2013年2月28日木曜日

伝記の授業をどうするか

最近、伝記をよく読む。
尊敬する先生方や、面白いと思った本の著者が、しきりに「伝記を読め」と言う。
だから、素直に従うことにした。(実行までに一年以上要したが。)

「遠き落日」や「坂の上の雲」のような歴史小説や長編ものではない。
子ども向けの、タイトルと人物そのまんまの、30分もあれば読了できるものである。
しかしながら、この「子ども向け」は馬鹿に出来ない。
子どもが分かるようにするには、余計なことは書けない。
要点が凝縮されているのである。
絵本などもそうだが、「子ども向け」の方が作る側は大変であることは多い。
「小学生ぐらいなら教えられる」が大きな誤解であることと同じである。

「エジソン」「吉田松陰」の伝記は特に良かった。
6年生だと理科の電気の学習、歴史の学習にも登場する人物なので、なおオススメである。
知っていると、熱く教えられる。
(熱く教えられる方は、うっとうしい面もあるかもしれない。)

国語の授業も、今ちょうど伝記を扱っている。
千葉県の誇る偉人「伊能忠敬」である。
しかしながらこれを教材として授業するのが、なかなか難しい。
授業で扱うには、分量が多いのである。

そこで、今回は「読み比べ」という学習をしてみた。
教科書の補助教材に「オードリー・ヘプバーン」の伝記がついている。
この二人の人物の生き方として、共通するものを探す、という学習である。
例えば二人とも、高齢になってから新しい挑戦をしている。
ものすごい勉強家である。
朝から晩まで没頭するタイプである。
情熱と使命感を持っている。
こういった共通点がわかる文同士を比較、対応させる。

自分で考えた方法なので、これが良いかどうかは不明である。
ただ、分量が多い教材なので、精読するよりも内容を大きく掴む方が大切だと考えた。
「必要な情報を文章中から探す」というのは、国語科において必要な能力である。

また、分量が多いので、今回は音読をしないで行った。
ここから、さらに他の伝記を読む活動に広げていく予定である。

伝記教材をどう授業するか。
アイデアのある方に、ぜひ教えていただきたい。

2013年2月24日日曜日

学習用語を教える

野口芳宏先生の勉強会での学びのシェアを。

野口先生の提唱している「学習用語」という言葉がある。
各教科で用いる専門用語のようなものである。
学習用語を用いると、説明もすっきりする。

例えば、理科で電熱線の発熱実験をした時。
学習用語をおさえないと、次のようなまとめになる。
「電気を流すと太い線の方が熱くなる。」
学習用語を用いると、次のようになる。
「電気を流すと太い電熱線の方がより発熱する。」
「電気」「電熱線」「発熱」は、どれも理科の学習用語である。

ところで「、」「。」は国語の学習用語である。
それぞれ、何と読むか。
これを、大学生にきくと、まともに答えられないという。
「てん」「まる」にはじまり、「句読点?」まで、様々である。
これまでの国語教育で学習用語が軽視されてきた結果である。

「、」は文を読みやすくするために用いるので読点。
「。」は文の句切りに用いるので句点。
こういうのも、教えないと知らない。

その授業で、どんな学力が身に付いたのか。
学習用語の定着は、それを測る一つの指標になる。

2013年2月22日金曜日

ストロークは「心の栄養」


今回も原田隆史先生からの学びの一部をシェアする。

原田先生の著書を読んだことのある人は知っていると思うが、「ストローク」について。
ある精神科医が開発した言葉で、要するに、言葉や身振りで相手に働きかけることである。

ストロークは縦軸と横軸で分け、全部で4種類ある。
「肯定的」と「否定的」。
これは、読んで字のごとく、誉めるか叱るか、という感じの違い。
「条件付き」と「無条件」。
これは、「○○だから良い(悪い)」か、「存在そのものが良い(悪い)」という感じの違い。

教師の声かけや働きかけは、ここを意識して行うと良い。
例えば、悪いことをした時。
「君の全てがダメ」と人格そのものを否定する場合。
無条件の否定的ストロークになり、マイナスの影響を及ぼす。

逆に「君はOKだが、この行為のここはダメ」という場合。
条件付き否定的ストロークになり、否定的だがプラスの影響にもなる。

肯定的ストロークはプラスの影響になりやすいが、表面的だと感じられると逆にマイナスの影響にもなる。

いずれにせよ、ストロークは「心の栄養」である。
身体と同じで、いっぺんに大量に与えすぎるのでなく、毎日継続的に与え続ける必要がある。
身体と同じで、足りないと栄養失調を起こし、不調になる。

そういう視点で、自分の声かけや働きかけを見直してみる。
意外と、バランスの悪いストロークを与えていたりする。

毎日、子どもの心に栄養を与えたい。

2013年2月20日水曜日

視座を上げる


先日参加した原田隆史先生の勉強会からの学びをシェアする。

「視座」という、あまり耳慣れない言葉がある。
「物事を見る姿勢や立場」を指す。

「視座を上げる」とは、つまり今までと違う、高い位置から視るということ。
教師は世界を見ろ、海外に目を向けよということだった。

日本は不景気で、ギリシアは経済が崩壊している。
それだけきくと、世界的に不景気なのだろうという気がしてくる。

実は、世界は大成長時代で、日本を除くほとんどの国のGDPが急成長の伸び盛りである。
市場の成長も「飛び越し市場」で、各国、段階を踏まずにいきなり発展している。
面白かったのが、マサイ族がほぼみんな「スマホ」を持っているという事実。
冗談のようだが、本当である。
ネットで調べてみても一発でわかる。
広い土地の通信手段として、大変便利なのだそうだ。

その他、世界のあらゆる「元・発展途上国」の土地が、都市化している。
教育のレベルも飛躍的に高まり、電子黒板の使用、子どもの一人一台パソコンなどは、もはや世界スタンダードである。

日本の教師は、そういう世界で生き抜ける子どもを育てる覚悟が必要になる。
適当にやってたり、ささいなことにとらわれて忙しいとか言っている場合ではない。

そういうことを、学んできた。
では、どうすれば視座が上がるのか。

海外に出て学ぶのも大切であるが、いきなり現実的でない。
今の自分より少し無理する場に身を置くのがいいのではないかと思う。
研究会に参加したり、サークルに参加したり、色々ある。
必ず、自分にない視点を与えてくれる人がいる。

2013年2月18日月曜日

落差を顕在化させる

前回の続き、野口芳宏先生の学習会からの学びを。

何度も言われていることだが「落差の顕在化」について。
自分によくあるミスなので、敢えて紹介したい。

ある発問をする。
例えば「この短歌から見えるものを、文中の言葉を使って全て書き出しなさい。」

子どもは言われた通りに書く。
この作業の後、教師はどうするか。

ついやってしまうのが、「では、この列一人ずつ発表。」というパターン。
(最もまずいのが「発表してくれる人?」パターン。無意図・無意識・無目的。)
一人が一つずつ言う。
これは、たくさんの子どもが発言できるので、一見良いが、問題がある。
落差の顕在化ができない。
「まだあります」と付け加えていき、だらだらした授業になる。

どうするか。
まず、書けた「数」を問うて挙手させる。
「1つ」「2つ」・・・
1から5ぐらいまで出る。
(0はいけない。全員参加の原則に外れる。机間巡視の時点で指導して1つは書かせたい。)
実は正解は、3つである。
この時、3以外に手を挙げた子どもは、誤答ということになる。
(3の子どもも、誤答の可能性はある。)
この時点で「落差の顕在化」ができ、初めて「指導の方向」が見える。

全員正解しているようなら、もともと問う必要がなかった。
すぐ次に進める。
逆に、半数以上が誤答の場合。
問いとして適切であったと判断できる。
子どもの「不備・不足・不十分」をついた問いだったといえる。

次に、「3つ」に手を挙げた子どもを指名し、一気に3つ言わせる。
この3つが正解である場合と不正解である場合がある。
ここで初めて「違う意見は?」を問う可能性が出る。
これは、本来机間巡視で把握した上で、意図的に指名するのが望ましい。
もうほとんど正解の3つが指摘されている状態なら、先に述べたように正解を3つ言わせて次にいく。
あえて誤答で他の解を引き出して正解を探させる場合と、流す場合があっていい。

ちなみに「3つでも4つでもいい」というような曖昧さはいけない。
子どもの誤答を明確に否定できないのであれば、それは単に教える側の勉強不足である。
(はっと気付かされるような素晴らしい解を出す子どもが育った、というのは嬉しい。
しかし子どもに負けているのは事実なので、やはり勉強不足の感は否めない。
知っていてわざと教師が間違える、という高段者がやることとは別である。)

とかく発問は「意図的・意識的・目的的」で。
「無意図・無意識・無目的」の発問をなくしていく。
落差を顕在化させるような発問をして、子どもの向上的変容を毎時間保障したい。

2013年2月14日木曜日

気付いて、変わる

先日の勉強会での野口芳宏先生からの学びをシェアする。

授業は、子どもだけでは気付かないようなことに導いていくべきもの。
だから、「不備・不足・不十分」をついていく必要がある。
全員がわかっているようなことをなぞるようなことは意味がない。
子どもだけでは気付けないことに気付かせるのが指導である。
「向上的変容」である。

例えば、国語科での読み取りをする時「景色」「情景」という言葉を用いることがある。
ところで、この二つの言葉はどう違うのか。
こんなことも、問われないと、気付かない。

「景色」は、見たままのもの。
「情景」は、感情が入っており、その人が感じとったもの。
だから、「情景描写」には、作者の感情が入る。
こういうことも、指導者側が分かっていないと、子どもにも教えられない。

指導者側にも「不備・不足・不十分」がある。
だから、教師は常に学び続ける必要があり、学んで初めて教える資格がある。

「主体変容、気付いて変わる」というのは、原田隆史先生の言葉である。
両先生とも、同じようなことを話されている。
やはり、何でも「気付く」というのが、まずは大切である。

2013年2月12日火曜日

世界の国カルタ作り

「歴史人物カルタ」「憲法カルタ」を紹介してきた。
カルタ取りはゲーム性があり、学習しやすい。

今回は、子どもと作る「世界の国カルタ」の紹介を。
準備は、名刺大の小さな画用紙クラス人数分。
これだけ。
手順は以下の通り。

1 名刺程度の大きさ紙を全員に一枚ずつ配布する
2 班毎に地域(東南アジア、アフリカ等)を割り振る
3 班内で担当の国を割り振る
4 紙の表に大きく国名、裏に情報を3つ程度書く
5 回収して、並べて表のみ人数分印刷
6 教師が裏の情報を読み、1対1でカルタとりする

自分達で作る、というのが楽しいポイントである。
マニアックな情報から始めて、最後は誰でも分かるヒントにする。
実施したところ、最低限「首都名」「人口」「世界遺産」などは入れさせた方がよかった。
慣れてきたら、読み札を再配布して、新たな情報を加えさせてもよい。
結構知識もつくし楽しいので、オススメである。

2013年2月10日日曜日

「できない」思い込みをぶち壊す

「○年生ならできる。」
「○年生にはできない。」
どちらも正しい。
「○○君ならできる。」
「○○君にはできない。」
これも同様。
子どもは、期待している通りになる。
いわゆる、ピグマリオン効果である。

どこまで子どもに期待するか、という期待値の設定が大切である。
期待しろといっても、無理に高い設定は互いに苦しい。
低すぎる設定は、互いに成長がない。
どれぐらいが最適かを見極めるのが難しいが大切なポイントである。

担任する子どもが「激変した」という評価をもらえることがある。
その時「どんな方法を使ったんですか」ときかれる。
答えは大概決まっている。
「期待して、信じて、やらせて、誉め続けた。」これだけである。

「できない」という子どもは、大概思い込みである。
周りもそう思っているし、本人もそう思っているから、できない。
そこをぶち壊してやるのが、担任の役割である。

期待しても、95%は裏切られる。
20回ぐらい裏切り続けられて我慢していると、1回うまくいくことがある。
そこは、無茶苦茶誉める。
こちらも本当に嬉しいので、心からの言葉で称賛できる。
ここの期待の仕方のポイントは二つ。
「この子なら、必ずできるようになる」
「できるまで100回かかる」(実際20回ぐらいだが、気長に構える。)

特別な障害がある場合、配慮が必要である。
ここは無理だ、ということが現実にある。
一方、一つそういう面があると、他もできないのではないかと錯覚してしまう。
大抵、錯覚である。
そこは譲らない。

むしろ逆がありきで、一つできると他は連鎖的にできるようになる。

期待しすぎると腹が立つ。
だから、適切な期待値の設定で、信じ続けることが大切であると思う。

2013年2月8日金曜日

目標に毎日○×チェック


個人目標を紙に書いて机に貼る方法を以前紹介した。
この方法はいつも目に付くのがいい。
意識化がはかれる。

3学期は、これに変えて、毎日○×をつける方式にしてみた。
エクセル等で、表を作る。
左は目標、右側に、○×をつける欄を作る。
目標のこの欄の上には、日付を書く。
日記の表紙の裏に、それを書いてはる。
帰りの会で日記を書く際に、○×をつける。
これだけである。

全部×でも構わない。
特に罰は受けないのに、×がつくのは、結構嫌である。
自分が決めたことができないというのは、抵抗がある。
そうすると、明日はやろうかなと意識がはたらく。
自覚することが大切である。

せっかく立てた目標は、絵に描いた餅にしたくない。
活用できるよう工夫したい。

2013年2月6日水曜日

自分の考えはどこからくるか

メルマガやブログの読者に、
「よくそんなに色々考えて書けるね?」と言われることがある。

実は、全然自分の考えなんてない。
私の尊敬する野口芳宏先生も仰っていたが、
「自分の考えたものなんて一つもない。
全て、人様からいただいたもの。」
といった感じである。

「自分」とはどこから来るのか。
私は、90%以上が、親からであると考えている。
前にも書いたが、人間はほぼ親のコピーである。
遺伝子レベルで組み込まれている。
人生すら、無意識に親になぞらえたものになっていく。
意識的に変革しない限り、親と大体同じになっていく。

ここを変えてくれるのは、尊敬する人である。
尊敬する人物の言うことにより、考えが変化する。
直接会う人はもちろんだが、本もその一つである。
本からもその人の教えを受ける。
そういう色々な人の考えが自分の中でミックスされる。
それで、自分の考えらしきものができる。

だから、「自分はこうだ」と思っている自分は、他人によってできた自分である。
いくらでも変われる。

一方、担任している子ども達は変えたくても、変えられない。
変えられるのは、自分だけ。
「主体変容、気付いて変わる」とは、やはり尊敬する原田隆史先生の言である。

いつでも変化の心構えを持ち、日々新たなスタートを切りたい。

2013年2月5日火曜日

掃除と思うな、人生と思え

世界でみると、学校で掃除をする国の方が少ない。
大体アジアを中心に3割程度である。
禅宗の影響を受けており、精神修養の一環として教育に取り入れられたらしい。
他国では、掃除は仕事なので、子どもがやってはいけないという考えもある。

掃除といえば、鬼門はトイレである。
トイレ掃除を嫌がらずにやれるか。
ここで掃除ができる子どもかどうか見ることができる。

「キレイ好き」と「キレイなもの好き」は違う。
前者は掃除や整理整頓が好きだが、後者は自分でそれをやるのが嫌いである。
しかし後者の方が、何が汚いとかぶぅぶぅ文句を言うタイプである。
自分でやらないから苦労もわからず、文句ばっかり言ってサボる。
やはり子どもは「キレイ好き」に育てたい。

掃除をきちんとやる人は信用できる。
掃除ができるクラスはいいクラス。
そういう言葉を日々投げかけることで、意識も変わってくる。

掃除を通して、自分の人生を磨いている。
掃除も、「きれいにする」という目標の、その先の目的まで見据えて行いたい。
「掃除と思うな、人生と思え」の精神で、自分も一緒に全力でやりたい。

2013年2月2日土曜日

授業道場野口塾IN木更津

野口芳宏先生に学んでいると、よく次のようなフレーズが出る。
「『誘う』という字は、ごんべんに優秀の秀と書く。
誘われるということは、あなたが人より秀でてるから声をかけられたということ。
その人に認められているということです。
だから、私は、人に誘われたら、できる限り断らないにします。
この学習会に誘われてやってきた人は、皆優秀な人だということです。」

このブログを読んでくださっているのは、優秀な方々だと思う。
私のような者からも学べるのだから、そこだけは間違いない。
「賢者が愚者から学ぶことの方が、愚者が賢者より学ぶことより多い」
というモンテーニュの格言の通りである。

そうはいっても、たまには賢者から学ぶことも大切である。
次の学習会に、読者の皆様を「お誘い」したい。

授業道場野口塾IN木更津
2013年2月24日(日)9:10~16:10
会場 木更津市民会館
講座内容
1 発問道場~「花をみつける手がかり」(教育出版 4年下)を使って
2 子どもが夢中になる算数授業(さくら社社長 横山験也先生)
3 野口流学校作り~野口先生の学校だよりからの学び
4 説明文の授業(模擬授業)「花をみつける手がかり」(野口先生)
5 国語授業のポイント
6 教養講座~教育の原点再考(野口先生)
参加費4000円(昼食付)

特に6の教養講座が楽しい。
教師の仕事に生き甲斐や誇りを持ち、やる気が出る内容である。

いかんせん、休日にお金を払ってまでやる学習会である。
参加する側も講師の側も、気合いがいる。
だから、おすすめはするが強要はできない。
しかし、参加したら、代価以上の価値が得られることだけは保障できる。

参加希望される方は、メルマガのアドレスかコメント欄に参加希望を。
(今回、コメント欄は記入しても一般公開されませんのでご安心を。)
詳細を添付して返信させていただきます。

この機会にたくさんの方にお会いして、直接お話を伺えればと思う。
都合のつく方は、ぜひ。
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