2011年1月31日月曜日

教育を必要としない人間を育てる

教育を必要としない人間を育てる
最近縄跳びのことばかりなので、閑話休題。
メルマガ副題の「教育観と仕事術」に立ち返った内容を一つ。

私は、自分の中で一貫して常に持っている「教育観」がある。
「他からの教育を必要としない人間を育てる」ことである。
語弊がありそうなので説明すると、勉強しない人間にする訳ではない。
それと全くの逆で、自分で考え、行動し、学ぶ人間にすることである。
(実は、自分の勤める学校の教育目標とほぼ一致している。)
当たり前のことだが、現実では結構これと反対の方向の努力がされているように思う。

あまり具体的に書くと角が立つので言えないが、多くの場合「ていねいすぎる」のではないかと思っている。
ちょっと放っておく方がいいこともある。
少し見栄えが悪くなっても、自分でやらせた方がいいこともある。
黙って流しておいても、支障ないこともある。
ちょっとできなくても、命に関わるほどのことではない。
困った方がいいこともある。

私の薦める「隣と交換○つけ」も、「休憩のすすめ」も、その教育観の流れの一つである。
「微に入り細をうがつ」ようなていねいな指導が、逆に子どもをだめにしていないか。
親も教師も、少し立ち止まって、振り返ることが大切だと思う。

2011年1月30日日曜日

目標設定の方法

目標をどこに置くかは、大切なポイントである。
あまりに高すぎても現実味がないし、低すぎるとやる気が出ない。
よく言われるが、「短期目標」と「長期目標」の二つの設定が大切である。
(次々出てくる短期目標を「中期目標」と見ることもある。)

自分のクラスの大縄を例に、具体的に述べる。(最近の実話)
学活での子ども達で話し合い。
経験不足のため、「200回」とかそのあたりを最終目標に設定しだした。
「え!?」と私。
「1000回ぐらい跳ばないの?」とびっくりした顔で言う。
びっくりする子ども達。
しかし、中ににやりと笑っている子どももいる。
自信のある子ども達である。
(ちなみにこの子ども達は、後にリーダーに立候補する。)
話し合いの末、「最終的に1000回。そのためにまず100回。次に200、300と増やす。」
という結論に達した。

100回を目標にしている内は、70回ぐらいで相当きつい。
300回とかきくと、雲の上の話である。
それが、実際150回を越え出すようになると、100回でひっかかるとがっかりするようになる。
それぐらいでは全然疲れなくなる。
500回ぐらいけそうな気がしてくる。
300回越え出すと、1000回が現実味を帯びてくる。
何だか、いけそうな気がしてくる。
そうやって、常に上を目指していく。
そのためには、雲の上にあるような大目標が必要なのである。
紙に書いた目標が、現実をひっぱってくれる。
どんなことにも当てはまる大原則である。

2011年1月29日土曜日

互いに高め合う

大縄などの大会が校内であると、隣のクラスの記録が気になり出す。
まあ、大抵は「一番になりたい。勝っていたい。」と思っている。
それ自体は悪くないのだが、相手の記録が伸びることに恐怖心を抱くのは問題である。
それは、つまり暗に「自分達はそこまで伸びない」と自己暗示をかけていることになる。

逆の発想でいく。
つまり、周りのクラスに、もっともっと強くなって欲しいと願うのである。
心から願うのがポイントだ。
そうすれば、自分達もそれ以上になれる。
目指す頂が高くなるのである。
他のクラスで自分達以上の記録が出たと聞いたら、素直に喜ぶ。
達成しているクラスがあるので、現実的である。
自分達にもできるというイメージを持ちやすくなる。
自分達が突破したら、それを周りに伝える。
すると、周りがさらに強くなる。
正のスパイラルができあがる。
ちなみに本校では、週に1回全クラスの最高記録を放送することで、これを行っている。

大縄、8の字跳びの目的は何か。
クラスの団結を深め、より良い人間、より強い人間に育てることである。
隣のクラスの子どもまで良くなったら、一石二鳥ではないか。
人の成功を、心から喜ぼう。

2011年1月28日金曜日

大縄&8の字跳び必勝法 声をそろえる

声をそろえることは大切である。
「声がそろうと心がそろう」と子どもに教える。
「心を一つにする」ことで、「一つの生き物」として、理想的な動きが得られる。

まずは、かけ声の「1、2!」を大きく出させること。
そして、文字通り「全員」出させること。
例外は認めない。
一人でも出さない人がいたらダメであることを強調する。
一人でも仲間外れがいたら、それだけでうまくいかない。
声が出ると、雰囲気も良くなり、やる気もでる。

なお、これは朝の歌や教科書の音読など、生活の中の全員で声を出す場面でも徹底させる。
「これも大縄の練習」と伝えると、がぜんやる気を出す。(練習を楽しんでいる場合)
お試しあれ。

2011年1月27日木曜日

跳べない子どもへの具体的手立て

以前、ごりごりに「跳ばせる」という精神論を述べた。
精神論だけで、具体的な方法も知りたいと思う。
これはその子どもの状態によるので、一概にこうだといえないが、一つの方法としてお伝えする。
なお、この「縄跳びシリーズ」は、縄跳びだけでなく、学級経営全般に共通する手法である。

まずは、「現状把握」。
どうして跳べないのかとらえる。
怖いからなのか、運動技能の問題か。
それをとらえて、具体的な手立てをうつ。
前者の場合は、
A手をつないで一緒に縄に入る(手をつなぐのは教師→クラスの子どもへと移行)
B縄を大きくゆっくり回す
C体育館でなくグラウンドで練習する(一年生は、縄が床につくあの音が怖いらしい。同僚の先生に教わった情報。)
D「郵便屋さんの落とし物」「ヘビ」のような、簡単な運動からステップを踏む
E縄をかえる(太い縄は迫力があり、痛そうなイメージがあるので、単縄のような細くて軽いものにする。)
などが挙げられる。
後者の場合は、
A単縄前回しを向かい合って一緒に跳ぶ
 →これができない場合は、手足の協応動作ができていないのが原因と考えられる。
B目を開かせる(まれに目をつぶって入る子どもがいる。怖いのもあるかも。)
C入るタイミングを教える。(一緒に縄に入る→背中を軽く押す→声かけをする、とステップアップ)
Dジャンプの位置を教える。(縄の中央まで走らせる)
E跳ぶタイミングで声をかける
などを行う。

そうしたことを行っている内に、ほんのかすか、わずかな進歩が見られる。
すかさず誉める。
大げさなぐらい誉める。
その小さな進歩を心から喜んで誉める。
それを、クラスの仲間みんなでやる。
それが、やる気につながる。

いずれにしろ、誰よりも本人が苦しんでいるのだから、あまり無理強いはできない。
無理強いはしないが、「あなたはできる」と言い続けること、具体的な手立てをうつこと、励まし続けることが担任の責務である。
ちなみに、クラスの仲の良い子どもに「○○ちゃんを練習に誘って」と声かけしておくことも大切である。
全体練習の場だと固まる子どもも、仲良しの子どもと少人数での練習だとリラックスしてできることもある。

なお、やっていて「何でこんなにもできないのか」と腹立たしく思う時があると思う。
その時の対処法だが、自分が「超」苦手な分野のことを思い浮かべるといい。
「お前なんでそんなできないんだ」と言われても、辛いだけだろう。
そう思うと、「仕方ないか」と思える。(と思う。)

子どもを信じ、自分を信じて、努力する。
辛い思いをした分だけ、得るものも大きいだろう。

2011年1月25日火曜日

大縄跳び 跳び方の指導

大縄での跳び方の指導法について。
技能的には手の振り方とか足を閉じるだとか色々ある。
そういう細かいことでなく、一番大切なことを。
それは、「心をそろえる」という一点である。
私は「一匹の龍になる」というような表現で子どもに伝える。
一匹の生き物なのだから、同じことを考えているはずである。
一人はみんなのために、みんなは一人のために、というあの精神である。
そこにどう持っていくか。
学級経営そのものに関わる点である。

2011年1月23日日曜日

大縄&8の字跳び必勝法 技能編その2 8の字跳び回し手育成講座

今回は8の字跳び編。
こちらの方が、需要が多いのではないかと思われる。
大縄と違い、手軽に始められ、記録も確実に伸びる。
低学年から取り組めるのもいい。

さて、やはりこちらも大縄同様、回し手80%である。
回し手がリズムを作り、リズムを変化させられる権利を持つ。
縄に入るのが遅い子どもの時は大きく回し、それ以外は小さくすばやく回す。
いずれにしろ、リズムが大切である。

回し方についてもネット上で様々書かれているので、割愛。
自分なりの技について述べる。
それは「切る」意識で回すこと。
子どもには「目の前のシャッターが降りたら入る」と教える。
要するに、目の高さを縄が通ったら、GOである。
縄が地面に当たる地点までダッシュしつつ、そのまま中央で軽く前にジャンプ。(あくまで、前に。上に、ではない。)
回す方としては、子どもと子どもの間に縄を「切り込む」意識で回す。
同じ速さで回すのではなく、地面につく瞬間は速く、空中はゆっくり、である。
そうすることで、ジャンプの時間は短く、入る時間は長くとれる。
跳んでもらうのではなく、「跳ばせる」。
1センチメートルしかジャンプしなくても、その下を通すつもりで回す。
亀のようにのろのろ入ってきても、無理矢理にでも大きく回して、縄に入れる。
そういうとっさの判断が、回し手には求められる。
(逆に跳ぶ側は、機械的に何度も同じ動きができることが求められる。)

まだまだまだまだまだまだまだまだ色々あるが、今回はここまで。
8の字跳びも、奥が深い。

2011年1月22日土曜日

大縄必勝法 技能編その1 回し手を育てる

いよいよ技能面の話にうつる。
今回は大縄編。
回し方や並び方等の大まかな知識はネット上を検索すればすぐ見つかる。
そちらを参照した上で、他のプラスアルファについて述べる。

まずは回し手を育てること。
ここに成功の80%がかかっている。
良い回し手が育てば、練習が成り立つ。
大縄では、回し手が育ってない内は、縄は跳ばせない。(8の字なら、やっていく内にうまくなるので跳ばせる。)
跳ぶ子ども達は別の場所で輪になって声をかけあい、跳ぶ練習をしておく。

上手な回し手を育てるための必須条件は、教師が上手に回せることである。
最終的には子ども2人で回させるにしても、育成段階で上手に回せる人が必要だ。
上手な人とペアで回していく内に、もう片方も上手になる。

教師が上手に回せない時はどうするか。
上手に回せる人に教えてもらうのが一番早い。
回す感覚がつかめる。
他校でも何でもいいから、行って教えてもらう。
または見て盗んでくる。

身の回りにどうしてもそういう人がいない場合もあるかもしれない。
なので、一応回し方のコツも記す。
極端な言い方をすれば、「回さない」のがコツである。
「回す」のではなく「引いて張る」。
「びゅんびゅんごま」の原理である。
もちろん、引いて張りながら少し手首で回すのだが、それも「気持ち」である。
二重跳びや三重跳びをする時を考えると分かる。
腕全体で縄を回すというより、手首を小さく回旋(または上下動)させているはずだ。
縄は両側から引っ張ると、勝手に回るのである。
張っている状態で手元が小さく回転していれば、大きな回転になるのである。
これがうまくできると、最小の労力で大きな弧を描いて回すことができる。
具体的には、1000回ぐらい回しても「ちょっと疲れた」程度の労力になる。
真ん中で跳んでいる子どもの頭上50cm以上の高さは欲しい。

まだまだまだまだあるのだが、ブログに書くにしては長文になりすぎる。
今度無料レポートにでもまとめようと思う。
今回は、ここまで。

2011年1月21日金曜日

大縄&8の字跳び 心構えその2 目標設定

何かに取り組む時、大切なのはリーダーが指針を示すことである。
大縄のリーダーは子どもの中から出るのだが、クラスのリーダー(監督)は教師である。
リーダーが方向性と目標を明確に示し、それを共有化することで、チームは動く。

この目標設定の仕方が大切である。
いけないのは、教師の目標を押しつけること。
実際は教師の側が目標を持ち、それに誘導していくのだが、押しつけてはいけない。
あくまで「子ども達が話し合い、決定した」という形に持っていく。
これは、学級経営において、どんな場合にも当てはまる大原則である。

ここを外すと、後々の指導が行き届かなくなる。
例えば目標を立てたのに全然練習をしない状態になる時がある。
教師が目標を決めた場合だと、「先生が勝手に決めたんだし。俺は言ってない。」と子どもは考える。
子どもが目標を決めた場合だと、「自分達で約束して決めたんだから、やらないと」となる。
両者は天と地ほどの違いがある。
後者の場合なら、かなり強く言える。
言い出したのは自分達であり、教師はそれを指導する立場にあるからだ。
やると言ったくせにやらないのは認めない。
私は「別に先生はいいけど」と言いながら、結構チクチクやる。
「言い出したのに、やらないんだ?かっこ悪。」などと言う。
そこは、いじめる。
もっと優しくやってもいいのだが、そこは個々の教師のキャラクターによる。

まずは、正しく目標設定をし、全員で共有化することから始めよう。

2011年1月20日木曜日

大縄&8の字跳びの練習で大切な心構え

さて、いきなり「必勝法」を知りたいと思うが、その前に大切なことを。
やはり、技術より考え方が優先である。

これらの練習の目的は何か。
ずばり、「クラスの絆作り」である。
困難に全員で立ち向かった経験が、成功体験(または失敗体験)が、強い絆を生む。
ここを取り違えて「勝利」一辺倒になると、危険である。

どう危険かというと、運動が苦手な子どもが排除されていくのである。
勝つために、弱い奴はいらないという考え方である。
これでは、本末転倒だ。

大縄や8の字跳びのようないわゆる「集団跳び」をやると、怖がって縄に入れない子どもがいる。
低学年なら、2~3人は必ずいると言ってもいい。
高学年だって、極度に苦手とする子どもが一人はいるはずである。

そういう子どもをどうするか。
結論から言うと、跳ばせる。
跳ばせるしかないのである。
そこが教師の仕事である。

優しくいたわる気持ちから、「跳ばなくていい」と言ってあげるとどうなるか。
それは、「あなたにはできない」と本人及びクラスの全員に教師が宣告したことになる。
「そんなこと言っても、本当にあの子は無理なんです!」と反論される。
その通り。無理なのである。自分がそう思っているから。
もし、その子どもを、自分が一番尊敬している先生が教えたら、どうなるだろうか。
日本一と言われている先生が担任して教えたら、どうなるだろうか。
跳べるようにならないと言い切れるだろうか。
つまり、最終的には自分の責任である。
そういう、素人にできないことをやってのけるのが、プロの仕事である。

私も、重度の自閉症の子どもがいるクラスで8の字跳びをしたことがある。
この子はうまく縄に入れないので、当然リズムが崩れ、記録もなかなか伸びない。
仲間が一緒になって手をつないで跳ぶ。
背中をそっと押してあげる。
声をかける。
何度やってもうまくいかない。
そうこうしている内に、一回跳べた。
次も、跳べた。次も次も跳べた。
そうやって作った記録は、何よりも価値のあるものとなる。
どの子どもの表情も、本当に満足そうだった。

自分の体験談の一つだが、毎年のことである。
担任がさじを投げたら、終わりである。
「自分が跳ばせる」
そういう信念を持って、子どもを信じてあげること。
何よりも大切な心構えだと考える。

2011年1月17日月曜日

大縄&8の字跳び必勝法

旬な話題を一つ。
縄跳びの季節である。
とりわけ、私の勤務する地域では、「市民縄跳び大会」が開かれることもあり、縄跳びにはかなり力を注ぐ。

校内縄跳び大会で、集団跳びがある学校も多いと思う。
そこで、メルマガ読者のみなさんに大縄&8の字跳び必勝法をお伝えする。
これはかなり、得意分野である。
ちなみに今後「大縄」という場合は20m以上の大きな縄で一斉に20人以上で跳ぶもの、
「8の字」という場合は、1~2m程度の縄を一人ずつ順番に跳んでいくものを指す。

では、次回をご期待。

2011年1月15日土曜日

子どもとの人間関係作り 授業編「興味・関心を引き出す」

どんな授業が「わかりやすい」のか。
一般には「興味・関心を引き出す」「子どもが主体的に関わる」
「教え込まない」「思考・判断の場面がある」などなど。
まあ、どれも正しい。
正しすぎて、反論の余地なしの正論すぎて、具体的に何をしていいかわからない。
それに、具体的な例を交えて答えていく。

今回は「興味・関心を引き出す」について。
教材そのものや提示方法に工夫をするのも大切だが、違う方法を示す。
それは、「授業開始時に学習ゲームをする」というものである。
何だか、邪道なにおいがぷんぷんするが、まあ聞いて欲しい。
社会科を例に挙げる。
5年生なら「県名(国名)クイズ」、6年生なら「歴史人物カルタ」。
これを、授業開始時5分間で行う。
毎回、必ず行う。
だから、授業開始前に、子どもは準備をしている。
(特に、カルタの場合は並べる時間がかかるので、約束事にしておく。)
対戦型ゲームなので、子どもは楽しい。
邪道かもしれないが、次のように「勘違い」してくれる。
「社会科では毎回ゲームがある」→「ゲームが楽しい」=「社会科は楽しい」
そうなると、その後の授業そのものも楽しいと思って受けるようになる。

ちなみに、私は授業の流れが基本的に決まっており、導入は次のことをする。
国語なら「漢字」、算数なら「フラッシュカード」、体育なら「3分間走&サーキット運動」。
そうすると、子どもも何をやるか分かる。
安心でき、主体性も育つ。

授業は「パーツ」を組み合わせて作る。
今回は導入のパーツを紹介した。
他に各教科、わかりやすい授業のためにどんなパーツがあるのか、次号からまた紹介していく

2011年1月14日金曜日

子どもとの人間関係作り 子どもの求める教師像

子どもが教師に求めるもののアンケートをとると、何が最上位にくるか。
「楽しい先生」「遊んでくれる先生」あたりがきそうである。
しかし、これではない。
「よくわかる授業をしてくれる先生」
これである。

授業と学級経営はリンクしている。
片方がうまくいくと、もう片方もうまくいく。

次回、子どもとの人間関係作りと授業について述べる。

2011年1月13日木曜日

子どもとの人間関係作り 遊びのレディーファースト

子どもとの人間関係も、「押さえどころ」がある。
私の場合は男性なので、女子との関係が肝である。
特に高学年の女子との人間関係がこじれると、地獄である。

では、女子との関係をどう押さえていくか。
無数といっていいほどある中で、特にやりやすいものを紹介する。

それは「遊びのレディーファースト」である。
例えば、「男子対女子」で遊ぶ時、女子の側に入る。
味方する理由は明確で、高学年においての全国の体力平均が男子の方がはるかに高いためである。
(柔軟性のみ、女子が上回る。)
もちろん、個人比較で見れば逆の場合もあるが、平均値で見れば勝負にならない。

そこで、担任は平均値を揃えるべく、女子側につく。
そうすると、女子は頼ってくれるし、男子は強敵ができるので喜んでくれることが多い。
ドッジボールやケイドロなどはその典型である。
(男子は剛速球を受け止めることなど、強敵に立ち向かうことにスリルや喜びを感じる子どもが多い傾向にある。)

こんな単純なことでも、やるとやらないでは大違いである。
試す価値があると思う。

2011年1月12日水曜日

掃除レベルアップ~子どものマインド編~

掃除は何のためにやるのか。
子どもに問う。
「やらないと汚くなるから」
「きまりだから」
なるほど。一理ある。
しかし、なにやら寂しい理由である。
ネガティブである。

さらに子どもに問う。
「掃除が好きで好きでたまらないという人?」
ほとんど手が挙がらない。
続けざまに問う。
「できればやりたくないという人?」
一斉に手が挙がる。

そこで、子どもに次の提案をする。
黒板に大きく書く。
「掃除は、やりたい人だけがやる」
「えー!?」
「本当に!?」
と騒然となる。
中には、嬉しそうににやりとしている子どももいる。
たたみかける。
「学級会を開きます。」
話し合いである。
当然、提案が通ってはいけないのだが、これを見守る。
大丈夫、提案は通らない。
なぜなら、やらなくていい理由よりやるべき理由が圧倒的に多いからだ。
話し合いを通して、子ども達は「掃除をやるべき理由」を明確にしていく。
自分がさぼってはいけないことを、子ども達自身の言葉から学ぶ。
教師は、一言も発さない。指導しない。
だから、掃除をやる理由が、教師の中でなく自分達の中に存在するようになる。
これだけでも十分心構えが変わる。
ぜひ試していただきたい。

2011年1月11日火曜日

掃除のレベルアップ~教師のマインド編~

読者のみなさんに問う。
なぜ教師は掃除の場所を見回るのか。


「掃除のやり方を教えるため」
「掃除をきちんとやらせるため」
このあたりが多いと思う。
しかしこの理由だと、「教師がいないとやれない、やらない」状態になる。

なぜ教師は掃除の場所を見回るのか。

答えは、「誉めるため」である。

真面目にやっている子どもを誉める。
掃除の仕方を工夫している子どもを誉める。
昨日はできなかったのにやるようになった子どもを誉める。
人の掃除分担を手伝っている子どもを誉める。
身支度がきちんとできている子どもを誉める。
時間通りに掃除場所に来ている子どもを誉める。
とにかく、誉める。
笑顔で「ありがとう」と声をかける。

では、やっていない子どもは?
これは、放っておく。
正確に言うと「他の子どもを誉めまくり、放っておく。」
これが叱るより百倍効く。
ほとんど真面目、数人さぼるという状態なら、もう効果てきめんである。
逆に、ほとんどさぼり、数人真面目という状態なら、大げさなぐらい真面目組を誉めまくる。
そして、他は放置。
叱らない。
期待しない。(と、いいつつ心の奥底では期待しているのだが。)
毎日、ちゃんとやる子どもを誉め続ける。
すると、一人だけが二人、二人が四人となり、さぼり組は少数派と化す。
ここまで、一回も叱らずともよい。
ただし、真面目組を妨害する行為は思いっきり叱る。
真面目な子どもにとって、邪魔だからである。
真面目に努力している子どもに損をさせてはいけない。
だから、その場合だけ、がっちり叱る。
他は放置。
さぼっているだけなら、害はない。
これで9割うまくいく。
残りの1割は?
いずれ変わるのを待つ。
教育は長い目で。
しかし、即効性のあることは実行しておく。

これだけでもかなり効くが、まだ不十分だ。
子どもの側の心構えも大切である。
次回紹介する。

2011年1月9日日曜日

掃除のレベルアップ

掃除をやらせるが、汚い。
2パターンある。

1.そもそもやる気がない
2.どうやっていいかわからない。

まずはこの見極めが大切である。
まずは1を克服し、続いて2につなぐ。
2は、1ができれば大丈夫である。

次回から2回に分けて、1の克服方法について紹介していく。

2011年1月7日金曜日

職場人間関係作り4、「誰を大切にするか」

今日のテーマは、職員室で特に「誰を大切にするか」。
校長、教頭、学年主任など、力のある人との関係も、もちろん大切だ。
(これについては、次回以降紹介する。)
学年の仲間も、隣の人も大切だ。
しかし、教師にとって本当に大切にすべきなのは、いわゆる「少数職種」の人達である。
具体的には、事務員さんと用務員さんである。
うちの職場には、給食ボランティアさんもいるので、そこも含む。

なぜこれらの人が大切なのか。
一つ目の理由は、「代わりがきかない」こと。
例えば、学年の仲間が抜けてもカバーに入れるが、事務員の仕事はカバーできない。
用務員の仕事も同様である。
こまごましたことがさっぱり分からない。
(仕事熱心な旦那が、妻の不在時にお茶もろくに淹れられないことに似ている。)

二つ目の理由は、「情報をつかんでいる」こと。
校長を含む全ての職員の重要情報に精通しているのは、事務員である。
用務員は、不登校気味の子どもの様子や、職場の人間関係などの情報に強い。
外部から来ているボランティアの人々も、内部にない情報網を持っている。

そして三つ目の理由は、「疎外感を感じている」こと。
教師集団に対し、少数職種の人々は、疎外感を感じていることが多々ある(という)。
ならば、我々の方から働きかければよい。
気持ちよく迎えてくれる。

これらの人々と仲良くなると、色々な情報が入ってくるようになる。
そして、何より楽しい。
教師とは違う視点を持っているからである。
休憩時にお茶を一緒にのめる仲間は、職場に多い方がいい。
そういう点からも、ぜひ大切にしたい。

誰とでも仲良くあった方が良いが、特に、ということで押さえておいて欲しい。

2011年1月6日木曜日

ストレスフリーな職場人間関係作りその3

今回はもう超基本的なことについて。
それは、「笑顔であいさつ」。
笑顔で「おはようございます!」と職員室に入る。
私の場合、最初に校長、教頭、教務の三人の前を通るので、そこからスタートする。
そこから自分の机に向かうまで、可能な限り人と目を合わせ、一人ずつにあいさつしていく。
あいさつが苦手な人にはうっとうしいことこの上ないだろうが、そうする。
そして自分の席につき、学年の仲間に笑顔で「おはようございます!」
(ちなみに勘の鋭い人は気付いているだろうが、私以外の人が既に出勤している。私の出勤が学年で一番遅いのである。)

さて、何のこともないが、この「笑顔で」「目を合わせて」というのが、結構難しい。
できる人が世の中に1割もいないのではないかと思う。
だから、できるとすごくいい印象を持ってもらえる。
「いつも爽やかですね」と言ってもらえる。
当たり前のようで、意外とできていないこの辺りに、人間関係作りのヒントがあるように思う。

2011年1月5日水曜日

ストレスフリーな職場人間関係作り その2

「自分の得意分野を100%提供する」とはどういうことか。
逆に言うと「自分の不得意分野は100%委託する」ということである。

何だか「いいかげん」という印象を受ける文である。
「いいかげん」は「好い加減」。
あくまで、「自分の得意分野を100%提供する」上での話である。
(これがないで仕事を委託すると、本当にただの「いいかげんな人」と烙印を押される。)

自分の場合を例に述べる。
私は「新しいアイデアの提案」や「PCを使った業務」は得意分野である。
「研究授業」をやることも好きだ。
教科で言うと「体育」についての知識はぼちぼちの方である。
だから、「体力向上のための具体的指導策の提案」は進んで引き受ける。
「エクセルを使ったアンケートの集計」なども、(進んでではないが)引き受ける。
多くの人が、やりたくない、できないと感じているものであるほど、喜ばれる。

逆に、字を書くことは大の苦手である。
賞状を手書きで書けと言われたら、多分一日中それだけに集中していても、ろくなものができない。
何が何でも、引き受ける訳にはいかない。
それは、得意な人に頼む。
書道何段という人も職員の中にいる。
そこまででなくとも、私より良い字を書ける人、ストレスなくやれる人がいる。
そこに頼む。
頼む前提として、自分が他で貢献していることである。
そうすれば、気持ちよく頼めるし、引き受けてもらえる(多分)。

全ての職員が自分の得意分野を100%活かせたら、学校は活気づく。
ダメなのは、万能を求めること。
万能人間など、存在しないのである。
できもしないことを無理してやる人は、他の人にもそれを求める。
互いに苦しい。出来も悪い。
ならば、やらない方がよい。

これだけでも、仕事の能率が数倍に上がる(はずである)。

2011年1月3日月曜日

ストレスフリーな職場人間関係作り

仕事のストレス第一位は、人間関係だそうである。
(何かの統計で知った。)
逆に言うと、人間関係さえよければ、仕事への疲れはなくなるということである。
どのようにするのか。
これは一概には言いにくいが、自分の場合を述べる。

ずばり、「人の役に立つ」ということである。
もっというと、「自分の得意分野を100%提供する」ということである。
具体的な方法を、明日から紹介する。

2011年1月2日日曜日

ちょっといい小技 教室の時計増設

最近は心構えのようなものが多かったので、たまには小技も一つ。

教室の時計。
普通、教室の前面にあると思う。
子どもが見るのだから、当然である。

では、教師はどうやって時刻を確認するのか。
教室前面の時計を見ると、どうしても振り返る形になる。
子どもから視線を外し、「時刻を確認してます」ということを見せることになる。
腕時計を見る手もある。
しかし、これもやはり「時刻を確認してます」とわかる。

では、どうするか。
実に単純で、時計を一つ教室後方にも設置するのである。
こうすると、常に時計が自然に視界に入る状態で授業ができる。
時間を常に意識できるので、授業の運びもスムーズになる。
いつも授業が延びてしまうという方、ぜひお試しあれ。

2011年1月1日土曜日

「今日はいい日になるね」

朝の健康観察が終わる。
全員が出席している時、私は必ず言う台詞が決まっている。
「あ~、今日これ絶対いい日になるね。いいこと起きるな。楽しみだね~。」
しみじみと、つぶやくように、かつ全員にはっきり聞こえる声で言う。
まあ、暗示である。
しかし、この言葉を聞くと、子どもはニコニコし始める。
「またそんなこと言って」と思いつつ、「そうかも」と思っているのだ。
朝が快適にスタートする。
授業もスムーズである。
だまされたと思って、お試しあれ。

なお、1月1日なので、みなさんには次の言葉を贈りたい。
「今年は、いい年になるね。
だって、これ読んでるぐらいの勉強家だから。
絶対いいことがたくさん起こるね。
まあ、当たり前だけど。」
いい一年になって、何よりでございます。
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