「聞く」に関連して、教えるということについて。
本人が考えれば辿り着けることは、教えない方がいい。
これが基本である。
よく読めばわかることは、教えない方がいい。
これが基本である。
つまり、よく聞くことは大切だが、自分で考えてわかる方が上策である。
一方、聞くことは学力の根本でもある。
聞くことで、何をすべきかわかる。
大切なことを一つ伝えたら、後は活動へ移る。
長々と聞かせても無駄である。
聞いたことについて、本人がよく考え、使いこなせるようになる方にシフトした方がよい。
これは子どもに限らずだが、よく考えずにやたらとすぐに尋ねてしまう傾向がある。
その方が、楽だからである。
質問する力も大切だが、よく考えた上でする質問でないと、結局は本人にとってもマイナスである。
(これは、日頃から大切と伝えている「助けて力」とは根本的に違う。
「助けて力」は、自分ではできないことに困った際に使うべき力である。)
例えば私の学級では、毎年「自力でわかるようなことは質問しない」と4月の段階で予め指導してある。
自分で読まなくなり、結果的に子どもにとってマイナスになるからである。
だからこそ、人が話している時は真剣に聞くことを指導する。
個人的に自分が聞いていなかっただけのことを、全体の進行をしている人に対して思い付くまま質問することは、進行の妨げである。
迷惑行為である。
一生懸命に聞いている人(=前向きで真剣で真面目な人)の集中力を阻害することになる。
聞いたり読んだりして、自分でわかる
↓×
周りの仲間を見てわかる
↓×
周りの仲間にきいてわかる
↓×
先生などの大人にきいてわかる
というステップで、初めて質問にいたる、と教える。
自分で少し努力すればわかることをやたらに質問するというのは、望ましくない行為である。
(自己有用感を求めている人には歓迎される。
また例外として、1年生の最初の時期は、ただ単に先生と関わりたいだけなので、その欲求はある程度満たす必要がある。)
まして、全体に対して話している人にストップをかけてどうでもいいことを尋ねるというのは、言語道断のマナー違反である。
要するに、聞く力をつけるにも、読む力をつけるにも、教えないことである。
常日頃より話を最後まで聞き、粘り強く読み直す習慣を身に付けるように指導し、やたらと教えてあげないことである。
懇切丁寧に教えてあげる行為が、学力を総合的に下げる原因となっている可能性が高い。
教師の仕事は、教えることである。
だがその本質は、子どもに力がつくことである。
一生懸命教えたつもりで力がついていないのでは、本末転倒である。
教えて力をつけたいからこそ、やたらに教えない。
これは、結構な恐怖である。
勇気と根気と我慢のいる行為であるが、教え導く立場にある全ての人に必要な姿勢である。