2011年4月30日土曜日

「何を言うか」より、「誰が言うか」

「教師理解」は重要である。
なぜか。
ここに、教えたことが子どもの中にストンと入るかどうかがかかっているからである。
つまり、「この人が言うなら」という状態なら、吸収力が違うということである。

ここに「マザー・テレサ 愛と祈りのことば」(PHP)という本がある。
マザーテレサの言った言葉を翻訳して、そのまま載せてある本である。
かなり、いや、100%キリスト教寄りである。
「愛は、この世で最も偉大な贈り物なのです」といった言葉が並ぶ。
私はキリスト教徒ではない。
しかし、マザーテレサが言うことなら、「そうかも」と思う。
全く同じ言葉を、全然知らない人が言ってきたら、きっと「そんな訳ないだろう」と思う。
誰が言ったかによって、解釈が真逆にもなるのである。

「こけちゃいました」という言葉は、きっと今まで数え切れない人が口にしたと思う。
何てことのない言葉である。
しかし、これとて、誰がどんな状況で言ったかによって、感動を与える言葉にもなる。

これからたくさんのことを教えるにあたり、「教師理解」は重要である。

2011年4月29日金曜日

「教師理解」が大切

毎度使わせてもらって申し訳ないが、野口氏から学んだ言葉である。

「生徒理解」が大切だとよく言われる。
一人一人の子どもの状態を把握することは大切だ。
しかし、それ以上に「教師理解」が大切であると野口氏は言う。
つまり、教師のことを子どもに理解してもらうのである。
学級開き後、「こんなクラスをつくっていきたい」と宣言する。
これも、教師理解の一つである。
教師の考えを伝えている訳である。
どんどん、これを続けていく。
「先生は、こんな風に考えるんだ」
「自分達にこうなって欲しいんだ」
「力をつけてくれる先生だ」
こうした理解を深めていけば、良い関係が築け、教えたことが素直に入るようになる。
結果、子どもに力がつく。

担任発表時は、「教師理解」ができていない。
最初の反応は「思い込み」「第一印象」である。
1年を終えた時、「○○先生にまた教わりたい」と言ってもらえるよう、教師理解を進めたい。

2011年4月28日木曜日

「自粛」しないのは悪いことか

復興に向けて、世界中が日本を応援してくれている。
ありがたいことだと思う。
被災地の人々のために、できることをしようと日本中も動いている。
すばらしいことだと思う。
しかしここに際して、価値観や考え方の違いが世の中で起きている。

「自粛」についてである。
震災で苦しんでいる人がいるから、享楽的な行為は一切慎むべきだという考えがある。
一方で、消費行為が滞ると、経済が悪化し、被災地にとっても結局マイナスだという考え方もある。

私は、自分のやるべきことをきちんとやることが、一番大切だと思う。
ボランティア活動として、被災地へ赴き、活躍するのは、尊い行為である。
しかし、通常通りお金をたくさん稼ぎ、寄付をしようとする人も、同じく尊い行為である。
いや、寄付しなくても、大きな流れでみたら、結局人のためになっているはずである。

ここが、押しつけられない価値観だと思う。
道徳教育でこういうことを扱う場合は、強制ができない。
それぞれの価値について話し合う授業が考えられる。
善意の強制も、こういうことを扱う際には、慎重にならざるを得ない。
良い悪いの二元論が世を賑わすが、ここに振り回されないようにしたい。

2011年4月27日水曜日

できるから、できないから教えられること

「道徳を教える人間が必ずしも道徳的である必要はない」
大学時代、道徳教育の授業をしていた先生の言葉である。
ある意味、正しいと思う。
「数学の苦手な教師に算数を教える資格はない」と言われたら、多分小学校の先生は大抵困る。
算数も国語もできて、音楽も体育も何でもできるパーフェクト教師など、見たことがない。
自分はできないけれど教えるというのは、あり得ることである。

しかし、できた方がより教えられる。
逆上がりができない教師より、できる教師の方が、ポイントを押さえて教えられる。
ピアノや書道のような特殊な技能に至っては、教える側が完全にできることが必須である。
(書道は無理だが、書写の授業は可能である。)

一方で、できない方がいい面もある。
算数が苦手な子どもの気持ちは、苦手な教師の方がより理解できる。
道徳的すぎる人間は、不道徳な人間が理解できない可能性がある。
「ま、先生もできてないけどね」ぐらいのスタンスの方がうまくいく面もある。
何事も、臨機応変に考えることが、大切である。

2011年4月26日火曜日

「ハイどうぞ」「ありがとう」

プリントを後ろの席に回す時、「ハイどうぞ」。
受け取る時に「ありがとう」。
有田和正氏の実践である。
これを知ってから、私は毎年4月の最初に必ずこれを指導する。
指導の仕方は至って簡単。
まず、言うことを教える。(善意で、強制するのである。)
プリントを配る。
「ハイどうぞが言えた人?」誉めまくる。
「ありがとうが言えた人?」誉めまくる。
「1回でできるなんて、天才!」
もう1回、プリントを配る。
先と同様のやりとりをする。
その後、今度は「さっきできなかったのに、今はできた人?」ときく。
「言われたことをすぐ直せる、素直な証拠です。素直な人は、必ず伸びます。」
断定的に誉める。
さらに、もう1回。
大抵、ここで全員手が挙がる。
「このクラスな素直な人が集まってるね!これからぐんぐん力がつくね!」
などと、超前向きに持っていく。
これだけで、初日は完成。
後は、年間通して続けていって、ちょこちょこ確認して、誉める。
最初の1週間はまめに誉め、1ヶ月続けたら、後の確認は月に1回でもいい。
ポイントは、できている子を誉めるだけで、できていない子には、一切ふれない。
やれというのではなく、できることなのにやっていないから、誉められない。
それだけのことである。
そういうことを、ここで学んでいく。
たった一つの行為だが、ここから始まる教育効果の波及は大きい。
おすすめの実践である。

2011年4月25日月曜日

1日100回「ありがとう」

「ありがとう」を1日100回言うと幸せになる、ときいたことがある。
本当か嘘かは知らない。
100回の根拠も、よくわからない。
ただ、悪いことは起きなさそうである。
いいことが起きそうである。
だから、私はそういうことを、子どもにも教える。
すると、「ありがとう」を意図的に使う子どもが増える。
意図的に使っている内に、自然に使えるようになる。
言葉は技術で、使えば使うほど身に付いていく。
サッカーやバスケの練習と一緒である。
意識して練習している内に、やがて動作が自動化する。
「ありがとう」を、習慣化させたい。
(ちなみに子どもにこれを教えると、いきなり
「ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう・・・」
と連呼する子どもが出る(出現率100%)。
少しでも感情が入らないとダメなことも、そこで教える。
ありがとうは、相手があってのことである。)

2011年4月24日日曜日

善意の強制

タイトルは、以前に何度も紹介いている、野口芳宏氏の言葉である。
「善意」なのに「強制」。
一見矛盾することのように思えるが、教育はこれが中心になる。
勉強をやりたくない子どもに、面白いから頑張ってやってみなさいと言って授業する。
最初はイヤイヤだったけど、やっている内に楽しくなって、最後は好きになってしまう。
最初強制であっても、善意からくるものであり、最終的には相手のためになっている。
こういうことは、教育の中でしばしば起こる。

道徳教育の始まりは、完全にここからである。
なぜなら、「不道徳」な状態の相手に異なる価値観を与える訳だから、当然相手は嫌がる。
嫌がるからやらなくていいというスタンスだと、いつまでもやらない。
しかし、こちらは「善意」で、良い行為を「~しよう」と、「強制」するのである。
例えば「ハイ」とはっきり返事することは、「返事をきちんとしなさい」と1回、10回いや100回言っても、身に付かない。
「ありがとう」も、習慣化するまでは相当の歳月を要する。
それでも、言わせる。
必ず、言わせる。
心から言えるようになるのは、ずっと後でもいい。
習慣化することで、いずれ本当の意味が分かる時が来る。
「はじめに、言葉ありき」
キリストも釈迦も同様の言葉を残している。
言葉が、心を作っていく。
だから、まずは良い言葉を使うことを「強制」していく。
そういう考え方も、あっていいのではないかと思う。

2011年4月23日土曜日

「ハイ」「ありがとう」

道徳教育は学校教育全体を通してなされるものである。
「道徳」の時間に教えるものもあるが、多くは学校生活の中で行われる。

呼ばれたら「ハイ」と返事をする。
何かされたら「ありがとう」と言う。
この2点を徹底する。
これが道徳教育の土台であると私は考える。
どちらも、相手を大切にしている行為である。
こういうことができないで、思いやりだ何だと言っても、机上の空論である。
震災直後、CMで「思いは見えないけれど、思いやりはだれにでも見える」という詩が流れ、話題を呼んだ。
その通りで、思っていることは言葉や行動にしないと、伝わらないのである。

凡事徹底。
以前にも紹介した、イエローハットの鍵山氏の座右の銘である。
凡事だからこそ、徹底することは難しく、そして大切である。

2011年4月22日金曜日

がんばって+るね

自信がなくなる時がある。
主として、疲れている時がそうなりがちである。
結構、がんばってるのに、なかなかうまくいかない。
そういうことはある。
大人でも子どもでも、同様である。

そういう時に、「がんばって」と言われると、きついことがある。
もう、本人的には目一杯がんばってるからである。
または、がんばれないからである。
でも「がんばってるね」と言われたら、悪い気はしない。
現状を肯定している。
認めてもらってる感じがする。

「がんばって」が悪い訳ではない。
明らかにやれるのに、完全にさぼっている場合には、「がんばって」の方がいい。
使う場面である。
しかしほとんどの疲れている人には「がんばってるね」の方がいいように思う。
言葉は、ほんの少しの変化で、大きく意味が変わる。

2011年4月20日水曜日

子どもと何でつながるか

学級経営には、それぞれの人独自のやり方がある。
私は実習生の頃、実習担当の先生に「子どもと何でつながるか、考えることが大切」と教わった。
この子とは、日記でつながろう。
この子とは、おしゃべりで。
この子とは、遊びで。
この子とは、算数の授業で。
この子とは、朝のあいさつで。
無数に手段がある。

全ての子どもと、同じ手段でつながる必要はない。
個性があるので、無理が生じる。
会話が苦手だけど、書くことが好きな子どももいる。

大切なのは、その子に合ったつながりを持つこと。
つながる手段を、なるべく多く用意したい。

2011年4月19日火曜日

負荷をかけて強くする

知っている方も多いと思うが、野口氏はどの学年でも板書を漢字で書く。
学年別漢字配当表などおかまいなしに、一年生でも漢字で書く。
ただし、読み仮名は振り、子どもが書く際は、ひらがなでも構わないと伝える。

これには、「子どもはやればできる、やらねばできない」という考え方が根本にあるように思う。
漢字で書くことの是非については個人の考え方が色々あると思うので、ここでは書かない。
ただ、負荷をかけた分だけ強くなる、ということは間違いなく言える。
筋肉と一緒である。

まだ小さいから、とか、まだ子どもだから、とか言わず、やれることはやらせてみる。
そういうことも、子どもを強く育てるために大切だろう。

2011年4月18日月曜日

国語の学力をつけるとは

このタイトルの問いに対し、どう答えるか。
文章を読み解けるようにする
文章を書けるようにする
漢字を読める・書けるようにする
話す・聞く力をつける
などなど。
なかなか明快に答えるのは難しい。

野口芳宏氏は、次のように述べられていた。
「国語の学力をつけるとは、語彙を豊富にすること。」
明快である。

語彙が豊富であることは、先に挙げたような力の基盤である。(と、私は解釈した。)
子どもの語彙を増やす。
このことが達せられれば、少なくとも「何の力もつかなかった授業」を、避けられそうである。
人によって異論はあると思うが、一つの考え方である。
一点突破でもいいから、授業をした時には何かしらの力をつけさせたい。

2011年4月16日土曜日

言葉を自覚的に用いる

先日の野口塾で、講師の野口先生が言われたことである。
「国語の授業では、特に一つ一つの言語を自覚的・意識的に用いなければならない」

これは、その後の懇親会でも同様のことを言われていた。
今日の感想を全員一人ずつ述べる場面。
若い先生から言っていたのだが、「~の方」と「~と思います」をやたらに使いすぎるとのこと。
途中、「一回言う毎に500円の罰金」などと冗談で出たが、それでもみんな多用していた。

自分の声をレコーダーで聴くのが一番、改善に効くという。
自分でも、是非試してみようと思います。(という感じで、多用されていた。)

2011年4月15日金曜日

あれども見えずを問う

1ヶ月前になるが、野口芳宏先生の「野口塾」に参加し、学んできた。
今日から数回、学んだ内容をお伝えしていく。

最初の教材は「いなばのしろうさぎ」。
私は、最初から勘違いしていた。
「いなばの白うさぎ」だとずっと思い込んでいた。
実は白ではなく、「素人」の「素(しろ)」で「素うさぎ」。
つまり、「はだかのうさぎ」という意味だと初めて知った。
(うさぎが服を着ていないとかではなく、皮を剥がれているので、はだかのうさぎ。)

私はしろうさぎが「白」でなく「素」などと、疑いもしなかった。
危うく、子どもにも、そう教えるところだった。
問われなければ、一生気付かない。
あれども見えず。
授業では、そういう新しい見方を与えたい。

2011年4月14日木曜日

今、何のゴールデンタイムか

「ゴールデンタイム」と聞くと、一般的にテレビのことを連想するのではないだろうか。
午後7時から9時ぐらいまでの、「お茶の間」の時間である。
「月9」という言葉も生まれ、相当浸透しているように思う。

テレビ以外にも、1日24時間、それぞれ時間毎の「ゴールデンタイム」がある。
つまり、それをするのに最も適した時間である。
これは、ある程度個人差(朝型、夜型など)はあれど、共通しているものもある。

例えば、食事の後は、「リラックス」のゴールデンタイムである。
一番不向きなのは「学習」。
胃に血液が集中しており、脳が働いてくれない。
「午後一番の講義」は、すばらしい内容でも眠くなる。
多くの大学の講義は、その時間中、最良の子守唄と化す。
なので本来、宿題なども夕食の前か早朝が良い。
しかしそこはそれぞれの家庭の事情もあるので、とやかくは言わない。

例えば、私は「朝型」なので、朝一番が「学習」のゴールデンタイムである。
「運動」もいい。
運動に適しているというより、運動により身体が目覚める効果がある。

小学校教師の場合、勤務中は大抵が授業時間で、何をするとかは選べない。
午後4時ぐらいから、やっと空く。
ここを、何のゴールデンタイムか定めることが、大切である。
それぞれの日によって違うのだが、うかうかしてるとあっという間に5時になる。
先日伝えた「緊急性」「重要性」の2軸を基準に、予め、何をするかリストアップしておく。
そうすることで、何となく失われていた1時間が、輝く1時間となる。
途中、不意に仕事を頼まれる時がある。
余裕のある時はその場で受けても良い。
そうでない時は、期限をきいて「後で行います」と答えることも大切である。

ゴールデンタイムを、意識しよう。

2011年4月12日火曜日

やらないことを選ぶ

何かをすると決めること。
何かをやらないと決めること。
実は、本質的にはどちらも同じ意味である。

時間は有限であり、あらゆる全てのことをこなす時間はない。
だとすれば、優先順位をつける必要がある。
今、すべきことは何なのか。

やることは、「重要性」と「緊急性」の二軸で4分割できる。
1重要かつ緊急
2重要だが緊急でない
3重要でないが緊急
4重要でなく緊急でもない

何を1~4と見るかは、その人の価値観次第である。
例えば授業の準備は、場合によって1~4どれにも分類され得る。

教師の仕事は主に3に追われがちである。
アンケートやちょっとした事務処理のようなものである。
(ただし、事務仕事をきちんと処理できるのは、重要なことであると思う。)

4に振り回される人も多い。
新採の頃など、まだよく分からない状態だと、ここに重点をかけてしまう。
若気の至りということで、エネルギーもあるので、よしとしよう。
しかし本来、4は真っ先に切るべき仕事である。

1は否応なしにやらざるを得ないので、やるかどうかの選択の余地はない。
この時間は天引きである。
工夫してやるしかない。

後回しにされがちなのが、「2重要だが緊急でない」こと。
これは、「いつかやりたい」というものである。
将来に関わる大切なことであることが多い。
しかし、緊急性がないので、いつまでもやらずに放っておかれがちである。
ここをやる時間を確保したい。

やりたいことをするために、何か一つ、やめてみるのも、戦略である。

2011年4月11日月曜日

基本力をつける

「基本力」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
中谷彰宏氏の著作の中で知った言葉で、造語である。

中谷氏は、女優さんのオーディションを例に、基本力について述べている。
オーディションにおいて、審査員の前ではみんな笑顔である。
ここで、差はつかない。
しかし、審査員の前に出てくる時や終わって退場する時、ここで差がつくのだという。
特に「ハイ、ではこれで」と言った後は、気が抜ける。
ここで笑顔がなくなる人がほとんどなので、ここを見るという。
基本が笑顔な人は、ここでも笑顔である。
控え室でも、笑顔である。
作りものでない実力が、ここにある。
これが、基本力である。

私は、学級で市民縄跳び大会に参加するにあたり、次のような指導をした。
強いチームは、見ただけで分かる。
いつも落ち着いている。
マナーがいい。
他のチームが跳んでいる時に、無駄なおしゃべりをしない。
跳んでいない時に、差がつく。
そういう話をした。
大会当日は、どの子どもも大変立派な態度で臨んでいた。

基本力の話は、他のあらゆる場面で適用できる。

2011年4月10日日曜日

捨てる覚悟

仕事用デスクを例に。
まずは、レギュラーメンバーの精選。
一週間の内、必ず一回は使っている優秀選手である。
お気に入りのペン、ハサミ、電卓等の必須道具。
これだけは外せない道具に絞る。
逆に、何本もある同種のボールペンや、使っていない道具やいつのだかわからないお菓子等は、即捨てる。
とにかく捨てることである。
一番手強いのが、「いつか使うかもしれないもの」。
こいつは手強いので、「教室の棚の奥の方」とか、ほこりをかぶりそうな場所へしまう。
具体的には、書類である。
昨年度の文書や、過ぎ去った行事の文書等、今年度中に使わないと判断したものは、別室行き。
デスクの引き出し内は、特に使うレギュラーメンバーだけに精選する。
そして、机上。
もう、何も置かない。
何も、である。
例外を認めない。
ペン立ても置かない。
ペンは引き出しにあれば大丈夫。
それぐらい徹底すると、すっきり気持ちよいデスクのできあがりである。
高さのあるものが一切ないので、周りの人とも会話しやすい。
(会話したくない人は、逆に書類ファイルを立てておくのも手である・・・)

物を捨てる時は、覚悟がいる。
「何かを得ることは、何かを失うことである」
けだし、名言である。

2011年4月9日土曜日

整理整頓のススメ

整理整頓の話が途中で終わっていた。
(黄金の3日間は、時期ネタであり、そちらを優先した為。)

整理整頓は、仕事をする上でのメリットが大きい。
机上に何もないと、不在時に新しく置かれた書類がよく目立つ。
すぐ仕事にとりかかれる。
机の上が散らかっていると、探し物に時間がかかる。
探し物をする時間が一番の無駄である。
そして、精神衛生上もよろしくない。
周りの評価も下がる。
机上の飲み物をひっくり返しやすくなる上、その時の被害も大きい。
悪いことづくしである。

思い切りのいい人は、じゃんじゃん捨てる。
捨てる行為は買い物と同じで、脳が快楽を感じる。
そうすると、捨てるのがくせになり、整理がうまくいく。
いつも机上がきれいになり、何となく気分がいい。
仕事がはかどる。残業が減る。(多分。)
よって、教育メルマガなのだが、仕事術として外せないと考え、これについて提案したい。

大体、子どもを見れば分かるが、整理整頓ができている人は少ない。
なぜか。
日々、物が増えるからである。
物が増えているのに、処分しないので、やがて溢れる。
哀しいほどにぐちゃぐちゃになった学級通信やテストが、やんちゃ坊主の机から発掘されるのも、世の常である。
一つ、いい方法がある。
気が向いた時に5分間整理整頓すること。
ふと気が向いた時でいい。
ただし、5分間限定である。
机の中の引き出し1つ分の、さらに1コーナーだけでよい。
対象と時間を絞ることで、楽しみながら確実に整理整頓できる。
あまり気合いを入れて長時間行うと、疲れて嫌いになるのでよろしくない。

次回、具体的な「捨て方」を紹介する。

2011年4月8日金曜日

黄金の3日間 その3 授業

授業は学校生活の中心である。
最初にどんな授業をするかで、今後の子どもの学習姿勢が変わってくる。
どんな授業をすると良いのか。
一言でいうと、「逆転現象」がある授業がいい。
「簡単にできると思っていたら、できなかった」
「できないと思っていたあいつが、できた」という状態である。

国語だったら、漢字パズル系がいい。
例えば、有名な実践だと
・「□」に二画足して、別の漢字を作る
(田、甲、申、由、旧、只、など)
・「田」に×を加えた図形(メルマガだとうまく表現できない・・・)の中に隠れた漢字を探す
(一、二、三、六、十、土、王、玉、など)

算数だったら、計算の問題が面白い。
1m+1m=?
1m×1m=?
1+4m=?
10℃+1℃=?
などなど。「わからない」が正解のものもある。
テストで点が取れる子も、間違える。
逆転現象が起こりやすい。
算数なら、難問系も面白い。
これは、いずれまた紹介する。

ちなみに上記の実践は
「楽しい授業づくりの法則」根本正雄著 明治図書
「授業で逆転現象を仕掛ける」大森修著 明治図書
に詳しい。

自分で「これは!」と思うものを、最初にぶつけていきたい。

2011年4月7日木曜日

黄金の3日間 その2 システム作り

社会には規則やシステムがあるから、快適に過ごせる。
警察に切符を切られるのは嫌かもしれない。
しかし、交通ルールがなかったら、危なくて外を歩くこともできない。
学級で快適に過ごすためにも、一定の規則やシステムは必要である。

学級開きの際にとりあえず決めておくものは何か。
私は、TOSS代表向山洋一氏の著作の中にある「担任不在でも、子ども達だけでとりあえず学級で一日過ごせる状態」を考える。

何をまず決めるかというと、当番(日直・給食・係等)活動システムである。
担任が急用で不在になった。
朝、誰が電気をつけ、窓を開けるのか。
朝の会は誰がスタートさせるのか、どういうメニューなのか。
1時間目までこなかったら、何をして過ごすのか。
給食は誰が準備するのか。
クラスのリーダーは誰なのか。
そういうことを、想定してみる。
すると、子ども達だけで学級を運営する状態が想像できる。
これに沿って、自分の目指す学級に向かう為のシステムを考える。

加えて、宿題、給食のルール、連絡帳、忘れ物をしたらどうするかなど、細かいことをきめていく。
大枠さえ作ってしまえば、あとで修正することは可能である。
とにかく、大まかでいいので、作ってしまうことが大切である。
無策が一番いけない。

次号、授業について述べていく。

2011年4月6日水曜日

黄金の3日間その1 安全と方向を示す

学級開き最初の3日間。
一番大切なのは「安全と方向を示すこと」である。
次が「システム作り」。
そして「楽しく力がつく授業」が続く。
どれ一つ欠けてもいけないが、優先順位からすると、こうだと思う。
方向性が分からないと、どんなに努力しても無駄になる。
(以前の、海の真ん中でボートを漕ぐ話。)
システムがないと、個々がバラバラに動いて、力が集中しない。
授業が適当でつまらないと、個々の力もつかず、やる気が持続しない。
そういう理由から、上記3つを確実に3日間で行うことを大切にする。

今回は、「安全と方向」から。

安全宣言をする。
安全が全ての基盤になる。
安全のないところに、全ての活動はまともに機能しない。
戦時下の国がその例である。

方向について。
これは、1年後にずばりどんな状態にしたいのか、子ども達に示すことである。
まず大きく「自分のことに責任を持ち、人のために進んで行動できる」といった目標を示す。
学年の発達段階と実態に応じたものにしていくことが大切である。
(例えば、上の目標を1年生に示す人は多分いない。)
大目標を設定したら、具体的な達成目標を決めていく。
「逆上がりができる」「漢字テスト毎回100点」といった学習・技能的な目標。
「笑顔で歌える」「黙って掃除できる」といった、行動的な目標。
色々あるが、これは担任から出すものと、子ども達で話し合って決めるものが混在していい。
とにかく、大まかな方向(目指す大陸)を示し、その方向にある小さな到達点(小島)を設定する。
そうすれば、みんなで一斉に漕ぎ出すことができる。

さらに、担任である自分はどんなことが好きで、どんなことが嫌いか、そういうことも予め伝えておく。
いじめをなくしたい、すぐ解決したいといったことも、ここで伝えると、信頼感を増す。
(逆に、言ったのに行動が伴わないと、信頼感を損ねる。)
「3回注意しても直そうとしない時は、厳しく叱る」といったことも、布石として伝えておく。
(叱られた時に納得がいく。年間通して使える。)

まだまだあるが、長くなるのでこの辺りで終わる。
次回、「システム作り」について述べる。

2011年4月5日火曜日

黄金の3日間

物体は、静止している状態から動かすのに一番力が要る。
動き始めれば、そこから動かすのはどんどん楽になる。
ゼロから1が、一番大変なのである。
(だから、成長曲線は、右肩上がりの直線ではなく、二次関数的なカーブを描く。)

学級経営において「黄金の3日間」という言葉がある。
TOSSの向山洋一氏が最初に提唱した言葉だと思う。(多分。)
学級開きは、最初の3日間が勝負である。
ここに、一年間の学級経営のカギがある。
3日間で何をすべきか、次号から紹介していく。

2011年4月4日月曜日

整理と整頓を区別する

仕事術に関する本は無数に出ており、中でも整理整頓について述べているものは多い。
4月は教室移動などもあり、整理整頓を実行するのには絶好の時期である。
最近は情報ファイルの整理整頓についても言われるが、今回は現実的な物の整理整頓について。

整理と整頓を区別して考える。
手元にある「岩波国語辞典」によると、
整理は、「不必要なものを取り除くこと」
整頓は、「散らかり乱れている物を、きちんとかたづけること」
とある。
つまり、整理が「捨てる」整頓が「整える」この2ステップ。
整理整頓が苦手な人は「捨てる」のステップができないことが多い。
物事には「2:8の法則」というものがあり、全体の2割に、大切な8割が入っている。
物にも当てはまり、毎日2割の物を使って8割をこなしているはずである。
8割は、要らない物、またはあまり重要でない物である。
この8割を、捨てていく。
全部ではないが、大胆に切っていく。

整理整頓を考えることは、仕事術を考える上で重要である。
(一方で、机がぐちゃぐちゃながら、仕事が速い人がいることも認める。)
次号に続く。

2011年4月2日土曜日

おすすめ書籍パート2

学期始めですし、久々に本の紹介を。
(文体も敬体にします。)

まず、やる気が出る本を。
「人生を導く 成功者からのメッセージ」 「座右の銘」研究会・編 日東書院
この本には名言が盛りだくさんです。
例えば・・・
「リスクを負わないのがリスク」ビルゲイツ
「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」吉田松陰
いいです。熱い。やる気が出ます。

「斎藤一人 変な人が書いた驚くほどツイてる話」斎藤一人著 知的生きかた文庫
最近ツイてないなぁと思う人にオススメです。
ためしに「ツイてるツイてるツイてる」と口に出してみてください。
それだけでやる気が出るかも!?

次。やはり教育メルマガらしく、教育関連の本を。
「利他の教育実践哲学」野口芳宏著 小学館
尊敬する野口先生の本です。
教育書で技術でなく「観」を前面に出した本は少なく、こういう本は貴重です。
「手に入れたものはすべて失い、与えたものだけが残る。」名言です。

「教え上手」有田和正著 サンマーク出版
こちらも個人的に大好きな有田先生の本。
例えば板書の技術で「書き方よりも消し方にこだわれ」
など、実践的な教えが詳しく書かれています。

次。最近怒りっぽいという方にオススメの本2冊。
「怒らない技術」嶋津良智著 フォレスト出版
「怒らないこと」アルボムッレ・スマナサーラ著 サンガ新書
内容的には「あなたの感情はあなたが決めている」といった感情コントロールの方法や、
「正しい怒りは存在しない」といった、仏教ならではの超越した考え方が学べます。

まだまだありますが、長いので今回はここまで。

2011年4月1日金曜日

[よい関係」を築く

4月1日。
新しい人々との出会いの日である。
人との関係は第一印象が大切であるとは、今更言うまでもない事である。

異動してくる人に対し、着任校では様々な噂が飛び交う。
しかし、どれも当てにならない。

指導要録をじっくり見ると、その子どものことがよくわかるだろうか。
引き継ぎでじっくり話をきけば、その子どものことがよくわかるだろうか。
わかるわけがない。
本人に会って、初めてわかる。
「大変」と引き継いで、ふたを開けたらすばらしい子どもだったということが多くある。

職員室の人間関係も同様で、勝手な先入観で見ない方がいい。
自分がそういう風に判断されてたら、困るだろう。
とにかく、「よい関係」を築くことに力を入れたい。
それは、二人で飲みに行くような関係かもしれないし、一定の距離を置く関係かもしれない。
人には相性があるから、「よい関係」がどの程度かは、見極めが必要である。

いずれにせよ、大切なのは、最初ににあいさつすること。
相手が暗く返してくるようであれば、前の職場で人間関係に苦労して困っている人かもしれない。
なおさら、よく声をかける必要がある。
さわやかに返してくるようなら、きっと人間関係作りは得意な人である。
自然に仲良くなれる可能性が高い。

良い職場作りは、良い仕事作りになって、結局良い子ども作りにつながる。
今日は、職場の人間関係作りに気を払う日である。
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