2013年1月14日月曜日

マラソン記録会でする話

安全上の問題でなくなった地域も多いときくが、私の勤務地域には校内マラソン記録会がある。
多くの子どもには古来よりあまり歓迎されない行事である一方、保護者の関心は高い行事でもある。
自分の子ども時代はさておいて、誰しも子どもには結構期待して、尻を叩いているものである。

さて、マラソン大会を終えると、多くの子どもが一喜一憂するのは、タイムより順位である。
(毎年1位という子どもは、大会新記録との闘いになる。)
相対評価が気になる訳である。
当然、ビリの子どもも出る。
紙の表があれば裏が存在するのと同じで、トップとビリは切り離せず存在する。

トップグループの子どもは、そこで競うのもいい。
2位や3位で涙するのも、貴重な経験であると思う。
中には、下位の方でも友達と競っている子どももいる。
それもいい。
そこに目標や充実感があればいい。

さて、一番最後にゴールしてくる子ども。
この子どもをどう見るか。
順位という相対評価で見ると、低評価にならざるを得ない。

私は、本当に心から立派だと称賛する。
本心である。
なぜなら、その子どもは、マラソンが苦手なはずである。
にも関わらず、記録会に参加している。
ずるをして、逃げることはいくらでもできる。
それをせず、苦手に挑戦している訳である。
大変尊い姿だと思う。

だから、参加したことと、全力で完走したことに価値がある。
何位だろうが、実は本質的には大したことではない。
トップとて、校外の代表大会に出たら、ビリになる可能性がある。
どんなに他人と比べても、どんぐりの背比べ、井の中の蛙である。

逆にいえば、そこそこの順位でも、それが真剣でないなら、やった価値はない。

大切なのは、自分との競争だ。
昨日までの自分に勝てたか。
正確には、自分に「克てた」か。
自分に打ち克つことを「克己(こっき)」という。
こういう言葉もこういう機会に教える。

担任は、参加した全ての子どもが「辛かったけど、やって良かった」と言えるようにしたい。

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