スポーツには「大会」がつきものである。
練習の成果を発揮して、最終的に完結する場が必要だからである。
大縄や8の字跳びも同様である。
指導者は、大会への目的を意識することが大切である。
「絶対優勝!」は目標にはなり得るが目的ではない。
教育として見た時のスポーツの目的は「よりよい人格の完成」を目指すものでなくてはならない。
ここを取り違えた指導者が、幅をきかせるようでは本末転倒である。
(残念ながら、殴る蹴るを日常的に行う指導者でも、毎年全国大会出場となれば、もてはやされる現状がある。)
そう考えた時、目的は「強い心と体作り」や「学級の絆を深める」「道徳心を高める」等のものになる。
「隣の学級に勝つ」というのも、ここに沿っているかどうかが、正負のポイントである。
極端な話、校内で一番になっても、それだけでは何も変わらない。
地域で一番でも同様である。
全国一番となればまた違うだろうが、そのレベルなら確実に正しい目的が達せられている集団のはずである。
これは普段の学習にもいえることで、例えば算数で速さの計算ができることは、単元の目標にはなるが目的にはならない。
結局、そこから子どもの人生にどんな影響を及ぼせるかである。
そういう視点で、大縄や8の字跳びの指導を見てみると、何か変わって見えるものがある。
「井の中の蛙」にならないことが、大切である。
2011年9月27日火曜日
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