「小学生なら教えられる」と言う人が多い。
一般の人でも教員でも同じである。
つまり、学習内容が簡単なので教えられると。
これは、大いなる誤解である。
全くの逆で、初歩は教えるのが難しい。
小学校の先生は知っている。
水泳で、全く泳げない子どもを5m泳がせることは、5m泳げる子どもを25m泳がせるよりはるかに難しいと。
もっと言うと、顔を水につけられない子どもをプールに入れることはさらに難しい。
中学校や高校の先生の批判ではないのだが、やはりそういうことは体験しないとなかなか分からない。
そこを理解していない人が多いと、中学校教師の友人が言っていた。
数学を教える以上に、算数をきちんと教えるのは大変なのである。
(一方で、小学校の先生への「○○ぐらいできるようにさせといて!」という要望も切実に受け止めるべきである。)
ところで、幼稚園はどうだろう。
先日、子ども達の職場体験ということで、幼稚園に行った。
「満3才児」という、ほぼ2歳児という子ども達がいるクラスがあって、一緒に活動した。
はさみが、使えないのである。(いや、当たり前だが。)
○の形を切り抜くという、他の3~4才児と同じ活動をするのだが、大変な困難である。
とにかく、教えようがない。
チョキチョキいかず、ジャキンと、一気に切ってしまう。
当然、曲線にならない。
はさみなぞ、使えて当然の世界にいるため、どう教えていいかわからなかった。
後で幼稚園の先生にきくと、一緒に手を添えて、地道に覚えさせるのだという。
これが小さい子どもであるほど、驚くべきスピードで習得できるらしい。
何でも、初歩を教えるのは大変である。
そして、基本はやはり「一緒にやってやる」なのだと、改めて確認できた。
特別支援教育にも関わる、教育の基本だと思う。
幼稚園も小学校も中学校も高校も、教えるのはそれぞれの大変さがある。
それぞれが謙虚に受け止める必要があると感じた。
2013年1月18日金曜日
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