安全上の問題でなくなった地域も多いときくが、私の勤務地域には校内マラソン記録会がある。
多くの子どもには古来よりあまり歓迎されない行事である一方、保護者の関心は高い行事でもある。
自分の子ども時代はさておいて、誰しも子どもには結構期待して、尻を叩いているものである。
さて、マラソン大会を終えると、多くの子どもが一喜一憂するのは、タイムより順位である。
(毎年1位という子どもは、大会新記録との闘いになる。)
相対評価が気になる訳である。
当然、ビリの子どもも出る。
紙の表があれば裏が存在するのと同じで、トップとビリは切り離せず存在する。
トップグループの子どもは、そこで競うのもいい。
2位や3位で涙するのも、貴重な経験であると思う。
中には、下位の方でも友達と競っている子どももいる。
それもいい。
そこに目標や充実感があればいい。
さて、一番最後にゴールしてくる子ども。
この子どもをどう見るか。
順位という相対評価で見ると、低評価にならざるを得ない。
私は、本当に心から立派だと称賛する。
本心である。
なぜなら、その子どもは、マラソンが苦手なはずである。
にも関わらず、記録会に参加している。
ずるをして、逃げることはいくらでもできる。
それをせず、苦手に挑戦している訳である。
大変尊い姿だと思う。
だから、参加したことと、全力で完走したことに価値がある。
何位だろうが、実は本質的には大したことではない。
トップとて、校外の代表大会に出たら、ビリになる可能性がある。
どんなに他人と比べても、どんぐりの背比べ、井の中の蛙である。
逆にいえば、そこそこの順位でも、それが真剣でないなら、やった価値はない。
大切なのは、自分との競争だ。
昨日までの自分に勝てたか。
正確には、自分に「克てた」か。
自分に打ち克つことを「克己(こっき)」という。
こういう言葉もこういう機会に教える。
担任は、参加した全ての子どもが「辛かったけど、やって良かった」と言えるようにしたい。
2013年1月14日月曜日
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