「無敵」。
いかにも強そうな状態である。
敵がどれほどいようが、バタバタなぎ倒していくイメージのある言葉である。
今日紹介する「無敵」の話は、ちょっと違う。
次の著書から引用して、紹介する。
「楽しい人生を生きる宇宙法則」小林正観著 講談社
(何やら怪しげなタイトルの本ではあるが、宗教ではない。)
次のようなことが書かれていた。
学校教育において、我々は「き・く・あ」の価値観を前提として教え込まれている。
「競うこと・比べること・争うこと」の三つの頭文字である。
相対評価はその代表。
「優勝」という言葉も「優勝劣敗」という四文字熟語の上の二字であり、勝利の価値を刷り込まれてきた。
この価値観を逆転すべきである。
「競わない・比べない・争わない」が、21世紀的価値観ではないか。
・・・という件があり、さらに次のようなエピソードも紹介されている。
自分の娘は障害があり、筋肉が通常の半分程度の強さしかない。
当然、足が遅く、運動会では必ずビリ。
6年生の時、妻が「今年はビリじゃないかも」という。
どういうことかというと、ケガをして走れない状態なのに出場するという同級生がいるとのこと。
しかし運動会当日は、やっぱりビリだった。
聞くと、100m走の半ばで8人中娘は7位、ケガの同級生は8位。
そこで、同級生が「きゃっ」と声を上げて転んだ。
その時、娘は「どうしたの」とトコトコ逆走して駆け寄り、その子の腕をとって起こし、歩かせた。
ゴール前までつれてってポンと背中を押して、その後自分もゴールした。
そういう話である。
この娘さんは、いつもニコニコして、頼まれ事は何でもやるという。
人の役に立つ人間である。
誰からも好かれている。
即ちこれが、「無敵」。
「敵が無い」=「みんな味方」という状態である。
学校教育から競争をなくすことは難しいかもしれない。
競争にも、価値はある。
日本の高度経済成長を支えたのは、間違いなくこの競争意識である。
事実、その恩恵にあずかって今の暮らしがある。
しかし、より高い価値を目指していくべきだという筆者の考えにも共感できる。
教育に競争はなじむのか。
日本の教育は今、何を目指しているのか。
「無敵」の考えも、一つ大切な視点ではないかと思う。
2011年8月21日日曜日
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