2013年1月31日木曜日

漢字練習と思うな、人生と思え

漢字練習をして、小テストをする。
読字障害等がない限り、やればできるようになる。

私はよく、次のように話す。
「漢字テストで100点をとるのは、小さなことです。
小さいことだから、大切なのです。
小さなことをできないのに、大きなことはできない。
スポーツや習い事は、本気で練習するから、試合や本番で結果が出せる。
試合の時だけ本気を出すといって、うまくいく訳がない。
避難訓練を真剣にやるから、本当の災害の時に逃げられる。
掃除を真剣にやるから、社会に出て人の役に立つことを進んでやれるようになる。
『神は細部に宿り給う』という言葉もあります。
毎日の小さなことをきちんと成し遂げて、大きなことができる人になっていこう。
だから、漢字練習は、やればできるから、きちんとやってきなさい。」

ありとあらゆることに共通する真理であると思う。
小事と思うな、人生と思え、の精神でいきたい。

2013年1月29日火曜日

この世に雑用なし

前回の話と関連のある言葉を本で見つけた。

「この世に『雑用』という用はありません。
私たちが用を雑にした時に、雑用が生まれます。」

カトリック修道女の渡辺和子さんの言葉である。
渡辺さんが修道院で研修していた頃、皿を並べる仕事があった。
機械的に皿を並べていた渡辺さんに、修道院長さんから一言、
「何を考えながら仕事していますか?」
「別に何も」
すると修道院長は、
「あなたは時間を無駄にしていますよ」
「一枚一枚の皿を並べる時に、それを使う人の幸福のためを祈りながらしてはどうですか」
それ以来、小さな仕事にも価値を見出すことができるようになったという。

ちなみに出典は次の本である。
「きっと勇気がわいてくる魔法の言葉 1あこがれの人の言葉」
中井俊巳・文 せきねゆき・絵 汐文社

小さなことを雑にしない。
「仕事と思うな人生と思え」に通じる考え方だと思い、紹介した。

2013年1月27日日曜日

窓拭きと思うな、人生と思え

前回紹介した後、「○○と思うな、人生と思え」な出来事があった。
ガソリンスタンドでの出来事である。

寒風吹きさらす、とても寒い夜だった。
ガソリンスタンドで給油を頼んだ。
「窓をお拭きしますか?」と店員さん。
寒いし悪いなぁと思いながらも、
「お願いします」と私。

さて、拭いてもらうと、これが、すごく丁寧なのである。
1枚1枚を、しっかり力を入れて、水拭き、から拭きと、透き通るまで拭いてくれる。
通常の3倍ぐらい時間をかけてくれていたように思う。

お金を支払う時に、「寒い中一生懸命拭いていただいてありがとうございます」と言うと、
むこうは一言、
「きれいにするのが仕事なんで」
笑顔でにこやかに言われた。

この店員さんは、窓拭きという一つの「作業」に心を込め、「仕事」している。
窓を拭く。
車はきれいになる。
「嬉しいなぁ」とこちらの心もきれいになる。
更に、寒風に吹かれながら、自分自身の心も磨いている。

実に素晴らしい仕事だと思った。
ただの「作業」ではない、「仕事」である。

私達の普段のルーティーンも、「作業」になっていないか。
人生と思って、心と気合いを入れて、仕事に臨みたい。

2013年1月24日木曜日

「皿洗いと思うな、人生と思え」


以前紹介したが、私は原田隆史先生の次の言葉が大好きである。
「仕事と思うな、人生と思え」

この「仕事」の 部分に色々な言葉が当てはめられる。
例えば、皿洗いを毎日の日課として決めたら、
「皿洗いと思うな人生と思え」である。
皿洗いは、「汚れを落としてきれいにする」を目標とした「作業」である。
この「作業」を「修行」にする。
目標の先にある目的を「人格向上」に設定する。
「皿をきれいにすることで、心もきれいに磨く」といった具合である。
たかが皿洗いにするか、人生そのものと考えるか。
この差は大きい。

皿洗いを毎日することが、自分の人間性の向上につながる。
さぼれば、続けられない自分を認識することにつながる。
冷たい水で皿を洗う中で、母親のありがたさに気付くこともある。
だから、ただ皿を洗うのではなく、それが人生そのものにつながる。
目的意識一つで、同じ作業もその価値が大きく異なる。

私は、漢字練習や掃除でこのように指導する。
「漢字練習と思うな人生と思え」
「掃除と思うな人生と思え」

長くなるので、また次号で紹介する。

2013年1月22日火曜日

大縄・8の字レポートプレゼントについて

今日はお知らせなので、敬体で。

お陰様で、レポートが好評で、たくさんのご希望をいただいております。
もし3日以上前にメールを出したのに届いてない、という方がいましたら、ご連絡を。
ファイル添付のせいで、迷惑メールフォルダにひっかかっている可能性があります。
確認後、もう一度別の方法で送ります。

大縄と8の字跳びを初めて指導する方は、ぜひ一度レポートを読んでみてください。
必ず、今の記録より伸びること、指導の仕方が変わることを保障します。
「もっと早く知っていれば、と思うと、子どもに申し訳ない」という感想もいただいています。
ありがたいことです。
なるべく多くの方に活用していただき、多くの子どもの成長に貢献したいと思っています。
また、読んでみての感想や批評、代案等いただけたら、この上なく嬉しく思います。

まだの方は、ぜひ一度読んでみてください。
よろしくお願いいたします。





2013年1月20日日曜日

大縄の跳び方 またいでもよいか?

先月、大縄について講師という立場で実技指導をさせてもらう機会があった。
そこで大縄の跳び方について一つ良い質問を受けた。
「跳ぶかわりに、縄をまたいでもよいか?」というものだった。
縄を跳ぶ時、跳び手は縄の円運動の進行方向に対して垂直を向いている。
だから、左から縄が来るとすれば、左足→右足とステップを踏めば、縄が足の下を通る。
ダブルダッチの跳び方のイメージである。

この跳び方のメリットは、縄が通り抜ける一瞬を除いてはずっと地面に足がついているので、足への負担が少ないことである。
逆に言えば、疲れてくると、この跳び方になる子どもが出てくるということである。

結論を言うと、この跳び方は避けた方が良いと考える。
楽なので、子どもは希望したがるが、ひっかかる確立が数倍に上がる。
まず、脚を左右に開く分、ひっかかる部分が広がる。
更に、低く跳ぶことになるため、縄がイレギュラーに高くなった時に対応できない。
縦×横×高さ×人数の体積分、ひっかかりポイントが増える訳である。
(上記の縦はどの跳び方でも変わらないので一定。)
やはりきつくても、両足をきちんと揃えて跳ぶ方が良いだろう。

更に、人間の心理で、縄の来る方向に跳ぶ方が楽なため、列の縦がずれる副作用もある。
先の例でいくと、どんどん左にずれていく。
両足をそろえていても起きる現象が、常に起き続ける。

以上のような理由から、特別な事情がない限り、避けた方が良い。

質問を受けることで、自分がなぜその跳び方をさせないのか再考するよいきっかけになった。
良い質問が良い解を生む。
質問は大切である。

別に良問である必要はないので、疑問がある方は是非おききいただきたい。
答える側も大変勉強になる。

2013年1月18日金曜日

初歩を教える

「小学生なら教えられる」と言う人が多い。
一般の人でも教員でも同じである。
つまり、学習内容が簡単なので教えられると。
これは、大いなる誤解である。
全くの逆で、初歩は教えるのが難しい。

小学校の先生は知っている。
水泳で、全く泳げない子どもを5m泳がせることは、5m泳げる子どもを25m泳がせるよりはるかに難しいと。
もっと言うと、顔を水につけられない子どもをプールに入れることはさらに難しい。

中学校や高校の先生の批判ではないのだが、やはりそういうことは体験しないとなかなか分からない。
そこを理解していない人が多いと、中学校教師の友人が言っていた。
数学を教える以上に、算数をきちんと教えるのは大変なのである。
(一方で、小学校の先生への「○○ぐらいできるようにさせといて!」という要望も切実に受け止めるべきである。)

ところで、幼稚園はどうだろう。
先日、子ども達の職場体験ということで、幼稚園に行った。
「満3才児」という、ほぼ2歳児という子ども達がいるクラスがあって、一緒に活動した。
はさみが、使えないのである。(いや、当たり前だが。)
○の形を切り抜くという、他の3~4才児と同じ活動をするのだが、大変な困難である。
とにかく、教えようがない。
チョキチョキいかず、ジャキンと、一気に切ってしまう。
当然、曲線にならない。
はさみなぞ、使えて当然の世界にいるため、どう教えていいかわからなかった。
後で幼稚園の先生にきくと、一緒に手を添えて、地道に覚えさせるのだという。
これが小さい子どもであるほど、驚くべきスピードで習得できるらしい。

何でも、初歩を教えるのは大変である。
そして、基本はやはり「一緒にやってやる」なのだと、改めて確認できた。
特別支援教育にも関わる、教育の基本だと思う。

幼稚園も小学校も中学校も高校も、教えるのはそれぞれの大変さがある。
それぞれが謙虚に受け止める必要があると感じた。

2013年1月16日水曜日

歌えるようにするには

私の勤務校には、音楽集会がある。
担任が悩むのは、「声が小さい、歌わない」という状態である。
先日の校内自主勉強会でも話題になったが、これは結構多い悩みのようである。
特に、高学年になるほど悩みの種になる。

さて、どうするかときかれた。
どう答えるだろうか。

結論「歌えるようにする」。
何だそれはと思うが、要は歌いたくても歌えないのではないかということである。
跳び箱と同じである。
技術面か精神面が「不備・不足・不十分」なのである。

「歌えない」には、いくつか原因がある。
大きく次の4つを考える。
1 歌詞を覚えていない(知識不足)
2 歌が高音すぎる、難しすぎるなどで、声が出ない(技能不足)(声変わり中の男子に多い)
3 歌いたいが、周りが歌わないので歌えない(雰囲気) 
4 歌う気がない(意欲不足)

1と2は技術的な面の問題である。
3と4は、精神的な面の問題といえる。

1は、「覚えなさい」と言うしかない。
歌詞の意味は教えて、イメージできるようにする。
後は、繰り返しやる。
漢字等の指導と同じである。
意欲と関わる面でもある。

2は、ある程度諦める。
上手い下手は別として、まずは口だけは開けるよう指導する。
(私は、まず口を動かさないでしゃべり、次にオーバーに開けてしゃべってみせる。
音量は同じであっても、伝わり方の違いをみせる。)
参加しようとしている態度に意義があることを伝える。
その後、列で向かい合って歌い、口が開いている人を互いに探すというような指導もする。

3が一番問題である。困難の肝といえる。
歌える少数の子どもを先に育てていく。
少しでも上達している子どもを誉める。
とにかく誉めて誉めて誉めまくる。
ニコニコしながら指導して、ニコニコしている子どもを一人でも増やす。
そういう雰囲気を作るしかない。
ここは絶対、叱らない方がいい。
雰囲気が悪いと、どうしても歌えない。
要は、学級経営である。
「歌が歌えるクラスはいいクラス」である。

4は、3が解決するとともに自然に減っていく。
最後まで残る少数の強者は、あまりこだわりすぎない方が良い。
それよりも、全体の雰囲気を上げるのを優先すべきである。
1ミリでも良くなったら、すかさず誉めるに尽きる。

結論。
歌は楽しいものだから歌う。
好きこそものの上手なれ、である。

2013年1月14日月曜日

マラソン記録会でする話

安全上の問題でなくなった地域も多いときくが、私の勤務地域には校内マラソン記録会がある。
多くの子どもには古来よりあまり歓迎されない行事である一方、保護者の関心は高い行事でもある。
自分の子ども時代はさておいて、誰しも子どもには結構期待して、尻を叩いているものである。

さて、マラソン大会を終えると、多くの子どもが一喜一憂するのは、タイムより順位である。
(毎年1位という子どもは、大会新記録との闘いになる。)
相対評価が気になる訳である。
当然、ビリの子どもも出る。
紙の表があれば裏が存在するのと同じで、トップとビリは切り離せず存在する。

トップグループの子どもは、そこで競うのもいい。
2位や3位で涙するのも、貴重な経験であると思う。
中には、下位の方でも友達と競っている子どももいる。
それもいい。
そこに目標や充実感があればいい。

さて、一番最後にゴールしてくる子ども。
この子どもをどう見るか。
順位という相対評価で見ると、低評価にならざるを得ない。

私は、本当に心から立派だと称賛する。
本心である。
なぜなら、その子どもは、マラソンが苦手なはずである。
にも関わらず、記録会に参加している。
ずるをして、逃げることはいくらでもできる。
それをせず、苦手に挑戦している訳である。
大変尊い姿だと思う。

だから、参加したことと、全力で完走したことに価値がある。
何位だろうが、実は本質的には大したことではない。
トップとて、校外の代表大会に出たら、ビリになる可能性がある。
どんなに他人と比べても、どんぐりの背比べ、井の中の蛙である。

逆にいえば、そこそこの順位でも、それが真剣でないなら、やった価値はない。

大切なのは、自分との競争だ。
昨日までの自分に勝てたか。
正確には、自分に「克てた」か。
自分に打ち克つことを「克己(こっき)」という。
こういう言葉もこういう機会に教える。

担任は、参加した全ての子どもが「辛かったけど、やって良かった」と言えるようにしたい。

2013年1月13日日曜日

10万PV達成記念 8の字・大縄レポートプレゼント

おかげ様で、このブログも10万プレビューを達成しました。
次の目標は、100万プレビュー。
諦めないで続けていれば、きっとできると思っています。

努力は、二次曲線で成果が出ると子どもに教えています。
漢字練習でも、水泳の25m達成も、二重跳びの回数も、大縄や8の字でも、何でも。
努力しても成果の出ない最初の頃が、一番きつい。
勢いがつけば、一気に上がっていく、というのが実感です。

このブログも、最初からずっと見ていただいている方がいるから、今成り立っています。
その方に誘われて読んでくださった方。
応援してくれる知人の方々や諸先輩。
(先日も、一緒に飲んだ尊敬する先生が、ネット上で紹介をしてくださいました。
ありがとうございます。)
偶然ふらっと立ち寄って、読者になっていただいた方。
全ての人々のお陰です。

自分の実践を知っていただけるというのは、嬉しいものです。
本当に感謝しております。
これからも、少しでも役に立つ実践を紹介できるよう、続けていきます。
本当に、ありがとうございます。

さて、発行者側は、どの記事が読まれているか把握することができます。
圧倒的人気なのが、「8の字・大縄」の記事。
相当な需要があります。
(これだけで8割成り立っているといっても過言でないぐらいです。)

そこで、10万プレビューを記念して、大縄・8の字のレポートをプレゼントいたします。
バラバラの記事を、一つにまとめて加筆・修正したものです。
「野口塾」「教育の原点セミナー」という二つの会で講師をした際に用いた過去の資料です。
いつか、本のような形でまとめたいと夢見ていますが、そのエッセンス部分のレポートです。
ある意味、未完成ですが、「今」必要な方のために、お渡しします。

応募条件は、メルマガを読んでいただくことだけです。
メルマガの読者にデータでお送りします。
メルマガ下方にあるアドレスに件名「大縄・8の字レポート希望(氏名)」としてお送りください。
順次返信します。

ブログをきっかけに、メルマガの方も読んでいただきたいというのが、私の願いです。
いつもタイムリーなのは、メルマガの方なので。
メルマガ読者1000人というのも、一つの目標です。

これからも、ご愛読よろしくお願いいたします。

2013年1月9日水曜日

仰る通りです

昨年だが、ある道徳の研究会に出た。
道徳の授業を、徳目中心から、素晴らしい先人の生き方から学ぶものにしていこうという会である。

有名な先生方がパネリストとなってのパネルディスカッションが最後にあった。
これが、50分だったのだが、進行等で色々あり、時間が押した。
パネリストが4人で最後に質疑応答もあるので、一人あたりの持ち時間は10分程度である。
私のお目当ての先生が意見を言う番には、後にまだ一人いて質疑応答もあるのにあと15分という状態であった。

どうするのか見ていたら、その先生は5分もしないで話を終えられた。
その後の質疑応答は、すでに終了時刻オーバーであった。
その先生に質問が来た。
やや批判的な内容である。
どうするか見ていたら、笑顔で「仰る通りです」と言って、10秒で終えられた。
絶対、言い返せる内容だったが、「仰る通りです」だった。
「素直であれ、謙虚であれ」と普段から話されているが、それを体現していた。

やはり、すごい人は違うと実感した。
時間はみんなのものである。
それを尊重するのは、人を大切にしていることと同義であると学べた。

2013年1月7日月曜日

3学期のはじめの話「冬の桜」

3学期のはじめに何を話すか。
学年末や卒業に向けて、希望を持てる話が良い。

 この時期、冬の桜の木の話をすることが多い。
(以前書いた気もするが、見当たらないので、書く。)

桜の木は春に咲く。
一方、冬の桜の木は、枯れていて、生きていないようにも見える。
冬は、何もしていないようで、根を伸ばして力を蓄えている。
よく見ると、つぼみも確実にふくらんできている。
春にたくさんの花が咲かせられるのは、冬の寒さに耐えたから。
大変な思いをした分、きれいな花が咲く。

併せて、マラソンの高橋尚子選手が、高校時代の恩師に贈られた言葉も紹介する。
「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」

3学期を、希望を持って努力する期間にしたい。

2013年1月5日土曜日

3学期を良いものにするために

3学期をより良いものにして終わらせたい。
誰もが願うことである。

そのための方法を今日のメルマガで紹介した。
2学期に試したら、効果てきめんだったものである。

興味のある方は、試してみていただきたい。

2013年1月3日木曜日

正月休み最終日

今日で正月休みが終わりである。

メルマガの方に、「新学期にだるくならない方法」について書いてみた。
何のことはないが、やれば効果は絶大である。

正月休みのラストを、思いっきり楽しみたい。

2013年1月1日火曜日

目標の立て方

一年の計は元旦にあり。
元旦が一年を左右する。
短距離走と一緒で、スタートが肝心である。

今日から新たなスタートを切ろうと決めている人も多いと思う。
私は、原田隆史先生の手法で目標設定をしている。
一部だが、参考になるかと思い、紹介する。

目標を2軸のマトリクスで決める。
縦軸が「有形」と無形」、横軸が「社会(他者)」と「私」である。

すると、次の4つのエリアに分かれる。
(a)私・有形
(b)私・無形
(c)社会・有形
(d)社会・無形

例えば「市民縄跳び大会の大縄の部で、1000回跳んで優勝する」という目標を立てる。
これを、先の4つのエリアで考えてみる。

(a)私・有形→私は、学級で大縄の大会に参加して1000回跳んで優勝し、優勝旗と杯、賞状を手にする。
(b)私・無形→私は、自分自身の指導技術を高め、成功することで自尊心も高める。
(c)社会・有形→学級がまとまり、子ども達の心技体の全てが大きく高まる。
(d)社会・無形→大縄で1000回跳べることが現実のものとなり、大会のレベルアップにつながる。市の活性化にもつながり、学校や保護者にも貢献できる。

どんな目標でも大切なのは実は(c)(d)の部分で、結果的に社会的にどれだけ貢献できるかである。
「年収倍増」というようなお金に関する目標であっても、やはり同じである。
具体的なのは(a)の部分で、これが最も目に見えて目指しやすい部分になる。
(c)(d)に向けて(a)があるという感じで捉える。(発想は逆でも構わない。)
(b)は、自然に何かしらくっついてくる。

つまり、目標へのモチベーションを高めるということである。
自分の為だけでなく、人の為、社会の為に、自分の目標がある。

そう考えると、自分の目標を立てることは、社会貢献としても必要なことである。

さらに、目標は「仕事」「趣味」「お金」「健康」「家族」というカテゴリ別に設定する。
なるべく具体的に、かつ達成によるメリットまで考えることが大切である。
子どもにはそこまで求められないが、教師が自分で目標を立てておくことで、後々に指導しやすくなる。

一年の計は元旦にあり。
しっかり時間を使って、求めるものを明確にして一年に臨みたい。

新年のご挨拶とお知らせ

明けましておめでとうございます。
昨年度に引き続き、いつもお読みいただき、ありがとうございます。

さて、記事に対して、コメントをくださる方が増えてきました。
互いに学び合い、磨き合う場にしたいという当初の思いに近づいています。
寺子屋のような、教え教わるというような機会が増えてきました。

そこで、新年ということもあり、新タイトルで心機一転します。
今年から更に「顔晴って」いきますので、これからもご愛読よろしくお願いいたします。
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