音読には、読み手の読みの深さが表れる。
特に文学作品や詩では、それが顕著に出る。
文字をとりあえず読めればよしとするか。
速くすらすらと読めるようにしたいのか。
音読から朗読のレベルに引き上げたいのか。
目指す方向によって指導の仕方が異なる。
速さを求めると、内容が置いていかれることが多い。
しかし数を多くこなすことで内容が入ってくるという面もある。
読んでいる方は必死なので、放っておくとどう読むかにはなかなか目がいかない。
教師が発問で気付かせる。
例えば、宮沢賢治の「雪わたり」で
「北風ぴいぴい風三郎、西風どうどう又三郎」の一文を次々に読ませる。
普段から「大きくはっきり読む」のがいいと思っているので、大抵、元気よく読んでしまう。
ここは「細いいい声」で読まなくてはならない。
クラスで特に声の小さな子どもが読むと、ちょうどいいぐらいになる。
断定的に誉める。
普段、音読であまり誉められないので、びっくりする。
周りの子どもも、「なるほど」「わかった!」と声が上がる。
前後の文に着目すれば「細いいい声」で読むことに気付く。
こうして、だんだん文の意味も気にしながら音読するようになる。
内容面の読みが深まる。
音読のレベルを上げることで、読みのレベルも深めたい。
2011年10月18日火曜日
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