2010年12月31日金曜日

角度で見え方が変わる

同じものを見ても、見る角度で違って見える。
今更なことだが、アンケート一つとってみても、その人の見方が分かる。
良い面ばかり見る人と、悪い面ばかり見る人がいる。
どちらも大切である。
良い面を伝えてくれる人は、やる気を出させてくれる。
悪い面を伝えてくれる人は、改善すべき点に気付かせてくれる。
教師には、保護者や同僚、地域の方々、そして子どもからの全ての意見が大切だ。

しかし、子どもに伝える時は、可能な限り良い面だけにしたい。
悪い面を伝えて改善されればいいのだが、多くの場合、無駄である。
「また忘れ物をしたね。」「もう何回言えば直せるんだ?」
言えば言うほど、互いにストレスである。
「明日は持ってこられるといいね」「今日は持ってきたね!やった!」
・・・
まあ、こんな理想的にいけばの話だが。
現実には、感情が入るため、なかなか冷静に対処できないのが通常だろう。
それはわかる。
わかるのだが、そこをコントロールできるだけで、ぐっと変わってくる。

ものの見方を変えよう。
意識的に行うことで、無意識に刷り込まれる。

2010年12月24日金曜日

「叱るべきこと、放っておくこと」のライン

では、次号の続きから。
このラインの設定基準は「これを放っておくと10年後どうなるか?」である。

例えば、いじめ。
これを放置しておけば、いじめる側、いじめられる側、周りの子ども、全てに悪影響が出る。
将来的に人間不信に陥ったりする原因になるかもしれない。
しかしいじめも一つの通過点。
学習の場として、きちんと厳しく指導すればいい。
これの放置は、絶対にいけない。
なので、腰を据えてきちんと対策をとり、徹底的に対応する。確実に叱り、指導する。

例えば、廊下を走ること。
これは注意した方がいい。
周囲の人間に対しても危険だからだ。
しかし、放っておいても、10年後に影響が出るかというと、それほどでもない。
だから、注意はきちんとするが、短く言って終わり。
でも毎回発見する度注意する。
そのレベルである。

例えば、忘れ物。
例えば、宿題忘れ。
例えば、整理整頓。
例えば、遅刻。
これらのものは、全て「自分」に原因も影響もあるものである。
自己責任の範囲である。生活習慣の範囲である。
まあ、指導する側としては好ましくはなく若干困るが、一番困るのは本人だ。
こういうことは、短く諭してあげればいい。
時に放っておくこともある。
長い目で見て変化が起きうることで、すぐに改善しにくいものだからだ。

学校には守るべきルールやきまり、義務が無数にある。
トイレの紙の使用可能な長さが校則で決まっているという笑い話もあるぐらいだ。
それら全てを完璧に守って過ごしたら、息が詰まる。
どれを叱ってどれを放っておくか。
自分なりの基準を意識して指導に当たるだけで、気持ちがぐっと楽になる。
お試しあれ。

2010年12月23日木曜日

叱るべきこと、放っておくこと

どのポイントで叱るのか。
この先生はどういうことで怒るのか。
それを、子どもにそれとなく姿で伝えていくのも大切だと考える。
叱ることで、自分の人生観を子どもに伝える意味がある。

無論、叱ることが少ない方がいい。
しょっちゅう叱って(感情が入ると怒って)いると、子どもも「またか」と思ってきかなくなる。
普段よく笑顔で誉めてくれる先生だからこそ、叱るという行為も効果が出る。
スイカに塩をかけて食べると甘いが、大量に塩をかけ続けていては、しょっぱいだけである。

どれぐらいの割合がいいかというと、「誉める:叱る=9:1」が理想といわれる。
現実はこれが「誉める:叱る=1:9」になってしまうのが大方の悩みである。

では、どうするか。

タイトルの通り「叱るべき子と、放っておくこと」のラインを決めるのである。
(次回に続く)

2010年12月9日木曜日

2倍速○つけ法

子ども同士で○つけをする方法を紹介してきた。
しかし、すぐにやり方を変えられない方も多いと思う。
そこで、教師が○つけをする場合の速度アップ方法も紹介する。

1作業スペースの確保(机の上を整頓)
2正しい解答の用意
3子どものテストを2枚並べ、照らし合わせる(全体、または半分ずつ)
4二つの解答が異なる場合のみ正解を確認
5間違っていた方に×だけつける
6次の2枚へ
7全て終わったら○をつけながら点数を数えて記入
 (全問正解は大きく花丸のみつける。)

様々な方法があるが、これは比較的使える。
テスト全体の出来がいい場合は、3枚一気もいける。
注意点は、×をつけそこねると、○になってしまうので、×の見落としをしないこと。
加えて、非常に難しいと思われる問題や全体の半分以上がひっかかる問題には使わないこと。
(二人の解答が誤答で一致する可能性あり)

以上、興味ある方はお試しあれ。

2010年12月8日水曜日

全ての行為に「なぜ」を

「~しなさい」と、行動指示だけをする。
子どもはその通りに動く。
きちんとできると、誉める。
「よく言うことが聞けるね」「えらいえらい」
・・・・・・・

こういうことを繰り返していくと、危険である。
考えないで指示通りに動く「指示待ち人間」の製造過程だ。
(私は「ロボット」と呼んでいる。)
一昔前の日本の社会なら、そういう人物が重宝された時代もある。
しかし周知の通り、今求められているのは「自律型」の人物である。
意志決定を自分自身でできる人物である。
それには、「なぜ」を考えることが必要となる。

私がよく子どもに問う例を挙げる。
○なぜあいさつをするのか。
○朝の歌は何のために歌うのか。
○なぜ分担して掃除をするのか
○なぜ学習で鉛筆を使うのか
○なぜ間違いが大切なのか
・・・・・
挙げればキリがないが、おかげで学級の子ども達はよく自律して行動する。
子どもによく言うのが「先生がいらなくなったら最高」という言葉。
自分達が学級の主役なのだという自覚を持たせたい。

その点、「号令」も使い方を考えなくてはならない。
号令はそもそも、有無を言わさぬ命令である。
そこに思考は必要ない。
例えば軍隊では命の危険にさらされるため、号令に素早く従うのは必須である。
考えていたら、その場で死ぬかもしれない。
教室の場合で考えてみる。
授業前「気をつけ」の号令をかけるのは、なぜなのか。
日直が行うのもなぜなのか。
そこに教師の明確な意図があり、それを子どもが理解した上で従っているのなら、大丈夫だ。
(細かいことだが、「気をつけ」は直立姿勢で行う。座っていてはできない。)

常に思考を働かせ、自主自立の精神を持った子どもを育てていきたい。

2010年12月5日日曜日

一人の人間として大切に接する

一人の人間として大切に接する
なぜ教師が必要なのか。
 それは、子どもが不完全な存在だからである。
 不完全ゆえに、教育を必要とする。
 しかし、大人は完全かというと、そうでもない。
 教師もまた、不完全な大人として子どもの前に立つ。
 不完全ながらも、子どもに教えるのである。
 そこには、少なからず謙虚な心が必要とされる。
 子どもに対して呼び捨てにしたり、ぞんざいに扱ってはならないのである。
 やがては巣立ち、師を大きく超える存在になるのである。
 6年生を担任した人なら、中学に行ってからの子どもの変化に目を見張る。
 まして、子どもが成人したとなれば、もはや別人である。
 子どもだと思って接していた人物に、敬語を使い使われる時が来るのである。
 その時になって「もっと大事に扱うべきだったなぁ」と反省させられる。
 
 心構えとして大切なのは、「一人の人間」として大切に接することである。。
 こちらも人間、あなたも人間というように、平等な存在として接する。
 相手が力的に弱い立場だからといって、いい加減に扱わないことである。
 具体的な例を挙げるなら、「言葉遣い」に気をつけることだ。
 必ず「○○さん」「○○君」と呼ぶだけでも、後に続く言葉が変わる。
 「私」を「わたくし」というだけで全体の言葉遣いに変化が起きるという話を読んだことがあるが、まさしくそれと同じである。
 一緒に遊ぶ時には、砕けた言い方で呼ぶ時があっても構わない。
 しかし、授業という「公」の場では、それにふさわしい言葉遣いが求められる。

おすすめ書籍

今日は休日ということもあり、少し趣向を変えて本の紹介を。
(文体も、いつもと変えて敬体にします。)

教育に関するものなら・・・
「灯し続けることば」 大村はま 小学館
『「楽勉力」で子どもは活きる!」 親野智可等 祥伝社

人生観を広げるものなら・・・
「道をひらく」 松下幸之助 PHP
「やりたいことをやれ」本田宗一郎 PHP研究所

ビジネス書でスキルアップをはかるなら・・・
「なぜあの人は整理が上手いのか」 中谷彰宏
「一生折れない自信のつくり方」 青木仁志

単純に読書を楽しむなら・・・(超個人的な好みで)
「燃えよ剣」 司馬遼太郎 
「ぼくは勉強ができない」 山田詠美

などなど。
まだまだありますが、今回は特に好きな作家の作品を紹介しました。
大村はまさんの本はいいです。アツい。
親野智可等さんはメルマガ上でも有名人なので、知っている方も多いと思います。
中谷彰宏さんの本も大好きで、私は100冊以上持ってます。

読書はいいです。
パワーアップする感じがします。
また紹介したいと思います。

2010年12月4日土曜日

教師もゆとりが大切~休憩の重要性~.

■教育観 教師もゆとりが大切~休憩の重要性~
私はたまたま、ここまでに先生方に対するアンケートの集計係になる機会が多くあった。
10年前も今も変わらない回答がある。
それは20代の教師も、ベテラン教師も共通の「忙しい」という声。
実に9割以上の教師は、日々が「忙しい」と感じているらしい。
全国的な調査を見ても、他の職種に比べ、教師の自殺率の高さが際立っている。
悲しいことだが、忙しさの結果のように思えてならない。

さて、なぜかくも教師は忙しいのか。
完全な私見だが、どうも皆「真面目すぎる」せいではないかと思う。
「休み時間も仕事をしないと終わらない」
「教師は常に子どもにつくべきだ」
「常にきめ細やかな指導を」
「児童生徒のためなら自分のプライベートが犠牲になってもしかたない」
・・・etc

大変立派で大変頭が下がる思いなのだが、果たして本人は幸せなのか。
(「幸せです!」と笑顔ではっきり答える人なら、何も問題はない。)

ここで一つ提案したい。
「1日10分は、休憩しよう」ということだ。
家に帰ってからではない。
権利として認められている勤務時間内にである。
そういうことを言うと「不真面目だ」と非難する人がいる。
果たして、そうだろうか。
自分をいたわることは、不真面目なのだろうか。

常に仕事にまみれ、家庭も自分の楽しみも犠牲にする大人。
そんな大人に、子ども達は憧れを抱くのだろうか。
将来の希望を抱くのだろうか。
自分を大切にできない人が、他人を大切にできるのだろうか。

私の尊敬している先生は、誰よりも仕事ができ、誰よりもよく遊ぶ。
休憩もしっかりとるし、月曜になるとよく旅行先のお土産を持ってきてくれる。
悲壮感がない。楽しそうで実にいきいきしているのである。
それなのにこなす仕事の量は、平均以上である。

まず、忙しくしているのは自分だということを認める。
若い人は、仕事が遅いことも認める。(経験が浅いのだから、当然だ。)
楽しみの時間は「先取り」しないと確保できない。
なぜなら教師の仕事は際限がなく、永遠になくならないからだ。

コーヒー一杯のブレイクタイム。
難しいかもしれないが、たったそれだけで、子どもに優しくなれる。
ゆとりを自分で作ってみませんか。

2010年12月2日木曜日

毎日遅刻して来る子ども、どうしますか?」.

遅刻のいわゆる「常習犯」。
どこの学級にもいることと思う。
この子どもにどう対応するかで、教育観が出る。(と思う。)
読者のみなさんならどうするか、考えていただきたい。

私は、朝、遅刻して教室に入ってきた子どもに次のように言う。
「よく来たね!良かった、良かった!!!」
そして、頭を撫でてやる。
「で、どうした?」と聞く。
大抵「寝坊しました。」と答える。
「そうか。明日は遅刻しないように、がんばってね。」
これだけである。

そもそも、遅刻が習慣化しているような子どもは、心のどこかで問題を抱えているものである。
それは、様々な事情で親と十分なコミュニケーションがとれないのかもしれない。
家庭内でトラブルが発生しているのかもしれない。
他にも色々考えられるが、本人が苦しんでいることだけは間違いない。

そんな苦しい状況で、よく休まずに来てくれた。
心からそう思うのである。
担任にとって一番困るのが、来られるのに休まれることだと思う。
「遅刻していくと、怒られる」→「じゃあ、休んじゃおう」
こうなったら、叱ったり怒ったりしたことが結果マイナスになってしまう。
だからこそ、がんばって登校した子どもには歓迎の意を示してあげたい。

話は少し逸れるが、私は夏休みの学校が好きではない。
(夏休み自体は好きだ。たくさん勉強できるチャンスだ。)
子どもがいない学校ほど、つまらないものはない。
同様に、子どもがいない教室では、我々の存在価値がないと思う。

全員が休まずに、とにもかくにも揃っている。
それだけで素晴らしいと思う。
感謝していいことだと思う。

遅刻したって、いいじゃない。
あなたがいてくれるだけで嬉しい。
心からそう思えば、一日を爽やかに過ごせる。
是非お試しあれ。

2010年11月18日木曜日

時間は有限 雑務に時間をとられないために.

今回は「仕事術」について。
雑務に時間をとられないということは大切だ。
なぜなら、その時間を使って教材研究をしたり子どもと遊んだりと、有益な時間を生み出せるからだ。
何でも一生懸命やればいいというものではない。
物事には「能率」というものがある。
あるランニングコーチが次のようなことを言っていた。
「四角いものを無理矢理押して転がすこともできる。しかし丸いボールならより小さな力で速く転がせる。」
まさにその通りで、言葉はきついが、仕事に対して「無駄な努力」をしていることが往々にしてある。

さて、具体的にどんな仕事術があるのか述べたいのだが、その前に一つ。
このブログを読んでくださっている方々は、きっと若い先生方が中心だと思う。
だから敢えて一つ付け加えたいのだが、「無駄な努力は無駄とは限らない」ということである。
矛盾したことを言うが、そうなのだ。
例えば私は、新卒の頃、次の日に行う全ての授業の教材研究と準備をしていた。
一年目は全て、二年目も8割方、三年目も7割以上はそうだったように記憶している。
校務分掌も初任から体育主任&情報主任&理科主任だったため、かなり色々な仕事があった。
そうなると当然、朝昼晩とずっと仕事をしていることになる。
プライベートにも支障が出る。
それでも、ひたすらやる。
これが無駄だったかというと、全く逆で、むしろここで基礎体力がついたのである。
能率悪くひたすら押しまくっていた対価として、筋力がついたと考えてもらえばいい。
その後で、能率良い方法を使った時、驚異的に仕事の速度が上がったのである。

つまり、ラクする方法を覚える前に、まずある程度苦労して欲しいのである。
「それじゃこのブログを読む意味がない」と言われそうだ。
そうなのだが、少しは辛い経験をしないと力がつかないのも事実なのだ。
「目の前の仕事に全力を尽くす」のは、基本中の基本といっていい。
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