2013年10月30日水曜日

良い行いの自己申告

前号の続き。
誉めることを増やす具体的な手段について。

前号でも述べた通り、感謝すべきことは当たり前すぎて気付きにくい。
「空気のありがたさ」は言われるまでまず気付かない。
視点が大切である。

「あなたの顔のどこにほくろがあるか知っていますか。」と聞かれたら、即答できるだろうか。
これは毎日見ている鏡でよく見れば、一発でわかる。
(試しに自分でも確認してみると、意外に多いのでびっくりする。)
「毎日見ている」のに、「気を付けて」意識して見ていないから、普段は気付けない。
普段顔を見ていても、ほくろを見ようという視点がない。
視点を持つことで「あれども見えず」を見えるようにしていく。

とはいえ、そんなにいつも意識していられないのが実情である。
目も二つしかない。
どうするか。

これは、良いことをした本人に直接教えてもらえば良い。
具体的には、子どもに書いてもらう。
「小さな福の神」の実践を何度か紹介しているが、あれを基本に考える。
良い行いを「自己申告」してもらうのである。

「道徳授業原論」という本で深澤久先生の紹介している「世のため人のためカード」も同様。
良い行いを教室のみんなが知ることになる。

普通は自分から良いことをしたと公言するのは憚られるが、「ゲーム」と割り切ればやれる。

私は帰りの会で毎日3分間日記を実践しているので、そこを使う。
「今日感謝したいこと、何か人のためにしたこと」というテーマで書く。
全員の良い行いが一目瞭然にわかる。
自然と、子ども達に対しても感謝の気持ちが溢れてくる。
自分の知らなかったところで、そんなドラマがあったのかと感動することもしばしばである。

どんな方法でもいい。
誉める要素を見つけるための何かしらの手段を持つことが大切である。

2013年10月28日月曜日

誉めることを増やすには

叱る回数が誉める回数より多くなってしまう。
親にも教師にもよくある悩みである。

誉めることを多くするにはどうするか。
意識して「気付く」ことに尽きる。
「気付く」とは自然に起きる現象ではない。
意識して「気」を発さないといけない。

叱ることにはなぜよく気付けるのか。
目立つからである。
自分の「快適ゾーン」をはみ出しているので、よく見える。
嫌だと感じるので、嫌でも気付く。

逆に、良い行為は「当たり前」なので、気付かない。
何度も書いたが、空気に感謝することは意識しないと無理である。
空気を切実に欲するのは、全力で走った後と溺れてる時ぐらいである。
良い行為とは空気のようなものと考える。
すると、学級内で起きている「当たり前」が全て「有り難い」ことに思える。

大切なことなので、次回もう少し続きを書く。

2013年10月26日土曜日

障害物を取り除くか、乗り越えさせるか

子どもの目の前に、障害物がある。
これを近くにいる者がどうするか、大きく二つある。

一つは、障害物そのものを取り除くこと。

もう一つは、障害物を乗り越える手助けをしてあげること。

治療行為を考えるとわかりやすい。

病巣があって手術しないといけないとする。
それは、本人に「がんばって自分でやれ」とはならない。
力のある者(医者)にしか取り除けない。

一方、術後のリハビリの場面。
これは、全部周りの人がやってあげたら意味がない。
支えるが、ねらいは本人に乗り越える力をつけさせることである。

前者は「優しさ」「母性」で、後者は「強さ」「父性」といえる。
人間にはどちらもバランス良く欲しい。
子どもによっても、足りない要素がどちらかに大きく偏っていることがある。
見極めないといけない。

学校や家庭の教育現場でも、日々この選択の連続である。
今、目の前の状況は、手を出すべきなのか、見守る場面なのか。

これを意識するだけでも、指導が変わってくるように思う。

2013年10月24日木曜日

ダイナミックな活動ほど事前指導を

ダイナミックな活動ほど、事前指導が重要になる。
逆に、教師が常にぴったりつける活動であれば、その場で指導が可能である。
普段教室で行う授業は、目の前の子ども全員を把握できるので、いくらでも修正がきく。
しかし、教室の外で、個々に活動するような場面では、事前指導がないとめちゃくちゃになる。

体育の授業は、事前指導が大切である。
子どもが、グラウンドや体育館等という大きな空間を動き回って活動する。
一人一人に声かけをするのも容易でない。
ケガをする前に、安全面だけは確実に全員に周知させてから活動させる。
水泳の学習では特に顕著である。
体育には学級経営が出るという所以である。

図工で、外に出て自由に場所を決めて絵を描く場合も同様。
活動中は子ども達がバラバラになるので、事前指導が全てである。

修学旅行を代表とする、校外学習。
計画の段階から自分達で作って、当日も自由行動。
事前指導に全てかかっている。
放ってからではもう何も指導できない。
計画段階での指導が命である。

職場体験も同様で、マナーや礼儀を先に徹底指導しておく。
そして、何を見て学んでくるのか、ねらいを明確にしておく。
「活動あって学びなし」の事態を未然に防ぐ。

「指名なし討論」というのがある。
子どもが勝手に話し合いを進めていく。
教師にとって、何て楽な方法だろうと思う。
しかし実際やってみると、討論にはほど遠いレベルで終わる。
ものすごい積み重ねの事前指導があって、初めて成り立つ方法である。
楽とはほど遠い。

何でも自由度を高めるほど、指導は大変になることを念頭に置いておきたい。

2013年10月22日火曜日

種を蒔いて育てる

子どもが、ひまわりの種を収穫して教室へ持ってきてくれた。
「福島ひまわり里親プロジェクト」に送るための種である。
クラスの子どもにも協力してもらって、1学期に育ててもらった。

多くの子どもに配ったが、全員が花開き、収穫できた訳ではない。
途中で枯れてしまった場合や、そもそも蒔くのを忘れていた場合もある。
そんな中でも、たくさん蒔いておけば、いくつかは花が開く。

学級経営においても、「種を蒔く」という行為がまず必要である。
例えば何かの活動をしようという場合にも、何はともあれ始める。
そうすると、全員はやらなくても、やる子どもが出る。
「芽が出た」という状態である。
この一つ目の芽を大切に育てる。
絶対見逃さない。
一つ芽が出たことを周知し、称賛する。

すると、芽が三つ、四つと増える。
これも周知し、大いに称賛する。

また増える。
最初の芽はもう大きく育っているので、こちらを紹介することも忘れない。

こういう行為の繰り返しで、学級の様々な取り組みが定着していく。

やりがちな失敗が「やらせっ放し」と「叱る」。
新しい取り組みは、忘れてやらなくて当然ぐらいに構えておく。
やった人がいたら、それはすごいことなのだから、確実に誉め讃える。

プラスαの取り組みは「誉めて伸ばす」が基本である。
誉める行為は「水やり」に当たる。
種を蒔いて芽が出たら、その後も責任を持って水やりをすることが大切である。

2013年10月20日日曜日

買い物の法則 その3

「買い物の法則」、しつこいが以下の通り。
1 欲しいものを決める(本当に欲しいのか吟味する)
2 お金を払う
3 品物を手に入れる

2の部分の最たる方法が「脚で稼ぐ」ということ。
要は、面倒がらずに動くことである。

お金をたくさん払いたいという人は少ない。
できれば、安く手に入れたいと思うのが人情である。

しかし「悪銭身につかず」の諺通り、安易に手に入ったものは簡単に失う。
必死に働いた後の一杯と、だらだら過ごした後の一杯では、品物は同じでも別物である。

無駄に思えても、愚直にやる。
以前、特別支援教育の西村徹先生の実践を紹介した。
特別支援を要する子どもにひたすら寄り添って登下校を続けた話である。
「脚で稼ぐ」を地でいっている。

一番心に響くのは、誰がどう見ても面倒なことを、ひたすら一生懸命やってくれる人。
かっこつけないかっこよさがある。

最高の逸品を手に入れたければ、高額な代償が必要である。
その覚悟がなければ、1の段階から再考し、安い品物で我慢するしかない。

2013年10月18日金曜日

買い物の法則その2 率先垂範と主体変容

買い物の法則 その2の続き。
先に代金を支払うとは、具体的にどういうことか。

例えば家庭教育においては「テレビばっかりみないで勉強しなさい」と言う場合、親が先にできている必要がある。
「誰にでも優しい子に」と願う親は、自分も誰にでも優しくしている必要がある。

これは、学級経営全般にも言える。
宿題やってきなさい。
勉強は一生懸命やりなさい。
本を読みなさい。
字をていねいに書きなさい。
学級目標・生活目標を意識しなさい。
掃除しなさい。
自分勝手はやめて、人の為に動きなさい。
人の悪口やいじめはいけません。
親を大切にしなさい。
言葉遣いはていねいに。
・・・
全ての指導事項において言える。
上記の言葉を、自分自身に言っていると思えばよい。
(たまたま立派な子どもの場合、教師がダメでもできることがあるので要注意である。)

指導していて、「何でこれぐらいできないの」と思った時は、我が身を振り返る。
大抵、それは自分である。
子どもに変わって欲しければ、率先垂範、主体変容に尽きる。

2013年10月16日水曜日

買い物の法則 その2 先に支払う

学級経営含め、ものの考え方全般に共通する「買い物の法則」。
再録だが以下の通り。
1 欲しいものを決める(本当に欲しいのか吟味する)
2 お金を払う
3 品物を手に入れる

今回は2と3について。
お金を払ってから品物を手に入れる。
万国共通の、至極当然のルールである。
2を飛ばして3に至ることを「万引き」という。
社会的に許されない、犯罪行為である。

しかしながら、教育において、教える側はしばしばこの「万引き」をしようとしてしまう。
どういうことかというと、「代償は払わないで結果を欲しがる」ということである。

例えば、子どもに「誰にでも明るく爽やかなあいさつをしましょう」と指導する。
原則から考えて、まず教師がやる必要がある。
それも、子ども達はそのあいさつをできない前提で、無視されることも辞さないつもりでやる。
職員間同士でもやる。
それができるようになって、初めて子どもにも「あいさつしよう」と言える。
自分がしないのに「どうしてやれないの」というのが、「万引き」行為である。
先に自分がやる。
大変だけどやる。
欲しいものを手に入れるために、代償を支払う。

普遍の原理である。
(長くなったので次号に続く。)

2013年10月14日月曜日

買い物の法則 その1

8月末のセミナーで「買い物の法則」というのを紹介した。
学級経営の基本的な考え方として紹介したオリジナルの法則である。

1 欲しいものを決める(本当に欲しいのか吟味する)
2 お金を払う
3 品物を手に入れる
この3つを順番に行うのが正しい、という、いたって単純な法則である。

この「1 欲しいものを決める」という過程が、つまりは理想像を描く行為である。

おつかいを家族の誰かに頼む場面を想像するとわかる。
「○○買ってきて」と言われれば望むものを買ってきてくれる。
「何でもいいから食べる物買ってきて」と言われたら、相手はかなり悩む。
大抵、大して食べたくもなかったものを買ってきてくれる。
(これを「自業自得」という。)

ちなみに「夕飯何食べたい?」の答えで一番困るのが「何でもいい」である。
大抵、出されたものに文句を言うか、うまいとも言わずにもさもさ食うのがオチ。
お互いの為にも、きちんと食べたいものを意思表示した方が良い。

この為の手法として「未来予想図の学級通信を書く」という手法を紹介した。
(こちらは原田隆史先生の教師塾で学んだ手法である。)
ちなみにこの手法は、自分のノートに書くだけでも効果がある。
なぜなら自分自身の理想像を固め、宣言する行為につながるからである。
学級通信を実際には出していない人にも有効な手段である。

まずは、学級担任がどんな学級にしたいかの具体的な理想像を描くこと。
全ては、そこから始まる。

2013年10月12日土曜日

アウトプットを意識する

アウトプットとインプット。
バランスが大切とはよく言われる。
では、どちらが先か。

「インプットが溜まってアウトプットできる」という考え方が普通である。
一理あり、中身が多いほど出すものの質が高まる。
だから何か発表などを頼まれると「私程度のものが」と辞退したくなる。
もっと勉強してからなら発表できる、と思う。
(同じような記事を、大分前にも書いた。)

しかしながら、逆の考え方もある。
アウトプットありきでインプットする、という考え方である。

先に「発表する」「レポートにまとめる」「同僚に話す」等という活動を決めておく。
「テストで良い点を取る」というのも実はこれである。
インプットすることをどうアウトプットするのか、決めておけば学びの質は必然的に高まる。
「ここ、テストに出るぞー」などと言うベタなセリフがあるが、これも同じ。
「テストで正解する」という動機を持っている相手なら、これで必死に覚える。
(そこに重きを置いていない相手には、無効である。)

先日の学級作りセミナーでは、会のはじめに「最後に参加者同士で学びの交流をします。」と示した。
企画した飯村先生が「こうすれば学びが深まる」ということを実感している。
後で発表があるとなれば、学んだことを消化しておく必然性が出る。
結果、インプットの質が高まる。
また、実際人に話すことで、自分の中で気付きが生まれる。
人の話を聴くことで、自分と違う視点から、さらに気付きが生まれる。

とにかく、せっかく学ぶなら、アウトプットを意識することである。
そして「感動は生もの」だから、すぐ使う。
学習会後の参加者同士の交流は、即席&最速のアウトプットの時間である。

2013年10月10日木曜日

やる気スイッチセミナーでの学び

夏休み明けに行った「やる気スイッチセミナー」での学び。

河邊先生からの学び。
「子どもが近くにいる」だけで教師には「チャンス」。
飯村先生からの学び。
「学級経営で一番大切なことは、子どもを好きになること。」

「感謝」の反対は「当たり前」。
当たり前だと思いがちなこと全てに、改めて感謝したい。

2013年10月8日火曜日

プラスワンを求める

最近よく話題に出す、山口県の福山憲市先生からの学び。

「プラスワン」
つまり、ここまででも100点なんだけれど、更に上がある、という考え方である。

以前に書いたが、返事一つ、手の挙げ方一つでも、レベルはピンキリである。
理想が高すぎても低すぎても、子どもは伸びない。
今の現状にプラスワンを求め続けること。
福山先生は「人より一歩前」というようにも表現していた。

その為には「当たり前が自然体のクラス」を作る必要がある。
「当たり前」=「暗黙知」のこと。
全員の「当たり前」レベルを上げないと、プラスワンが求められない。
いちいち言わないといけないレベルでは、次が求められない。
「1を知って10考える」レベルにもっていく。
それも、全員をもっていく。
「1学期までに揃いの姿を」と表現されていた。

自分の学級経営を振り返り、どこに「当たり前」があるか見極めたい。

2013年10月5日土曜日

戦略と戦術

先日、道徳の研究会で次の本を紹介され、購入した。

「『超』入門 失敗の本質」
鈴木博毅 著 ダイヤモンド社 

日本軍の敗戦を例に、その根本や本質を読み解いていくという内容である。
この本の最初の章に「戦略の失敗は戦術で補えない」とある。
戦術より戦略がより大切ということである。

ところで「戦略」と「戦術」の違いは何か。
類義語だが、意味が違う。
戦略の方がより大局的で、戦術は具体的である。
大きく戦略を考えて、そのためにたくさんの戦術を用いる、という感じである。
元々軍事関係の言葉だが、今ではビジネスやスポーツなどでもよく使われる一般用語である。

学級経営も、戦略的に考える必要がある。
夏休みにたくさん研修を受けたり本を読んだりする。
そこで様々な「戦術」を知る。
しかし、戦術が生きるかどうかは、戦略次第である。

具体的に例を挙げる。
以前紹介した「小さな福の神」という実践がある。
くじ引きでクラスの全員がそれぞれ誰かの福の神になり、一日中取り憑いて密かにいいことをする。
子どもに大人気の実践である。
ゲーム的で面白い。
この実践自体は「戦術」である。
これをどう生かすかが「戦略」になる。
この実践を継続的に通していく中で、これをやっていない時にも自然に「福の神」が出てくる。
自然な「福の神」がだんだん増え、やがて全員が常に「福の神」状態になる。
そうなるように仕向けていくにはどうするか。
ここが「戦略」である。
さらなる「戦術」を組み合わせていくことになる。

つまり、どんなに良い「戦術」でも、単発では効果が薄い。
戦略的に用いてこそ、初めて効果が現れる。
ネタ集めに尽力したら、それをどう生かすかである。
学級経営は「戦略」であり、個々の実践が「戦術」と言える。

夏休みに情報収集した「戦術」を、どう戦略的に用いるか。
ここが、学級経営の面白いところである。

2013年10月3日木曜日

初心に返る

過日、教員採用試験があった。
採用試験に臨むにあたり、必ず問われること。
「何で教師になったのか」

この初心に常に立ち返ることが大切であると思う。
いつのまにか、日常に忙殺されていて、ここを忘れがちである。

私は、友人が不登校気味だった。
学校が楽しくないのかもと思った。
だから、学校を楽しい場にしたいと思った。
(今となって考えると、それだけではなかったこともわかるが。)

友人によく算数を教えていて、「お前教えるの上手いな」と誉められた。
「人に勉強を教えるのって楽しいかも」と思った。
みんな勉強がよくわかれば、学校がもっと楽しくなるのかもと思った。

外で遊ぶのが大好きだった。
毎日体育があったらいいのにと思った。
先生になったら、毎日体育にして、毎日外で楽しく遊ぼうと思った。
(毎日体育は無理だとわかったが。)

そんな風に思い出して、二学期の学級スタートを考えた。
要は「楽しさ」が動機である。
それも「人との関わり」「授業」「遊び」の3要素が基本である。
ここは、人によって違っていい。
ここをベースに、2学期の始めに何をするか絞っていった。

いつでも迷ったら「何で教師になったのか」。
初任の自分や、学生時代の自分に訊ねてみるのも手である。
結構、最適な解が返ってくる。

2013年10月1日火曜日

脚で稼ぐ

最近、自分で大切だと思っていることが「脚で稼ぐ」ということ。

頭で色々考えて、なかなか動けないことがある。
「能率・効率を考えることが最も非効率」であることが多いことも知っている。
システマティックに考えることが裏目に出ることも多い。
そういうのが苦手な人の方が多く、非効率でも人間的な方が求められる。

自分の好きな友人の一人は、とにかく脚で稼ぐ人間である。
ちょっとした用事がある時、面倒がらずに、直接そこまで行く。
面白いお土産を見つけると、必ず購入してターゲットに渡す。
(私も、何度かやられたことがある。大変に無駄である。しかし、印象に残る。)
ただ一ネタ、一笑いの為に身銭を切るという、自分にはできないことをするので尊敬している。

そんなことを思っている折、面白い話に出会えた。
兵庫県の仲島正教先生という、学級作りのセミナーをしている方の講演である。
私の所属している地域の方は、大多数が聴いたと思うので、他の地域の方の為にシェアする。

こんな問いがあった。
「体育の時間で集合をかける時、いつも決まって一番遅い子どもがいる。
この子どもを一番に集合させるにはどうするか?」

少し考えてみて欲しい。
自分ならどうするだろうか。

答えは、今日のタイトルの通り。
要するに、自分でその子どもの所まで走っていき、そこで「集合!」。
この先生が言っていることも、同じことである。
「脚で稼げ」。

この先生も言葉遊びが好きである。
つまり、脚で稼ぐことは「教育」であると。
教育は「今日行く」である。
寄ってこない子どもには、自分から行けばいい。

休み時間も同様。
教卓に寄ってくる子どもの相手をして満足してはいけない。
その時一人で本を読んでいる子どもを見過ごさない。
次の休み時間には、自分から寄っていく。

「脚で稼ぐ」だけでも相当な内容があった。
またシェアする。

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7月29日、高校サッカーインターハイが開催される。 私も高校時代、燃えていたので、どこか出るのかとかは気になる。 さて、サッカーでは、ポジショニングが大切である。 それぞれの選手がその瞬間にどこにいるか、ということが次のプレーを左右する。 ポジショニングの上で大切なこ...

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