく、仲間にも関心を持って助け合って学習するということである。

これを、教師の側が率先垂範する必要がある。

子どもは大人の真似をするのだから、まずは教師がやる必要がある。
授業に一生懸命打ち込むのは、教師が一生懸命準備に打ち込むからである。
(空回りすることも多々ある。)
主体的かつ協働的に学ぶのには、教師がそういうことをしているのが前提である。

つまりは、若手育成の視点である。
自分の学級で満足せず、後輩に気を配れているか。
それをしないで協働を求めても、うまくいくはずがない。

いつでもどんなことでも、主体変容・率先垂範。
どんな流行が来ても、不易の鉄則である。

2016年9月3日土曜日

会議の本質は、意志決定の確認

残業の原因の最たるものは、会議。
会議の数と時間を減らすのが一番効率がいい。
しかし、自分で会議の数や時間を変えることは難しい。
そこで、あくまで提案者としてできることを考える。

会議の本質は、「意志決定の確認」である。
職員会議での議論は、人件費の浪費である。
全職員が出席する職員会議は、ものすごい人件費がかかっている。
大きな職場なら2時間会議すると、10万円以上かかっている計算になる。

自戒だが、職員会議で1時間の議論になったことがある。
単純計算で5万円の提案。
そんな高額な提案を滅多なことでしてはいけない。
原案ができていなかった証拠である。(大反省。)

そのかわり、職員会議で通すためなら、出席者の少ない部会や運営(企画)委員会ではたっぷり時間をかける。
ここでももちろん、原案は提案者がしっかりと作ってくる。(ここが一番大切。)
「どうしましょうか」などとやると、どうしても時間がかかる。
基本は「これでいかせてください!」である。
(ちなみにこれは、ずっと以前に聞いた、野口芳宏先生の学びから。
 提案者の原案とは二択ではなく、こうしたいという一つの案に絞られているべきである。)

間違ってたら、そこで修正してもらえる。
原案は、「相談」ではなく、「提案」である。
相談は、事前に個人的にしておくものである。
公の会議の場でするものではない。

提案者であるなら、原案は熱い思いと厚い提案理由できちんと作っておく。
そして職員会議は、あくまでその意志決定を全体確認する場にしたい。
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