最近大縄と8の字跳びの記事ばかりだったので、気分を変えて別の話を。
学校教育において何が大切か、ということを考える。
学校で教えることができないと、どうなるのか。
「できないと、将来困るぞ」ということが多いと思うが、果たして本当か。
勉強ができなくても、運動ができなくても、遅刻や欠席が多くても、立派になる人はたくさんいる。
たとえば、将来教師になるのであれば、一通りできていた方がよい。
しかし、そうでないなら、何が必要かは変わってくる。
縄跳びが跳べないとどうなるのか。
算数ができないとどうなるのか。
あいさつができないとどうなるのか。
できたらそれに越したことはない。
しかし、できない場合、それがどれぐらいの意味を持つのかも、時々考えてみるのがよいと思う。
意外と、どうでもいいことも多いかもしれない。
本当に、将来の職種によると思う。
あいさつができた方がいいに違いない。
しかし、一人で引きこもって創作するような仕事であれば、必要ないかもしれない。
算数などは、言うに及ばず。
将来的な実用性を求めるものではない。
算数は単純に楽しく、人生を広げてくれるからやるのである。(と、私は勝手に解釈している。)
読書や音楽、スポーツとある意味同じである。
無駄な中に楽しさがある。
大縄や8の字跳びとて同様。
跳べたからといって、将来何がある訳ではない。
しかし、集団で一つの目的に向かって努力した経験や感動は、人生の大きな糧にもなり得る。
ただ辛い思いをしただけの思い出では、何のためにやったかわからない。
何かをできるようにすることは大切だ。
しかし、目的を見失ってはならない。
それを考えるには、「で、それができないと将来どうなるの?」と自分に問いかけてみるとよい。
案外、いい答えが見つかるものである。
2012年2月13日月曜日
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