子どもにとって最大の教育環境は、親である。
生き方の根本を親に刷り込まれる。
根っこの部分は、全員親のコピーだと言っても過言でないぐらい、強い影響力である。
(これは、大人になっても同様である。特に親に対して嫌いな面は、自分の中の嫌いな面である。)
しかしいつも当たり前に世話になっているものほど、感謝の念を持ちにくい。
感謝を持つには、ちょっとした「失うイベント」が必要である。
健康に感謝するのが、風邪をひいた時であることと同じである。
修学旅行は、親から離れるチャンスである。
普段当たり前にお世話してもらっていることを、自分達でするチャンスである。
普段うっとおしいと思うこともある親に、会いたいなと少しでも思う。
修学旅行後は、確実に親に感謝の念を伝えるようにしたい。
また、修学旅行費を出してもらえることを、当たり前だと思わず、ありがとうと伝えさせたい。
これは、普段の集金でも一緒で、ちょくちょく確認する。
「お金をもらう時、ありがとうと伝えてる人?」
最初の頃は一人か二人だが、だんだん増えてくる。
当たり前すぎる存在の親に、感謝の念を持たせたい。
2011年10月30日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿