評価や評定と関わって、選手や代表作品を決めるという場面がある。
この時大切なのは、「客観的事実」である。
データであったり、勝負の結果であったり、誰が見ても納得するものであればよい。
「なぜこの人(作品)を選んだのか」ということに対して、明確に説明する責任がある。
ここがブレると、後で「クレーム」となって表出する。
何かを選ぶ時は、「客観的事実」を明確にすることが大切である。
2011年6月6日月曜日
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