2011年8月30日火曜日

ピッチャーへ「肘を下げるな!」と言う科学的な理由は?

先日、体育の研修会に参加してきた。
講師は須田和人先生。
陸上競技と野球について素晴らしい実績を持つプロトレーニングコーチである。
大変有益な内容であったので、読者の皆様にも数回に分けてシェアしたい。

ボール投げの話を紹介する。
よく野球の監督がピッチャーに「肘を下げるな!」と指導している。
知っている方も多いのではないかと思う。
しかし、なぜ肘が下がるといけないのかは、知らない。

ここで一つ簡単な体操をしていただきたい。
ランジの姿勢(片足を大きく前に出して足を前後に開いた姿勢で、腰は立てたまま前の膝を曲げる)をとる。
腕を胸の前で組み、腰を左右にひねってみる。
ちょこちょことしか動かないはずである。
次に、バンザイして腰を左右にひねってみる。
先ほどの倍ぐらい可動範囲が広がるはずである。

なぜなのか。
要は、腕の筋肉と腰の筋肉が連動しているからである。
もっというと、手の平がどちらを向いているかでも、他の部位の動きが変わってくる。
一見、関係ないような部分が、動き全体に影響しているのである。
ピッチャーが肘を意識しなければならない理由は、腰の可動範囲に影響が出るからである。

このことは運動全般に関わってくる。
なぜそのフォームがいいのか。
何のためにその練習をするのか。

次回は「陸上練習でももあげをする必要はあるのか?何のためなのか?」という内容をお伝えする。

2011年8月29日月曜日

自由はいつ手に入る

子どもの頃、大人は自由でいいな、と憧れた。
大人は自分で仕事を選んでお金を稼げるし、どこだって行ける。
子どもの自分は、手持ちの小遣いの範囲でしか物が買えず、行動範囲も自分の住む町の中だけ。

しかし、大人になって見直してみると、規模が変わっただけで、実質は変わらない。
多分、それはどんなに変化が起きても、同じである。
むしろ、子どもの頃の方が、時間の自由があり、心も自由であったかもしれない。

つまり、「隣の芝生は青く見える」ということである。
以前自分が持っていたものでさえ、うらやましく思えてくる。
代表的なのが「若さ」で、大学生ですら「もう若くない」と言い張る。
自分が30代でも40代でも、50代でも、たとえ100歳でも、未来の自分から見たら今が一番若い。
何でも楽しむなら、今である。
自由を手にできるのも、今である。

夏休みが終わってしまったと嘆くのも無駄である。
どうせどんなに長く夏休みがあっても、大したことはしない。
やる人は平日だってやる。
仕事ができることは、ありがたいことである。

(と、考えるのもよろしいのではないかという提案である。)

2011年8月28日日曜日

子どもになる

成長するにつれて、子どもの心を忘れていく。
子どもの頃に楽しかったことや、辛かったことも忘れていく。
(夏休みに教師が鬼のような量の宿題を平気な顔で出せるのも、ここにそもそもの原因があると思う。)
何より、楽しむ感性が失われていく。

世界で最も自由な人間は、1歳児である。
とにかく、思うままに動き回る。
泣きたい時は泣きわめくし、楽しいことは何回でもエンドレスに繰り返す。
なぜか。
理由は、「そうしたいから。」
ザ・自由人。
(ちなみに0歳児でない理由は、彼らが歩き回れない&しゃべれないからである。)
何にでも熱中して楽しみ、興味が移ったらすぐさまそこに直行。
多分、世界がバラ色に映っているのではないかと思う。

で、本題。
たまには子どもになろうという提案である。
子どもを教える職業柄、子どもの心を失わないことが大切である。
休み時間に子どもと遊ぶのを薦める理由も、ここにある。(たまにでよい。)
自分の夏休みを振り返り、子どもに戻れる時間があったなら、そういう話を夏休み明けにするのもいいと思う。

2011年8月27日土曜日

ポジティブなことはいいことか

前向きな人と後ろ向きな人がいる。
ポジティブ、ネガティブという言い方もある。
日本人の割合でいくと、2:8ぐらいだというようなことを何かの本で読んだ。
心配性の日本人なら、そうかもしれないと思う。

世の中の自己啓発系の本は、ポジティブ推奨である。
ポジティブな人にとってはいいが、ネガティブな人にとっては大きなお世話である。
読まない方がいい。
なぜか。
そういう性質に生まれついているからである。
不自然になる。
そして、世の中には両方いないと困るからである。

学校職員が全員ポジティブ状態とする。
何か新しいことをやろう、リスクがあってもやろうということになる。
歯止めが効かない状態である。
多分、けが人も大勢でる。
保護者からのクレームは必至である。

逆に、全員ネガティブ状態。
常に「例年通り」「よくわからないし危険だからやらない」ということになる。
危険がない代わりに、変化がない。
変化がないことに気付かない状態が、一番危険である。
これも、問題である。

やはり、色々なタイプの職員がいるのが一番いい。
口うるさいのもいい加減なのも、優しいのも毒舌家も色々いるのがいい。
クラスの子どもも、同様である。
どうせなら、いい所に目を向けて教育したい。

2011年8月26日金曜日

早起きは三文の得?

夏休みの過ごし方として「早寝早起き」を指導した方も多いと思う。
何度も言っているが、子どもに指導している内容は、実は自分自身が気を付けるべきことである。
他にも・・・
夏休みの計画をきちんと立てる
本をたくさん読む
毎日勉強する
毎日運動をする
宿題をためないでコツコツ計画的にこなす
新しい体験をする
などなど。
全部きちんとできている人がいたら、大したものだと思う。
教える側が必ずしもできている必要はない、という面もある。
道徳を教える人間が必ずしも道徳的とは限らない、と大学の某有名教授もおっしゃっていた。

しかし、である。
やっぱり、上記に挙げたようなことは、教師もできていることが望ましい。
これら全ての基礎になるのが、「早起き」である。
早起きすると、一日をゆっくりとスタートすることができる。
今日一日から、ずっと先までの計画を立てることもできる。
気温も日中と違い、涼しく爽やかである。
朝のランニングでちょっとした林の脇でも走れば、もう気分爽快、パワー全開でスタートできる。
本を読んだり勉強したり、課題をこなす時間も確保できる。

日中自由になる時間が簡単に確保できる人は、別に早起きにこだわらなくてもいい。
多分、そうでない方は、自然と早起き生活になっているはずである。
早起きは三文の得、という。
三文どころの価値ではない。
自由に過ごせるからこそ、きちんと生活リズムを整えたい。

2011年8月25日木曜日

本音と建前 全員の子どもの到達目標 

本音を言う。
全員が全国統一された画一的な目標に辿り着くことは無理だと思う。
算数が苦手な子どもは、ある程度以上を求めても厳しい。
図工が苦手な子どもも、体育が苦手な子どもも同様である。
私に音楽や家庭科を教えた先生の苦労が偲ばれる。

ただ逆を言うと、やりようによっては個人の最大限までは引き上げられるということである。
どうせできないだろうと思ってやらせない、努力しないのは、最大の罪である。

わかりやすい例で言うと、鉄棒運動の逆上がり。
せめて2年生ぐらいまでに本気で取り組んだ経験があれば、9割以上の子どもは何とかなる。
この時期を逃してしまうと、もう取り返しがつかなくなる子どもが出てくる。

だから、やはり建前として、到達目標を立てる意味はあると思う。
ただ本当に全員がそこに辿り着くかというと、本音を言うと難しい。
それも分かった上で、最大限効果のある方法を模索することが大切だと思う。
できなくっても「がんばったね」と声をかけることは必須である。
ただし、教師がその言葉に甘えた時、教師も子どももそれ以上の成長は望めなくなる。
教師は教えるプロなのだから結果が必要である。
できなくても努力する前向きな心を養えたなら、それも結果。
やっぱり自分はできないという気持ちを植え付けさせても、一つの結果。
どんな場合であれ、質の良い結果を残してあげたい。

建前も使いようである。

2011年8月23日火曜日

昼休みの仕事でスピードアップ

夏休みに使えるかもしれない、スピードアップの仕事術を一つ紹介する。
実は、あまりオススメしてはいけない気もする方法なので、適当に聞いていただきたい。

夏休みになると、給食がないため、昼休みはランチに出かけることが多いと思う。
日直だと出かけられないかもしれないが、それでも昼食はとる。
出かけてもどってくるまで約1時間。
そして昼食後は脳の働きが完全に「リラックス」モードになる。
朝の真逆の状態になる。
仕事に最も適さない時間である。
元に戻すのに約1時間。
12時にランチに行ったとして、2時まではまともに仕事にならない。
(特に、満腹まで食べると、もっと時間がかかる。)

極端な話、昼食をとらなければ、この時間も仕事できる。
お腹が空くし疲れるので、水と軽食程度はとる。
これは、ちょいちょいとる。
1時間あたり10分程度の休憩をとりがてら食べる。
こうすると、集中力が続く。
これを繰り返し、5時に定刻に退勤する。
昼食分の約2時間は能率的に仕事を進めているので、7時退勤の仕事量になる。
(いや、多分それ以上である。)

同僚との付き合い等もあると思うので、必ずしもオススメできない。
一日三食という健康の面からも、微妙な方法ではある。
しかし、能率的に仕事がバリバリ進むのだけは間違いない。
周りの人に気を遣いつつ、実験してみていただきたい。

2011年8月22日月曜日

夏休み中の研修をどう活かすか

三年前の記事だが再アップ。


夏休みに入ると、研修の機会が多い。
すばらしい実践を見て、やる気を出すことも多い。

しかし、実践するかどうかは、別である。
特に夏休み中は子どもに直接指導できない為、学んだ内容をしばらく保持しておかねばならない。
夏休み明けには忙しさにかまけて忘れてしまうのがオチである。

どうするか。
一つの方法として、「その日の内にまとめる」というものがある。
もっというと、その場でまとめる方がいい。
情熱はどんどん薄れていくので、熱い内にノートにでも何でも記録しておく。
資料をためておいてもダメである。
自分の言葉に変換して書き記す必要がある。
そういう風に決まったノートやファイルに書きためておくことで、後で見返すのが容易になる。
本当に良い内容なら、文書としてきちんと打って、周りの職員に配るようにすれば更に良い。
アウトプットする目的が最初からあれば、インプットの時にもやる気が出る。

「いつかやろう」の「いつか」は一生来ない。
やるなら、今。
とりあえず、研修で得た内容は、何かしら自分の言葉でまとめておきたい。

2011年8月21日日曜日

「無敵」の教育

「無敵」。
いかにも強そうな状態である。
敵がどれほどいようが、バタバタなぎ倒していくイメージのある言葉である。

今日紹介する「無敵」の話は、ちょっと違う。
次の著書から引用して、紹介する。
「楽しい人生を生きる宇宙法則」小林正観著 講談社
(何やら怪しげなタイトルの本ではあるが、宗教ではない。)

次のようなことが書かれていた。
学校教育において、我々は「き・く・あ」の価値観を前提として教え込まれている。
「競うこと・比べること・争うこと」の三つの頭文字である。
相対評価はその代表。
「優勝」という言葉も「優勝劣敗」という四文字熟語の上の二字であり、勝利の価値を刷り込まれてきた。
この価値観を逆転すべきである。
「競わない・比べない・争わない」が、21世紀的価値観ではないか。

・・・という件があり、さらに次のようなエピソードも紹介されている。

自分の娘は障害があり、筋肉が通常の半分程度の強さしかない。
当然、足が遅く、運動会では必ずビリ。
6年生の時、妻が「今年はビリじゃないかも」という。
どういうことかというと、ケガをして走れない状態なのに出場するという同級生がいるとのこと。
しかし運動会当日は、やっぱりビリだった。
聞くと、100m走の半ばで8人中娘は7位、ケガの同級生は8位。
そこで、同級生が「きゃっ」と声を上げて転んだ。
その時、娘は「どうしたの」とトコトコ逆走して駆け寄り、その子の腕をとって起こし、歩かせた。
ゴール前までつれてってポンと背中を押して、その後自分もゴールした。

そういう話である。
この娘さんは、いつもニコニコして、頼まれ事は何でもやるという。
人の役に立つ人間である。
誰からも好かれている。
即ちこれが、「無敵」。
「敵が無い」=「みんな味方」という状態である。

学校教育から競争をなくすことは難しいかもしれない。
競争にも、価値はある。
日本の高度経済成長を支えたのは、間違いなくこの競争意識である。
事実、その恩恵にあずかって今の暮らしがある。
しかし、より高い価値を目指していくべきだという筆者の考えにも共感できる。
教育に競争はなじむのか。
日本の教育は今、何を目指しているのか。
「無敵」の考えも、一つ大切な視点ではないかと思う。

2011年8月20日土曜日

時間の使い方

時間の使い方は人それぞれである。
勉強が苦手な子どもは、時間の使い方に無駄が多い場合が多々ある。
例えば、テレビの見過ぎ。
テレビを見ることが悪いのではなく、テレビに時間を使いすぎて他のことができなくなるのが問題である。
ゲームも同様。
ゲーム自体は別にいいが、時間を浪費しすぎていることが多い。

自分の自由に使える時間を書き出す。
その内、何時間を何に使っているか。
何かをだらだらやる癖があると、どうしても時間は減る。
極端なことを言うと、本を読むためにテレビを見ないという手段もとれる。

加えて、睡眠時間は自由時間の量を左右するので、寝過ぎも注意である。

時間をどう使っているか、夏休みを機会に見直してみるのもいい。

2011年8月19日金曜日

通知票も「指導」の一つ

通知票を直接子どもに渡す場合と、面談で渡す場合がある。
いずれにせよ、通知票に書かれた内容がきちんと伝わることが大切である。
通知票に書かれた内容も、教師から子どもと親への「指導」である。

私が必ず言うのは、通知票の結果に一喜一憂しないこと。
3段階で「3」が「2」になると、落ち込む。
しかし、「3」をとれば、もうこれ以上、上がることはないのである。
よくてキープ、下がって普通である。
逆に、「2」になったら、また「3」を目指して、次上がる可能性がある。
まして「1」なら、もう次に上がる可能性大である。
この「まだ伸びる部分」を「伸び代(のびしろ)」という。
ここ最近広がった造語であるが、なかなかいい言葉だと思う。
結果が今一つだった子どもには「のびしろがたくさんあるね。楽しみだね。」と声かけをしてあげたい。

大体、通知票の結果なんていうものは、本人の平均値周辺を上下するだけである。
結果は、正直どうでもいい。
要は、通知票を書いて渡すことで、子どもと親にどんなプラスの影響があるか、それだけである。

通知票にも、明確なねらいを持ちたい。

2011年8月18日木曜日

できることはやる

返事をする。
お願いしますと言う。
ありがとうございますと言う。
ゴミが落ちてたら拾う。
どれも、誰にもできることである。
しかし、多くの子どもはやれていないところでもある。

できることは、きちんとやらせる。
私はよく「やれなかったの?やらなかったの?」と聞く。
(ちなみに、この問いかけは相田みつを氏の詩の一節を使っている。)
やれないことは仕方ないが、やれることをやらないのはいけない。
「○○君はできる。でもやらない。それはダメだろう。」と伝える。
返事なんて、できないはずはない。
しかし、できない子どもも多い。

習慣づいていないのである。
やらねばならないという意識が低いのである。
だから、やれるようになるまで、やれることは徹底してやらせる。
「ありがとうございます」は、自然に口から出るようになるまでは、強制してよい。
型から入って、意味が分かるということもある。

やれることをやらない状態を見逃していないか、見直してみるのもいい。

2011年8月17日水曜日

三人の武将

以前、怒ってもいいじゃないかという話をした。
しかし、怒るという行為も、向き不向きがある。
怒っても全然迫力がない人もいる。
ちょっと怒っただけで、ものすごい怖さを出す人もいる。

例を挙げる。
社会科で三人の武将について授業する。
織田信長。
豊臣秀吉。
徳川家康。
三人それぞれ短気、賢明、我慢強い、と性格が全く違う。
三人の共通点は何か。
天下統一を目指している点と、人がついてくるリーダーだという点である。

信長はリーダーシップをとってがんがん引っ張るタイプ。
ちょっと怖いが、意外と情にもろく、リーダーとしては頼れる。
怒られてもめげない家来、強い人に引っ張ってもらいたい家来にはいい。

秀吉は知性があり、冷静な判断を下して指示を出すタイプ。
いつでも冷静沈着、的確に指示を出して下を引っ張る。
指示を素直に聞く家来、自主性や決断力がない家来にはいい。

家康は温厚でよく家来の話を聞き、みんなで決めようというタイプ。
母性的であり、安心してついていける。
自分の主張を聞いてもらいたい家来、臆病なタイプの家来にはいい。

学級に当てはめると、武将は教師、家来は子どもである。
子どもは教師の家来ではないが、相対的な立場として見ると、やはりこれに近い。
(武将の方針・指示をもとに、それぞれの家来が判断して動くからである。)

学級には色んなタイプの子どもがいる。
だから、たまたま合う教師と、合わない教師がいて当然である。
教師の側とて同様である。
やり方一つとっても、全ての教師に当てはまる方法はない。
家康タイプの教師なら、無理に怒らないで、違う方法をとれるはずである。

自分のタイプを知り、何を目指すのか考えよう。

2011年8月16日火曜日

教育が国を変える

昨日の終戦記念日にちなんで、前号の続きを。
ちなみにこの場合の終戦は、日本にとっての終戦である。
ポツダム宣言受諾を国民に発表した日である。
宣言受諾自体は長崎に原爆を落とされた8月9日に決定し、翌日10日に連合国へ通知したらしい。
正直、遅すぎである。
どんなに譲っても、8月6日には決定できたはずである。
7月のポツダム宣言が出た時点でさっさと受諾してくれというのが国民の本音だろう。
その当時の首脳部がどう考えていたかは分からないが、国民、中でも子どもを持つ母親は一刻も早く終わって欲しかったはずである。
国のトップがどんな考えを持った集団であるかというのは、やはり大切である。

北方領土問題は、終戦日がいつかということに大きくに関連する。
ロシアからすれば、「終戦してないよ、うちは聞いてないよ」という理論で、8月15日以降も北方領土侵攻を進めた。
日ソ中立条約も完全無視である。(何のための条約なんだ。)
結局、それでずるい、ずるくないの水掛論がかれこれ66年続いている訳である。
日本人の立場からすれば、これはもう完全に日本の領土であるという主張で一貫すべきと考える。
以前にも書いたが、けんかに負けて土下座してる人の頭を横から蹴っ飛ばす行為は、完全にルール違反である。
子どもに賛否を考えさせるのはいいが、やはり情報不足の中での思考になるので、ある程度きちんと教えた方が良いと思う。

国民を戦争に走らせたのも、教育のなせる業である。
教育が国を変える。
我々教師は、最重要任務を背負った職務である。
そう考えると、やる気も出るし、職業に対する畏れや誇りも持てるのではないだろうか。

2011年8月15日月曜日

終戦記念日に思う

今日は、終戦記念日である。

歴史、とりわけ戦争について学習することは、国際社会で活躍する日本人を育成する上でも極めて重要である。
英語教育を推進するなら、こっちも同時に強化していかないと、恥さらしを生むだけである。
(太平洋戦争を学ばずにアメリカへ渡ったら、南京大虐殺を知らずに中国に渡ったら、どちらも恐ろしいことである。)

日本人として、ヒロシマ、ナガサキの原爆については、若くてもある程度の見解を持っていたい。
原爆によって世界に平和がもたらされたという論調に、日本人として同意する訳にはいかない。
世界唯一の被爆国の国民なのである。
世界一平和をアピールする必要のある国民である。
原爆を持つ国に対して、「反対」と堂々と言える世界でただ一つの国である。

戦争はどんなに掘り下げても、悪である。
子ども達にはそこを強調しつつ、ではなぜそんな愚かな行為に走らざるを得なくなったのか、
その辺りを十分に学んで伝える必要がある。
神風特攻隊に対し、ただの命知らずというような見方をする日本人を育ててはならない。
(何でこんな重要なことが、義務教育段階で全ての子どもにきちんと教えられてないのか、疑問である。)

戦争反対、当たり前である。
それでもなお今戦争をしている国がある。
そういう国に対して上から目線で「愚かだなぁ」などというほど愚かなことはない。
子ども達も「戦争は悪い」ぐらいは分かっている。
それでも銃を持って戦うはめになっている子ども達に、思いを馳せるようにしたい。
ちなみに、ユニセフに問い合わせると、その辺りの資料を大量に持っている。
有料で郵送してくれるものやプレゼントしてくれるものもあるので、活用するといいかもしれない。
(次号に続く)

2011年8月14日日曜日

怒っちゃダメ?

「叱るのはいいが怒ってはいけない」という論調が一般にある(ように思う)。
私は、これに反対である。
教師も一人の人間として、一人の人間である子どもに、感情を交えて怒ってもいいと思う。
何もかも論理的にやられたら、気持ち悪い。

ある人は、いじめ行為が感情的に許せない。
怒鳴り飛ばして怒る。
その迫力・剣幕に圧倒されることで、変わる子どもだっている。

ある人は、宿題を毎回やってこない子どもが許せない。
これをきちんとやることが、子どもの成長につながると強く信じている。
感情的には、自分が大切だと思っていることを放棄しているのが許せない。
だから、怒る。
叱るというより「その反省のない行動が気に入らない!」と怒る。
実に、人間的であると思う。
宿題忘れなんてどーでもいいじゃんなんて意見だってある。
でも、この人にとっては、大切なことであって、許せない。
だから、怒る。
それでいいと思う。
信条がはっきりしているから、怒れるのだと思う。

逆に、やたら怒るのも考えものである。
それは教えてないから無理じゃない?ということにまで怒る人がいる。
そういう理不尽な怒りは、反抗心を生むだけなので、避けた方がよい。

いずれにせよ、子どもに何で怒っているのか分からせるのが大切である。
教師も一人の人間であり、聖人ではない。
一人の人間という、子どもと同じ立場に立って、堂々と怒ることも、時に大切であると思う。

2011年8月13日土曜日

スピーディーな誤答を奨励

間違いを認めるのは大切である。
いや、認めるというより、歓迎するといった方がいい。
「まちがいは、○組の宝物!」といった掲示物がある学級もある。
この考え方自体に反対する人は、少数ではないかと思う。
無論、私も賛成派である。

しかし、言うは易く行うは難しで、なかなかこれが難しい。
授業研なぞで、期待している答えがでないと、誘導尋問みたいになってくるのをよく見る。
子どもは必死で教師の求める解を探すので、間違いをすることは地雷を踏む行為になる。
ここまで極端な状況でなくとも、例えば算数で進度が遅れている時、ついつい早く正解が欲しくなる。
そういう態度は、確実に子どもに伝わり、結果、間違いを怖れる傾向が出てくる。

どうするか。
普段から、スピーディーに答えさせることである。
指名されてからの沈黙ほど、無駄なものはない。
(ここで子どもの思考が・・・という意見もありそうだが、指名される前に考えるべきことだと私は思う。)

具体的にどうすべきか。
それぞれ、次のように評価する。
沈黙。
これは0点。
無駄に全員の時間を奪うので、最低行為である。

「わかりません」と答える。
これは、50点。
時間を無駄にしないのはいいのだが、思考を放棄している。
しかも、何やらネガティブな印象を与えるのも良くない。

誤答を答える。
これは100点。
授業では合ってるかどうかは最終的な問題で、要は考えを持ったかという過程が大切である。
最後に理解できれば、正答でもいいが、誤答でもいい。
いずれも100点。
教師が、そう断定する。
むしろ、誤答を即答した場合は、誉めまくってよい。
時間を奪わず、かつ間違いを提示することで、考えさせる機会を提供したのだから、最高である。

誤答を歓迎しつつ、スピード・リズムを意識して、授業しよう。

2011年8月12日金曜日

脱完璧主義

完璧主義でいくと、動けない。
たとえば、実践発表をしたいと思っているとする。
しかし、自分程度の実践ではとても人様にお見せできない、と誰しもが思う。

ここで完璧主義だと、「まだ早い」ということになり、一生発表できない。
なぜなら、どのレベルの人も、常に自分より上が見えているからである。
下に後輩もいるのだが、完璧主義は常に上に目が向く。
だから、自分程度ではと思って、発表できない。

お金の話になるが、多くの人が「あと20%収入が多ければ、豊かに暮らせる」と考えているらしい。
月収30万円の人は、あと6万円。
月収100万円の人は、あと20万円。
月収1000万円の人は、あと200万円・・・
嘘みたいな話だが、本当の話である。
きりがない。
極端な話、ビル・ゲイツと比べたら、みんな見劣りする。
しかしビル・ゲイツと比べるなんて、誰がどう見ても、どーでもいいことである。
ビルゲイツとは比べないけど、知り合いとは比べる。
これも客観的に見れば、本当にどーでもいいことである。

実践発表もこれに似ていて、どのレベルにいたって、あと20%あれば自信もってやれる、と思う。
この自信がある状態は、一生やってこない。
プラス20%の実力になった頃は、更にプラス20%を求めるからである。
だから、実践発表は、今、進んでやる。
これに尽きる。
どうせ自分の発表なんて、見る人から見れば稚拙な実践である。
これは、10年後になっても、変わらない。
でも、稚拙な実践発表をし続けた10年後と、何もしなかった10年後は、全然違う。
うまくできるかどうかは、どうでもいい。
やる。
これが、一番大切ではないかと思う。

完璧なんて、どこにも存在しない。
どうせなら、不完全なままで、がんばりたい。

2011年8月11日木曜日

波を見極める

仕事は波に乗ってる時と乗ってない時がある。
サーフィンと同じで、乗ってない時にもがくと、苦しいだけである。
波にのまれた時にパニックになって暴れると、非常に苦しい。
サーフボードが眼や鼻、耳などに当たって大けがをすることもある。
波にのまれてしまったら、もがかず水中で小さくなって息を止め、うねりがおさまるのを待つ。
落ち着いたら、空の方向目指して泳ぎ、水中から顔を出す。
これは、仕事でも同じである。

波に乗れていない時に、無理に乗ろうとしてはいけない。
タイミングが悪いのである。
時期を待ち、今できることだけをする。

逆に、乗っている時は、どんどんやる。
乗っていない時の100倍ぐらいやっていい。
仕事を楽しくやる上で、そういうメリハリをつけることは、大切である。

2011年8月9日火曜日

仕事か私事か

今回は教育観というか、仕事観の話である。
前号で、暇がないことはありがたいことだという話を書いた。
誤解のないように言うが、残業を推進している訳ではない。
真逆で、仕事を楽しく時間内にしっかりこなそうという話である。

そもそも、社会に出て働く理由は何か。
私は、人々の幸せに貢献するためであると考える。
どれだけ多くの貢献度があるかで、仕事の価値が決まると考える。
ボランティア活動が、それ自体を報酬であるという考え方は、そういうところから来ている。

仕事の「仕」は、奉仕の「仕」である。
私事の「私」ではない。
多くの人の為に尽くせる教師の仕事は、尊く素晴らしいと思う。

2011年8月8日月曜日

暇が欲しい?

「忙しい」を使わないようにしようという話を少し前に書いた。
ちょうど先日出席した会で、野口芳宏氏が似たようなことを話されていた。
「暇というのは、誰にも相手にされなくなった状態のこと。」

確かに、やることがなくなれば、暇になる。
やることがないということは、仕事の依頼がないということだ。
だから、仕事ができる人ほど、仕事がたくさん来る。
真面目に仕事をしている限りは、やることは永遠になくならない。
それは、ある意味、幸せなことだと言える。

本当に暇になりたければ、仕事を辞めればいい。
日本なら、仕事を辞めても、餓死することはない。
生きていくことはできる。
仕事をすることも、自分が望んで選択していることのはずである。
(特に教師は、わざわざ試験を受けてまで掴んだ仕事である。)

暇がないと言っているなら、それは感謝すべきことかもしれない。
暇が欲しいと言っている人は、実はやりたいことが他にもあるだけである。
暇がない中でやればいいことである。
何事も、見方、考え方次第である。

2011年8月7日日曜日

「0→1の経路」をつなぐ

タイトルは、最近読んだ本からの引用である。
(引用文献「毎朝1分で人生は変わる」三宅裕之著 サンマーク出版)

物事は、0から1が一番大変で、その後はどんどん進んでいく。
この本の中では悪い例として禁煙中のタバコを挙げている。
逆に言えば、仕事も勉強もこの「0→1の経路」がつながれば、どんどんうまく行くといえる。

作文を例に考えるとわかりやすい。
作文は最初の1文に最も力が要り、それがうまく書ければ案外すいすい進む。
物理で言えば、重たい物を押して動かす時、摩擦があるので最初はなかなか動かず、後は楽に押せるのに似ている。

何か行動を起こすことである。
小さな今できる1があれば、先が見える。
今日、何か一つ、新しいことを始めよう。

2011年8月6日土曜日

七夕に願いを書かせる

旬な話題から外れてしまうが、七夕の話。
(メルマガ上ではタイムリーにお届けしたので、ご容赦を。)

七夕の時、短冊に願いを書く。
素直に書く子どもが多いと思う。
ただ、人に見られるので、あまり書きたがらない子どももいる。
七夕の時には、織り姫と彦星の話に加え、次のような話もする。
「目標は、紙に書くことで達成されます。
これは、昔から言われ続けていることです。
紙に願いを書くと何がいいのか。
まず、自分の欲しい物や目標がはっきりします。
書くという行為自体が、頭の中を整理する効果があります。
そうすると、欲しい物や目標を生活の中で意識するようになります。
すると、それに関係するも情報が目に入るようになります。
さらに周りの人に知っておいてもらうことで、より願いが叶いやすくなります。
例えば『○○が欲しい』と書いてあれば、ふとした時にそれをプレゼントしてもらえるかもしれませんよね。
チャンスが巡ってきやすくなります。
そして何より、果てしなく遠い宇宙の星に願いを込めるという行為自体が、ロマンがあって素敵です。
雨が降って地上から星が見えなくても、そこには星があるから、大丈夫です。
七夕に願いを込めるのは、決して無駄ではないと思いますよ。」

こういう話も、特に高学年以降には意味があるように思う。

2011年8月5日金曜日

ゆとり社会?

かつて、某進学塾のキャッチコピーに、次のようなものがあった。
「ゆとり教育はある。ゆとり受験はない。」
まさしくその通りである。
受験は勉強量の多いものが勝つ。
そこにゆとりはない。
最低限でいい、という訳にはいかない。

偏差値重視の傾向も、大して変わる様子はない。
考える力がどうだとか言っても、結局テストの点の話である。
PISA型なんちゃらの話も、テストの話である。

受験戦争をくぐり抜け、社会に出ても、ゆとりはない。
たらたら仕事をしていても、個別指導として誰かが助けに来てくれることはない。
仕事が遅いと怒られるか、無視されるかのどちらかである。
自分の力で切り拓く必要がある。

結局、きめ細やかな指導も、個に応じた指導も、最終的には個人の生きる力を鍛えることが目的である。
先回りして優しくわかりやすく教えて身につけさせても、結局その先にある社会は厳しい。
最終的に自立を目指した教育でなければ無意味である。

「わかる授業」や「個に応じた指導」を考える上で、ここを外してはならないと考える。

2011年8月4日木曜日

仕事は目標を立てて

仕事術の話。
1日は24時間。
これは変えられない。
変えられるのは、24時間の濃度の方である。

睡眠の話で、何時間が最適かということを以前書いた。
睡眠量=眠りの深さ×時間 である。
時間が短くても、深ければ足りる。
例えば日中に運動をすると、眠りが深くなる。
運動をすると一見疲れるようで、実は回復に役立つ。
結果的に、時間の節約にもなっている。

仕事の場合はどうか。
仕事量=仕事の質×時間 である。
時間は変えられないから、質を上げる。
同じ時間でやれるものの中身を濃くする。
コツは、以前も書いたが次の予定を入れること。
それと、達成目標を明確にすること。

通知票の所見を例に。
作業終了時刻を決める。
残業できる日でも、この時刻には帰ると決める。
次に、一人あたりの時間を決める。
実際は、すらすら書ける子どもとそうでない子どもがいるので、中間をとる。
「一人5分」と仮に決める。
そうすると、5×10=50だから
「1時間で10人以上」という目標ができる。
トラブルを想定し、少し余裕を持たせておくのがコツである。
達成感を味わえ、次もがんばれる。
ゆるすぎると、緊張感がないので、これもいけない。
最適な目標を設定する。

単純だが、結構効果のある方法である。

2011年8月3日水曜日

分母と分子は母子関係(おんぶされてる成人を憂う)

また暗記ネタ系を一つ。
分数を初めて教える時のネタ。
分母と分子が、どっちがどっちかわからなくなる子どもがいる。
次のように教える。

母親が小さな子どもをおぶっている絵(棒人間でよい)を書く。
「母親が小さな子どもをおんぶしています。
下が母親。
上が子ども。
だから下を分母、上を分子といいます。」

さらに、真分数、仮分数を教える時。
「普通、おぶられてる子どもは、母親より小さいですよね。
正常な状態、真実の分数で真分数といいます。
逆に、子どもがもう母親より大きいのに、まだおぶられてる状態。
異常事態です。
もう降りないといけません。
仮に乗っているだけなので仮分数といいます。」

私は、算数は無機質なものでないととらえているので、こういう教え方をよくする。
いいかどうかは別として、覚えやすいようではある。
気に入ったら、ご活用いただきたい。

2011年8月2日火曜日

東西南北簡単暗記法

先日、たまたま通りかかった4年生の教室の黒板に、「八方位を覚えよう」みたいなものを見つけた。
結構、東西南北を覚えるのに苦戦する子どもが多いので、超簡単な暗記法を紹介する。
(ちょうど、4年生は教えてる時期らしいので。)
ちなみに、知っての通り、子どもが苦戦するのは、南北ではなく東西である。

「北」と板書。
「北」の漢字の右半分はカタカナの「ヒ」である。
「ヒ」のある方が「ヒガシ」
東の反対は西。
北の反対は南。
以上。

これだけだが、方位についてはぐっと強くなる。
お試しあれ。

2011年8月1日月曜日

忙しいと言わない

どういう時に「忙しい」と感じるかというアンケートの結果を、何度か見たことがある。
中学校だと部活動が筆頭に上がりそうだが、実はそうではない。
部活動は確かに大変な面も多いが、充実感があり、忙しいとは感じないという。
(これは、感じ方にかなり個人差があるが。)
それよりも「事務仕事」の方が、上位にくる。
「事務」という言葉が何を指すのか曖昧だが、何となく好みは別としてやらないといけない仕事という感じがする。

要するに、人は好きなことなら忙しいと感じない。
忙しいと口にしてしまった時は、その仕事を嫌いですと言っているのに等しい。
だから、「忙しい」はなるべく言わない方がいい。
「最近、忙しいですか?」と聞かれたら、「お陰様で、充実しております」と答える人もいる。
何だか、前向きな感じがする。

忙しいを、なるべく言わないように心がけてみると、少し気分が変わるかもしれない。

スペースを埋めない

7月29日、高校サッカーインターハイが開催される。 私も高校時代、燃えていたので、どこか出るのかとかは気になる。 さて、サッカーでは、ポジショニングが大切である。 それぞれの選手がその瞬間にどこにいるか、ということが次のプレーを左右する。 ポジショニングの上で大切なこ...

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