自信がなくなる時がある。
主として、疲れている時がそうなりがちである。
結構、がんばってるのに、なかなかうまくいかない。
そういうことはある。
大人でも子どもでも、同様である。
そういう時に、「がんばって」と言われると、きついことがある。
もう、本人的には目一杯がんばってるからである。
または、がんばれないからである。
でも「がんばってるね」と言われたら、悪い気はしない。
現状を肯定している。
認めてもらってる感じがする。
「がんばって」が悪い訳ではない。
明らかにやれるのに、完全にさぼっている場合には、「がんばって」の方がいい。
使う場面である。
しかしほとんどの疲れている人には「がんばってるね」の方がいいように思う。
言葉は、ほんの少しの変化で、大きく意味が変わる。
2011年4月22日金曜日
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