2012年2月13日月曜日

それができないとどうなるのか

最近大縄と8の字跳びの記事ばかりだったので、気分を変えて別の話を。

学校教育において何が大切か、ということを考える。

学校で教えることができないと、どうなるのか。
「できないと、将来困るぞ」ということが多いと思うが、果たして本当か。

勉強ができなくても、運動ができなくても、遅刻や欠席が多くても、立派になる人はたくさんいる。
たとえば、将来教師になるのであれば、一通りできていた方がよい。
しかし、そうでないなら、何が必要かは変わってくる。

縄跳びが跳べないとどうなるのか。
算数ができないとどうなるのか。
あいさつができないとどうなるのか。

できたらそれに越したことはない。
しかし、できない場合、それがどれぐらいの意味を持つのかも、時々考えてみるのがよいと思う。
意外と、どうでもいいことも多いかもしれない。
本当に、将来の職種によると思う。

あいさつができた方がいいに違いない。
しかし、一人で引きこもって創作するような仕事であれば、必要ないかもしれない。

算数などは、言うに及ばず。
将来的な実用性を求めるものではない。
算数は単純に楽しく、人生を広げてくれるからやるのである。(と、私は勝手に解釈している。)
読書や音楽、スポーツとある意味同じである。
無駄な中に楽しさがある。

大縄や8の字跳びとて同様。
跳べたからといって、将来何がある訳ではない。
しかし、集団で一つの目的に向かって努力した経験や感動は、人生の大きな糧にもなり得る。
ただ辛い思いをしただけの思い出では、何のためにやったかわからない。

何かをできるようにすることは大切だ。
しかし、目的を見失ってはならない。
それを考えるには、「で、それができないと将来どうなるの?」と自分に問いかけてみるとよい。
案外、いい答えが見つかるものである。

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