前回の話の続きにあたる話を。
無駄なコンプレックスについてである。
憧れる先生を持つことは大切である。
ライバルを持つことも大切である。
しかしながら間違えてはならないのは、「相手と自分は違う」ということである。
ともすると、○○先生と比べて自分は何でダメなんだろうと思いがちである。
例えば、私はよく、誰にでも人当たりがよくて、子どもに何でも話してもらえるような先生を羨ましく思う。
(女の先生に多い気がする。)
音楽のオーケストラを指導したことがあるなどという話をきくと、恐れ入ってしまう。
書家としても活躍中の先生などになると、逆にもう自分には無理すぎて諦めがつく。
よくよく考えてみると、どれも自分には無理な分野である。
「何だって努力すればできる!」という前向きな考え方は否定しないが、適性がある。
やはりどんなに頑張っても、ペンギンは空を飛べない。
走るトレーニングをしても、ダチョウみたいには速くならない。
でも、泳がせたら、努力しないでも鳥類の中でナンバーワンである。
かわいさや人気だって、相当上位に来る。
速さを競うなら、空や陸より、断然水の中で勝負した方がよい。
陸で競うなら、速さよりかわいさで勝負した方がよい。
ないものはない。
しかし、他人が羨むものが自分にも必ずある。
自分の能力を使うフィールドを間違えないことである。
今自分ができることに全力を尽くし、無駄なコンプレックスは感じないようにしたい。
2011年11月1日火曜日
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