2013年2月18日月曜日

落差を顕在化させる

前回の続き、野口芳宏先生の学習会からの学びを。

何度も言われていることだが「落差の顕在化」について。
自分によくあるミスなので、敢えて紹介したい。

ある発問をする。
例えば「この短歌から見えるものを、文中の言葉を使って全て書き出しなさい。」

子どもは言われた通りに書く。
この作業の後、教師はどうするか。

ついやってしまうのが、「では、この列一人ずつ発表。」というパターン。
(最もまずいのが「発表してくれる人?」パターン。無意図・無意識・無目的。)
一人が一つずつ言う。
これは、たくさんの子どもが発言できるので、一見良いが、問題がある。
落差の顕在化ができない。
「まだあります」と付け加えていき、だらだらした授業になる。

どうするか。
まず、書けた「数」を問うて挙手させる。
「1つ」「2つ」・・・
1から5ぐらいまで出る。
(0はいけない。全員参加の原則に外れる。机間巡視の時点で指導して1つは書かせたい。)
実は正解は、3つである。
この時、3以外に手を挙げた子どもは、誤答ということになる。
(3の子どもも、誤答の可能性はある。)
この時点で「落差の顕在化」ができ、初めて「指導の方向」が見える。

全員正解しているようなら、もともと問う必要がなかった。
すぐ次に進める。
逆に、半数以上が誤答の場合。
問いとして適切であったと判断できる。
子どもの「不備・不足・不十分」をついた問いだったといえる。

次に、「3つ」に手を挙げた子どもを指名し、一気に3つ言わせる。
この3つが正解である場合と不正解である場合がある。
ここで初めて「違う意見は?」を問う可能性が出る。
これは、本来机間巡視で把握した上で、意図的に指名するのが望ましい。
もうほとんど正解の3つが指摘されている状態なら、先に述べたように正解を3つ言わせて次にいく。
あえて誤答で他の解を引き出して正解を探させる場合と、流す場合があっていい。

ちなみに「3つでも4つでもいい」というような曖昧さはいけない。
子どもの誤答を明確に否定できないのであれば、それは単に教える側の勉強不足である。
(はっと気付かされるような素晴らしい解を出す子どもが育った、というのは嬉しい。
しかし子どもに負けているのは事実なので、やはり勉強不足の感は否めない。
知っていてわざと教師が間違える、という高段者がやることとは別である。)

とかく発問は「意図的・意識的・目的的」で。
「無意図・無意識・無目的」の発問をなくしていく。
落差を顕在化させるような発問をして、子どもの向上的変容を毎時間保障したい。

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