2012年9月29日土曜日

モノが豊かなことは幸せか

先日、ある私立高校の校長先生の講演を聴いた。
ためになる話がたくさんあったので、一部だがシェアする。

モノが豊かにある。
幸せなことである、一般的に考えると。
しかし、これが実は不幸ではないかとも考えられる。

子ども部屋を例に考える。
小さい頃から、自分の部屋が与えられている子ども。
それなりに裕福な家庭に育っている子どもである。
自分の空間が持てるのだから、幸せだろう。

しかし、見方を変えると、親と関わらないで生きる空間の提供にもなっている。
数少ない、大人と関わる時間を減らすことにつながる。
さらに、子ども部屋にテレビがついているとする。
子どもは自分の見たい番組を自由に見られる訳である。
一緒に過ごす時間がさらに減ることにつながる。

足りないからこそ、得られるものがある。
足りないからこそ、与えられた時の感謝も生まれる。

そして、足りないからこそ、工夫しようという気持ちも生まれる。

例えば、私には以前こういう経験があった。
その学校は、ラインカーを子どもが休み時間に自由に使える状態であった。
そうすると、子どもは色んな所にラインを引く。
ドッジボールでも、長方形のラインを引く。
その中で遊ぶのである。

ある日、石灰がなくなる。
そうすると、遊べないのである。
「線が引けないから」と。
「足で地面に描けばいいじゃん」と私が言った。
皆、驚いたように「そうか!」と言って足で地面に線を描き始めた。

こんな哀しいことが起きるのである。

モノがあるから思考停止ということもある。
(もちろん、モノがあるからこそ考えられる場面もある。)

やたらにモノを与えすぎてないかという視点も大切である。

2012年9月27日木曜日

発言は文体加工せよ

先日のサークルでの学びをシェアする。
タイトルは、野口氏の教えである。

子どもが発言する。
教師はその言葉通り板書する。
これを「反射板書」と呼ぶ。
子どもの思いを大切にしている、と好意的に受け止められる。

しかし、これが学力形成にマイナスに働いていないか、という視点で見る。

そもそも、話し言葉と書き言葉は違う。
話し言葉は、どうしても冗長である。
書き言葉は、簡潔であることが求められる。

そして、子どもの発言を束ねて思考を促すのが板書の役割である。

そうして考えた時、「文体加工」した方がメリットが大きい。
「つまり、○○ということだね」と、要約してやる。
「大人の言葉」を教える訳である。

子ども、特に高学年は、大人ぶりたい時期である。
大人の言葉に触れた時、知的好奇心をそそられる。
この年齢の子どもには難しすぎる、何ていうのは、大人側の勝手な思い込みである。
(事実、幼稚園児は、実はものすごいことができる。
小学校に入学させたら保護者ががっかり、というのはよく聞く話である。)

どんどん、大人の言葉に文体加工する。
そうすることで、言語力が身に付いていくのである。

2012年9月25日火曜日

場を清める

前号に続き掃除の話。

掃除は「清掃」ともいう。
汚いものを取り除き、きれいさっぱりさせることである。

陸上指導・生活指導で有名な原田隆史氏は、清掃を「場を清める」行為と考える。
「壊れた窓理論」に基づくと、一カ所の乱れが全てに波及していく。
(窓が一枚割れた車を一週間放置するとめちゃくちゃに壊されるという理論。)
犯罪だらけだったN.Y.の街を再生させたのも、地下鉄の落書きを消したことによる。
荒れた地下鉄の場の雰囲気が、凶悪犯罪を誘発していたのである。
凶悪犯罪そのものに着手するのではなく、落書きを消し、軽犯罪を徹底的になくす。
そうすることで、場が清められ、凶悪犯罪もみるみる減ったということである。

トイレが汚い学校は、荒れていることが多い。
教室が汚い学級も、同様である。
落ち着いた雰囲気のクラスは、教室から違う。

清掃をただのゴミ除去作業と考えず、場を清める大切な行為ととらえる。
場にはエネルギーがあり、プラスとマイナスどちらかを発している。
それが、学習や生活全てに影響を及ぼす。
その意識を、子どもも教師も持っていれば、取り組み方も変わるかもしれない。

2012年9月23日日曜日

掃除カンペキチェックシートの活用

「きちんと掃除しなさい!」「やり直し!」
どこの学級でも見られる光景である。
教師としては、腹立たしいし、言う方も辛い。

言わないで済む方法はないのか。
結論、ないかもしれないが、注意を減らすことはできるように思う。

その一つとして、「掃除カンペキチェックシート」というものを提案する。

清掃主任が大掃除の時に「チェックポイント一覧」を出す学校があると思う。
あれに似たものを、日常的に利用する。

掃除場所を見回る時、それぞれ見るポイントがあると思う。
それを見て、きちんとやっているか判断している。
これを、子ども達に見える形で予め提示しておく方法である。
そして終了後、班長を中心にチェックして、担任に報告する。
(これがないと、確認がされない為。
子どもを誉める材料にもなる。
また、一応の責任者をおくことで、きちんとやるようになりやすい。
あくまで責任は、班長でなく班員全員。
担任が見るのも、チェックというより、成果を誉めたいという姿勢で。)

例えば教室掃除なら、
「四隅、教室のはじにほこりは落ちていないか」
「ほうきのほこりはとってあるか」
「教卓の下にほこりがたまっていないか」
「黒板のチョーク入れの中は整っているか」
といった、教師の側は気になるが見過ごしがちな点を入れておく。

トイレ掃除なら
「便器の周りが拭いてあるか」
「においはしないか」
といった、子どもが意識的につい避けて通りたくなる点を入れておく。

こうすると、やる気はあるけど、「きちんと」がわからない子どもの一助となる。

別に何ら目新しいことではないかもしれない。
最初作るのに、少し手間はかかる。
しかし、注意を少しでも減らせるなら、やる価値があるように思う。

何でも、工夫である。
うまくいかなかったら、変えればいい。
何かいい方法があったら、教えていただきたい。

2012年9月21日金曜日

2学期の個人目標の活用方法

2学期のはじめ、個人目標を立てさせたと思う。
「生活」「学習」「運動」など、3項目程度立てることが多いと思う。
そして、そろそろ忘れさられた頃ではないだろうか。

大抵、1週間以内に忘れさられる。
忘れないようにする工夫が必要である。
掲示しておくだけでも、忘れる。

少し邪魔だが、小さくしたものを机のすみに貼り付けておく方法がある。
1年生の名前と一緒である。
(よほどしっかり貼らないとボロボロになるが。)
毎日目にするので、嫌でも意識化される。

また、目標に「クラスの為に」というものを一つ入れたい。
(私は、「生活」の欄をこれにする。)
個人目標だが、クラスの為に自分ができることを一つ設定する。
「落ちているゴミを拾って、教室をきれいに保つ」でもいい。
「笑顔であいさつして、周りを元気にする」でもいい。
自分の為だけでなく、クラスの為にもなる目標。
これを一つ入れるだけで、集団帰属意識や自己肯定感が高まる。

2学期、せっかく立てる目標を有効に活用したい。

2012年9月19日水曜日

「ミニ先生」にご用心

前回までの、特別支援の先生の話で、印象的なものを一つ紹介する。

「ミニ先生」についてである。
できるようになった子どもが、他の子どもに教える。
これはいい。
しかし、きちんとした子どもが、他の子どもに注意しはじめる。
これは、場合によって注意が必要であるという。

自治能力が高まってきたと考えると、いい面もある。
しかし、「ミニ警察官」化すると、学級に悪い影響を及ぼす。
子どもの素直さが失われかねないという。
注意している子ども自身にも、悪い影響がでる。

確かに、きちんとした子どもが、孤立しがちということは多い。
まるで教師のような言い方で周囲を注意し始めたら、要注意である。

子ども同士は誉め合って、支え合っていく姿勢をとらせる。
強く叱ったり注意したりは、やはり教師の領分である。

教師の側も、自分の身に置き換えてみればわかる。
同僚を注意するのも、なかなか気合いがいるだろう。
(先輩や後輩に比べれば、同期が一番言いやすいが。)
やはり、ルール等に関する注意投は、立場が上の人間にある程度きちっとやって欲しいと思うのではないだろうか。

子どもの「ミニ先生」化に、注意である。

2012年9月17日月曜日

逸脱行動への対応

教室を飛び出すといった、逸脱行動が起こる子どもが学級にいる。
この行動自体をすぐなくそうとするのは無理がある。
なので、考え方を変える必要がある。

これを、学級にとって「チャンス」と考える。
「みんながきちんとしてくれているお陰で、普通に授業が進むね。ありがとう。」
と伝える。
逸脱行動のある子ども以外の子どもに損をさせないこと。
何もないよりも、学級がまとまるきっかけになり得る。

ポイントは、クラスの共感性を高めていくことである。
「相手のことを知る」
「共通の目標に向かう」
これが、共感性を高めることにつながる。
相手のことを知るとは、相手を理解することである。
逸脱行動も、相手を理解していれば「そういうこともあるな」と思える。

トラブルはチャンス。
大変な子どもが、自分を成長させてくれる。

2012年9月15日土曜日

触覚過敏の子どもへの対応

前号の続き。
触覚過敏というものがある。
文字通り、触るということに関して過剰な反応を示す。

口の中に物を入れていると安心するので、指しゃぶりの癖が目安の一つになる。
一方、歯ブラシなどの異物を口に入れるのは苦手なことが多いらしい。
他にも抱っこや手つなぎ、散髪、靴下等を嫌がることもある。
多分、クラスに思い当たる節のある子どもが浮かぶのではないかと思う。
「ぬるぬる」「べとべと」「ちくちく」等の感触を極端に嫌う。
たとえば、「ちくちく」なら、服についてるタグが苦手な場合もある。
これらを嫌がる場合は、触覚過敏の可能性がある。

抱っこは嫌がるのに、教師や親にやたらとまとわりつくという傾向もある。
「触られるのが嫌」なので、自分から触って「取り込む」という反応になるらしい。
別の反応だと「身構える」「逃げる」「攻撃する」という場合もある。
いずれも、全ての生物にある「原始的」な反応らしい。
(微生物も、触るとこれらの反応を起こす。)
つまり、生命のプログラムの反応として組み込まれている訳である。

これらの子どもに触れる時の注意点がある。
それは、「しっかりと触る」こと。
表面をなでるような触り方やつつくような触られ方を最も嫌う。
背中を触る時も、手のひら全体でしっかりと押す。
そうすることで、「先生が手で触ってきた」とわかる。
「得体の知れない物」が触れたと認識されないことである。

こういう子どもは、いわゆる逸脱行為が起こりやすい。
そこへの対応について、次号紹介する。

2012年9月13日木曜日

様々な困難を抱える子ども

何と、メルマガの方は出していたのに、こっちの更新をうっかり忘れていた。
前々号の続きを。

特別支援教育について学んでいる方には、当たり前の知識かもしれない。
しかし、私は知らないことだらけだったので、紹介する。

様々な障害の種類について学んだ。
「○○障害だから」と一言で片付けてはいけない。
その一言で、努力や工夫を放棄してはいけない。
けれども、そういう理解をしておくことは大切である。
適切な対応ができるようになる。

まず、読字・書字障害。
「ディスレクシア」ともいうらしい。
文字が二重にダブって見える。
左右反転して見える。
ゆがんで見える。
文字が動いているように見える。
そういう様々な見え方をするらしい。
体験してみたが、かなりの困難である。
読むのが嫌いになるのがわかる。
この場合、当然、書く方も困難である。

こういう子どもは、周辺視野の情報に惑わされやすい。
教室前面に何も貼らないというような配慮が必要、というのは有名である。
しかしながら、どれぐらいすっきりしていたら良いのかは、認識されていない。
写真で見たら、「何もない」状態である。
本当に、何もはっていないし、道具等もない。
チョークと黒板消しだけである。
それぐらい、徹底していた。

人間は上部に気を取られやすい。
だから、黒板上は何もはらないというのが鉄則らしい。
(自分の学級は、思いっきり学級目標がはってある・・・)
だから、字幕は下に出る。
一方、緊急速報は、上に出る。
考えられている訳である。

読む時の便利な道具が紹介されていた。
「リーディング・スリット」という。
真っ黒な紙に、一行分だけの隙間(スリット)が入っている。
それを教科書に当てると、今読む行だけが見える。
高学年になると嫌がる子どもがいるので、低学年の内に使うのが大切らしい。

何事も、工夫であり、先手を打つのが大切である。

他の障害では、「耳ふさぎ」をよくする子どもに多い聴覚過敏。
運動会の「スターターピストル(信号器)」が苦手な子どもは、疑いありらしい。
これも、怖がるなといっても無理で、根性では解決しない。

さらに、触覚過敏というものもある。

長くなるので、次号に続く。

2012年9月7日金曜日

大縄、その回し方は正しいか?

大縄のページビューが異常に伸びている。
需要が大変高いようであるので、ここについて述べる。

ネット等で「大縄」について検索していると、大きな勘違いがよく見られる。
それは、「縄を回すのに体力がいる」というようなことである。

私見だが、縄の回し方が根本的に誤認されているように思う。
このブログ上でもずいぶん解説しているが、極端な言い方をすると、縄は回さない。
引いて張るのである。
ここが、かなり間違っている。
だから、記録が安定しない。

実際見てもらえば一番分かるのだが、とにかく間違った回し方が多い。
それじゃ、100回程度回すのも難儀だろうと思うような回し方である。
中学生以上の大人は力があり、強引に回し続けられるので、特に間違えやすい。
正しい回し方なら、小学生でも毎日1000回楽勝で回せるのである。
無論、正しい回し方は安定しているので、跳ぶ方も楽である。

大縄にこれから取り組もうという方は、回し方を徹底的に勉強するといいと思う。

2012年9月5日水曜日

「言語性IQ」と「動作性IQ」

授業のユニバーサルデザイン研究会」という会の全国大会を参観してきた。
非常にためになる学びがあったので、シェアする。

特別支援教育のワークショップでの学びである。
講師は川上康則氏。
現役の特別支援学校の先生である。

特別支援を勉強している人には常識すぎる話かもしれないが、自分には知らないことがたくさんあった。
「IQ」には、「言語性IQ」と「動作性IQ」という種類に分けて測る方式があるらしい。
(「方式がある」というのは、○○式という感じで、何種類かあるため。
ややこしいのでここでは割愛。)

簡単に言うと、言語性IQは「理解・計算・記憶」といった部分。
動作性IQは「図形・記号」の処理といった部分。
どちらが低いかを見分けないと、不適切な対応に陥る羽目になる。

動作性IQが低い子どもは、パズルが苦手、漢字が苦手ということが多いらしい。
そういう子どもは、ものの見え方が違うそうだ。
漢字が記号的に見えるだけなので、どうにも覚えられない。
また、見え方が違うので、書くことも苦手になるらしい。

これらの子どもに、努力を強いると、二次障害を引き起こす。
努力や根性ではどうにもならないからである。
川上氏は「花粉症の人を杉林に連れて行って、気合いで克服しろ!というのと同じ。」と例えていた。

クラスの○○が苦手な子ども。
どう見ても、努力不足にしか思えない子ども。
実は、努力不足なのではなく、通常以上に困難なのかもしれない。

「努力は善」が基本だが、疑う必要もありそうである。

2012年9月3日月曜日

腕振りの根本を見直す

陸上指導シリーズ第三弾。
今回は「根本を見直す」ということ。
昨年度も同じようなことを書いた気がするが、大切なことなのでもう一度。

運動を指導する時、どうしても末端部分に目がいきがちである。
「腕をよく振って」
「指先を伸ばして」などなど。

しかしよく考えてみると、腕は肩から動いている。
肩は、肩胛骨から動いている。
この肩胛骨は、大臀筋(おしりの筋肉)にも直接つながっている。

そう考えると、「腕をふる」も「脚を動かす」も、全て肩胛骨スタートである。
肩胛骨を少し動かせば、末端の腕や指、脚や足は大きく動くことになる。
つまり、根本を動かすことがポイントである。

体幹運動の理論でも、長距離走の時に「脚」で走らない。
直接働くのは脚部の腿やふくらはぎの筋肉であるように思われる。
しかし、実際に動かすのは「腸腰筋(ちょうようきん)」という、腰と脚をつなぐ筋肉である。
さらにそこを動かすスタート地点は、やはり肩胛骨である。
だから、肩胛骨に羽根が生えたつもりで走る、というのが体幹運動の走りの基本となる。

話が少し逸れたが、運動でも何でも根本を変えれば、末端が大きく変わるということ。
子どもが、こちらが求める動きがうまくできない時がある。
そういう時、求める動きの根本部分はどこなのかを見抜く。
ただ「腕を振れ」ではなく、「肩から生えた羽根ではばたいて」の方が、理想の動きになることがある。
(実は腕自体が振れているかは、どうでもいいことである。)

根本を見抜く力を持ちたい。
  • SEOブログパーツ
人気ブログランキングへ
ブログランキング

にほんブログ村ランキング