教育を必要としない人間を育てる
最近縄跳びのことばかりなので、閑話休題。
メルマガ副題の「教育観と仕事術」に立ち返った内容を一つ。
私は、自分の中で一貫して常に持っている「教育観」がある。
「他からの教育を必要としない人間を育てる」ことである。
語弊がありそうなので説明すると、勉強しない人間にする訳ではない。
それと全くの逆で、自分で考え、行動し、学ぶ人間にすることである。
(実は、自分の勤める学校の教育目標とほぼ一致している。)
当たり前のことだが、現実では結構これと反対の方向の努力がされているように思う。
あまり具体的に書くと角が立つので言えないが、多くの場合「ていねいすぎる」のではないかと思っている。
ちょっと放っておく方がいいこともある。
少し見栄えが悪くなっても、自分でやらせた方がいいこともある。
黙って流しておいても、支障ないこともある。
ちょっとできなくても、命に関わるほどのことではない。
困った方がいいこともある。
私の薦める「隣と交換○つけ」も、「休憩のすすめ」も、その教育観の流れの一つである。
「微に入り細をうがつ」ようなていねいな指導が、逆に子どもをだめにしていないか。
親も教師も、少し立ち止まって、振り返ることが大切だと思う。
2011年1月31日月曜日
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