「叱るのはいいが怒ってはいけない」という論調が一般にある(ように思う)。
私は、これに反対である。
教師も一人の人間として、一人の人間である子どもに、感情を交えて怒ってもいいと思う。
何もかも論理的にやられたら、気持ち悪い。
ある人は、いじめ行為が感情的に許せない。
怒鳴り飛ばして怒る。
その迫力・剣幕に圧倒されることで、変わる子どもだっている。
ある人は、宿題を毎回やってこない子どもが許せない。
これをきちんとやることが、子どもの成長につながると強く信じている。
感情的には、自分が大切だと思っていることを放棄しているのが許せない。
だから、怒る。
叱るというより「その反省のない行動が気に入らない!」と怒る。
実に、人間的であると思う。
宿題忘れなんてどーでもいいじゃんなんて意見だってある。
でも、この人にとっては、大切なことであって、許せない。
だから、怒る。
それでいいと思う。
信条がはっきりしているから、怒れるのだと思う。
逆に、やたら怒るのも考えものである。
それは教えてないから無理じゃない?ということにまで怒る人がいる。
そういう理不尽な怒りは、反抗心を生むだけなので、避けた方がよい。
いずれにせよ、子どもに何で怒っているのか分からせるのが大切である。
教師も一人の人間であり、聖人ではない。
一人の人間という、子どもと同じ立場に立って、堂々と怒ることも、時に大切であると思う。
2011年8月14日日曜日
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大変勉強になります。
返信削除私も小学校教師をしております。
今後とも学ばせて下さい。
>渥美清孝様
返信削除ありがとうございます。
少しでも皆様のお役に立てるよう、精一杯続けます。
今後とも応援よろしくお願いいたします。