教科の内容が増え、行事の見直しを迫られた学校も多いと思う。
しかし、「運動会をなくした」という学校はきいたことがない。
運動会は、もはや学校教育の中に確固たる地位を確立したといってよい。
それぐらい、当たり前のようにどの学校にもある行事である。
運動会の歴史を遡っていくと、明治時代の海軍兵学校のものが最初とされている。
鍛錬の要素が強く、集団行動が重視されたらしい。
多分に軍事的な面を含む行事であったようだ。
それが近代に入り、エンターテイメント性が強いものになっていった。
表現運動などには、特にそれがよく出ている。
保護者に見せる手前もあるから、見栄えを気にするのは分かる。
しかし、「それは体育なのか!?」というものが見られることも多々ある。
運動会の本来の意義を考えた時、やはり体育的要素を外してはならないと思う。
子どもの運動能力や身体表現に、体育的指導の結果が具現化されているようなものが望ましい。
ただの見世物にしてはならない。
また、見栄えを気にしすぎて、時数をやたらかけすぎるのも考えものである。
ただでさえ授業内容が増えているのだから、本来の学業をおろそかにするようでは、本末転倒である。
運動会の存在意義や指導時数について、どの学校でも真剣に考える必要があると思う。
2011年6月8日水曜日
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