前号で、「親の嫌いな部分は自分の中の嫌いな部分」というようなことを書いた。
親から見ても同様で、我が子の気に入らない部分は、自分の中のコンプレックスである。
「お父さんみたいにならないように、しっかり勉強していい大学に入りなさい」などというのは、このケースである。
これは、学級の子どもにも当てはまる。
もし、自分の学級に「この子は苦手」という子どもがいたとする。
どこが苦手(または嫌)なのか、考えてみる。
すると、大抵、自分の中のできていない部分とか嫌な部分だったりする。
例えば「宿題を何度言ってもやってこない」というところが気に入らないとする。
その先生は、「完璧主義病」かもしれない。
自分自身が、完璧でないといけない(しかし完璧ではない)という、脅迫観念の持ち主かもしれない。
または、その先生自身が、子ども時代によく宿題を忘れて怒られていたのかもしれない。
はたまた、「人の言うことを聞かない」と思われている(と自分で思っている)先生かもしれない。
いずれにせよ、自分の中のコンプレックスと重ねていることは間違いない。
なぜなら、どうでもいいと思っていることには嫌とも思わず腹も立たないし、気にならないからである。
そういう風に分析してみると、苦手なあの子も違って見える。
何だか、自分に似ている気がして、親近感が湧いたりする。
「そんなはずはない」と思いたいところをぐっと我慢して、分析してみることをオススメする。
人間関係全般に使える考え方である。
2011年10月31日月曜日
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