間違いを認めるのは大切である。
いや、認めるというより、歓迎するといった方がいい。
「まちがいは、○組の宝物!」といった掲示物がある学級もある。
この考え方自体に反対する人は、少数ではないかと思う。
無論、私も賛成派である。
しかし、言うは易く行うは難しで、なかなかこれが難しい。
授業研なぞで、期待している答えがでないと、誘導尋問みたいになってくるのをよく見る。
子どもは必死で教師の求める解を探すので、間違いをすることは地雷を踏む行為になる。
ここまで極端な状況でなくとも、例えば算数で進度が遅れている時、ついつい早く正解が欲しくなる。
そういう態度は、確実に子どもに伝わり、結果、間違いを怖れる傾向が出てくる。
どうするか。
普段から、スピーディーに答えさせることである。
指名されてからの沈黙ほど、無駄なものはない。
(ここで子どもの思考が・・・という意見もありそうだが、指名される前に考えるべきことだと私は思う。)
具体的にどうすべきか。
それぞれ、次のように評価する。
沈黙。
これは0点。
無駄に全員の時間を奪うので、最低行為である。
「わかりません」と答える。
これは、50点。
時間を無駄にしないのはいいのだが、思考を放棄している。
しかも、何やらネガティブな印象を与えるのも良くない。
誤答を答える。
これは100点。
授業では合ってるかどうかは最終的な問題で、要は考えを持ったかという過程が大切である。
最後に理解できれば、正答でもいいが、誤答でもいい。
いずれも100点。
教師が、そう断定する。
むしろ、誤答を即答した場合は、誉めまくってよい。
時間を奪わず、かつ間違いを提示することで、考えさせる機会を提供したのだから、最高である。
誤答を歓迎しつつ、スピード・リズムを意識して、授業しよう。
2011年8月13日土曜日
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