さて、いきなり「必勝法」を知りたいと思うが、その前に大切なことを。
やはり、技術より考え方が優先である。
これらの練習の目的は何か。
ずばり、「クラスの絆作り」である。
困難に全員で立ち向かった経験が、成功体験(または失敗体験)が、強い絆を生む。
ここを取り違えて「勝利」一辺倒になると、危険である。
どう危険かというと、運動が苦手な子どもが排除されていくのである。
勝つために、弱い奴はいらないという考え方である。
これでは、本末転倒だ。
大縄や8の字跳びのようないわゆる「集団跳び」をやると、怖がって縄に入れない子どもがいる。
低学年なら、2~3人は必ずいると言ってもいい。
高学年だって、極度に苦手とする子どもが一人はいるはずである。
そういう子どもをどうするか。
結論から言うと、跳ばせる。
跳ばせるしかないのである。
そこが教師の仕事である。
優しくいたわる気持ちから、「跳ばなくていい」と言ってあげるとどうなるか。
それは、「あなたにはできない」と本人及びクラスの全員に教師が宣告したことになる。
「そんなこと言っても、本当にあの子は無理なんです!」と反論される。
その通り。無理なのである。自分がそう思っているから。
もし、その子どもを、自分が一番尊敬している先生が教えたら、どうなるだろうか。
日本一と言われている先生が担任して教えたら、どうなるだろうか。
跳べるようにならないと言い切れるだろうか。
つまり、最終的には自分の責任である。
そういう、素人にできないことをやってのけるのが、プロの仕事である。
私も、重度の自閉症の子どもがいるクラスで8の字跳びをしたことがある。
この子はうまく縄に入れないので、当然リズムが崩れ、記録もなかなか伸びない。
仲間が一緒になって手をつないで跳ぶ。
背中をそっと押してあげる。
声をかける。
何度やってもうまくいかない。
そうこうしている内に、一回跳べた。
次も、跳べた。次も次も跳べた。
そうやって作った記録は、何よりも価値のあるものとなる。
どの子どもの表情も、本当に満足そうだった。
自分の体験談の一つだが、毎年のことである。
担任がさじを投げたら、終わりである。
「自分が跳ばせる」
そういう信念を持って、子どもを信じてあげること。
何よりも大切な心構えだと考える。
2011年1月20日木曜日
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