子どもの頃、大人は自由でいいな、と憧れた。
大人は自分で仕事を選んでお金を稼げるし、どこだって行ける。
子どもの自分は、手持ちの小遣いの範囲でしか物が買えず、行動範囲も自分の住む町の中だけ。
しかし、大人になって見直してみると、規模が変わっただけで、実質は変わらない。
多分、それはどんなに変化が起きても、同じである。
むしろ、子どもの頃の方が、時間の自由があり、心も自由であったかもしれない。
つまり、「隣の芝生は青く見える」ということである。
以前自分が持っていたものでさえ、うらやましく思えてくる。
代表的なのが「若さ」で、大学生ですら「もう若くない」と言い張る。
自分が30代でも40代でも、50代でも、たとえ100歳でも、未来の自分から見たら今が一番若い。
何でも楽しむなら、今である。
自由を手にできるのも、今である。
夏休みが終わってしまったと嘆くのも無駄である。
どうせどんなに長く夏休みがあっても、大したことはしない。
やる人は平日だってやる。
仕事ができることは、ありがたいことである。
(と、考えるのもよろしいのではないかという提案である。)
2011年8月29日月曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿