成長するにつれて、子どもの心を忘れていく。
子どもの頃に楽しかったことや、辛かったことも忘れていく。
(夏休みに教師が鬼のような量の宿題を平気な顔で出せるのも、ここにそもそもの原因があると思う。)
何より、楽しむ感性が失われていく。
世界で最も自由な人間は、1歳児である。
とにかく、思うままに動き回る。
泣きたい時は泣きわめくし、楽しいことは何回でもエンドレスに繰り返す。
なぜか。
理由は、「そうしたいから。」
ザ・自由人。
(ちなみに0歳児でない理由は、彼らが歩き回れない&しゃべれないからである。)
何にでも熱中して楽しみ、興味が移ったらすぐさまそこに直行。
多分、世界がバラ色に映っているのではないかと思う。
で、本題。
たまには子どもになろうという提案である。
子どもを教える職業柄、子どもの心を失わないことが大切である。
休み時間に子どもと遊ぶのを薦める理由も、ここにある。(たまにでよい。)
自分の夏休みを振り返り、子どもに戻れる時間があったなら、そういう話を夏休み明けにするのもいいと思う。
2011年8月28日日曜日
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