教育は環境が大切である。
「孟母三遷」という話があるように、我が子に良い教育を受けさせるために、労を惜しまず引っ越す人もいる。
本人の才能もあるだろうが、やはり教育における環境の差は大きい。
具体的には、お金である。
教育でお金の話を持ち出すと、嫌がる人も多い。
本気で教師になりたくてなった人ほど、「お金のために働いている訳じゃない」という人が多い。
多分、他の仕事でもこれは同様である。
お金をもらわくてもやりたいというぐらい好きなのである。すばらしいことである。
そういう個人的な話ではなくて、いわゆる教育予算のことを言いたい。
「お金がなくても工夫すればいい」という意見ももっともだが、限度がある。
子ども一人に一台ずつパソコンがある教室と、黒板とチョークしかない教室の差は、埋めがたい。
戦においては、どんなに剣の腕を磨いても、鉄砲の前には歯が立たないのである。
何が言いたいかというと、カネの問題を無視して教育の論議が進められていることに不満がある。
具体的に一つ例を挙げると、「情報化」を推進している割に、情報器機への予算が割り当てられていないことがある。
「デジタル教育器機を活用していますか」「使いこなせますか」というアンケートがくる割に、モノがない。
教室でプロジェクター(校内に3台)を使用するのだって、一苦労である。
授業の合間の休み時間10分間で用意しても間に合わない。
(教材を作るのは、簡単である。)
実質的に、日々使える環境にないのに、やれと言われるのが困る。
モノさえあれば、毎日だって使う。
読者の中には、最新器機の揃ったすばらしい学校に勤務している方もいるかもしれない。
しかし世の中には電子黒板はおろか、地デジ化すらされていない学校もある。
ない分は工夫するしかないが、やはりモノはあった方がいい。
時々県外の知り合いにでも尋ねてみると面白い。
自分の学校がいかに恵まれているか(またはその逆か)、驚くはずである。
2011年10月12日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿