運動会の応援係の児童の指導をした。
応援係の仕事は、ずばり全校児童に応援を教えること。
応援係の児童の声が小さければ、当然教えられる側も声が出ない。
無表情にやっていれば、教えられる側も無表情である。
「応援係はみんなの鏡」と教えている。
つまり、自分達の姿勢がそのまま投影されるということ。
そして、教える側以上のレベルになることはないということ。
だから、自分を高めることがみんなの応援のレベルを高めることになる。
まあ、そういうことをちょくちょく伝える。
基本的に精神論を指導して、どんな応援をするかという方法論は、団長はじめ応援係に任せている。
ちなみに、日直の児童にも同じようなことをよく言う。
朝、みんなの前に立つその日のリーダーが暗い顔と声では、他の人が可哀想だと。
だから、努めて元気な声を出しなさいと。
それは、個性とかの問題ではないということも伝える。
これは、そのまま教師にも当てはまる。
基本的に、全体のレベルは教師のレベル以上にはならない。
一部の天才的な児童を除き、教師のレベルに収まる。
そういう風に考えれば、自分を高める必要性も出てくると思う。
常に学び続ける姿勢を見せられるようにしたい。
2011年6月9日木曜日
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