修学旅行で出かけきて、しばらく更新を怠ってしまった。
急に更新しなくなって不審に思った方がいたら、申し訳ない。
では、本題に。
学力向上は大切である。
と、言って反対する人はほぼいないと思う。
「学力とは何なのか」も、よく論議されている。
なので、敢えて「学力向上は本当に大切か?」とか「それが学力なのか?」ということを考えてみる。
学力の中で「考える力」の大切さは、中教審答申等の公的な機関でも言われるぐらいの共通認識事項である。
その割に、授業時数はカツカツである。
授業内容が増えた分、前より更に考える時間がなくなったように思う。
前にも書いたが、特に算数に関しては、足踏みしている余裕時数は皆無である。
悠長に考えさせていては、内容が進まない。
そういうことを言うと、「教え方を工夫しなさい」ということになる。
一部の優秀な人なら工夫できるかもしれないが、普通は無理じゃないかとも思う。
(だから現状がある。)
何か、根本的な解決方法が必要である。
2011年10月9日日曜日
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