2010年12月8日水曜日

全ての行為に「なぜ」を

「~しなさい」と、行動指示だけをする。
子どもはその通りに動く。
きちんとできると、誉める。
「よく言うことが聞けるね」「えらいえらい」
・・・・・・・

こういうことを繰り返していくと、危険である。
考えないで指示通りに動く「指示待ち人間」の製造過程だ。
(私は「ロボット」と呼んでいる。)
一昔前の日本の社会なら、そういう人物が重宝された時代もある。
しかし周知の通り、今求められているのは「自律型」の人物である。
意志決定を自分自身でできる人物である。
それには、「なぜ」を考えることが必要となる。

私がよく子どもに問う例を挙げる。
○なぜあいさつをするのか。
○朝の歌は何のために歌うのか。
○なぜ分担して掃除をするのか
○なぜ学習で鉛筆を使うのか
○なぜ間違いが大切なのか
・・・・・
挙げればキリがないが、おかげで学級の子ども達はよく自律して行動する。
子どもによく言うのが「先生がいらなくなったら最高」という言葉。
自分達が学級の主役なのだという自覚を持たせたい。

その点、「号令」も使い方を考えなくてはならない。
号令はそもそも、有無を言わさぬ命令である。
そこに思考は必要ない。
例えば軍隊では命の危険にさらされるため、号令に素早く従うのは必須である。
考えていたら、その場で死ぬかもしれない。
教室の場合で考えてみる。
授業前「気をつけ」の号令をかけるのは、なぜなのか。
日直が行うのもなぜなのか。
そこに教師の明確な意図があり、それを子どもが理解した上で従っているのなら、大丈夫だ。
(細かいことだが、「気をつけ」は直立姿勢で行う。座っていてはできない。)

常に思考を働かせ、自主自立の精神を持った子どもを育てていきたい。

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