「○年生ならできる。」
「○年生にはできない。」
どちらも正しい。
「○○君ならできる。」
「○○君にはできない。」
これも同様。
子どもは、期待している通りになる。
いわゆる、ピグマリオン効果である。
どこまで子どもに期待するか、という期待値の設定が大切である。
期待しろといっても、無理に高い設定は互いに苦しい。
低すぎる設定は、互いに成長がない。
どれぐらいが最適かを見極めるのが難しいが大切なポイントである。
担任する子どもが「激変した」という評価をもらえることがある。
その時「どんな方法を使ったんですか」ときかれる。
答えは大概決まっている。
「期待して、信じて、やらせて、誉め続けた。」これだけである。
「できない」という子どもは、大概思い込みである。
周りもそう思っているし、本人もそう思っているから、できない。
そこをぶち壊してやるのが、担任の役割である。
期待しても、95%は裏切られる。
20回ぐらい裏切り続けられて我慢していると、1回うまくいくことがある。
そこは、無茶苦茶誉める。
こちらも本当に嬉しいので、心からの言葉で称賛できる。
ここの期待の仕方のポイントは二つ。
「この子なら、必ずできるようになる」
「できるまで100回かかる」(実際20回ぐらいだが、気長に構える。)
特別な障害がある場合、配慮が必要である。
ここは無理だ、ということが現実にある。
一方、一つそういう面があると、他もできないのではないかと錯覚してしまう。
大抵、錯覚である。
そこは譲らない。
むしろ逆がありきで、一つできると他は連鎖的にできるようになる。
期待しすぎると腹が立つ。
だから、適切な期待値の設定で、信じ続けることが大切であると思う。
2013年2月10日日曜日
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