本をたくさん読んでると、色々な人が「教師」について意見を書いている。
色々な意見があるが、教育書を除いて総じて論調は統一されている。
「教師はダメ」という論調である。(特にビジネス書には顕著である。)
教師は教育の目的をはっきりと言えない。
そもそも教育基本法すらまともに言えない。
教師は平均的な人間をつくる。
教師自身が没個性的だ。
教師はクビにならないから職業人としての意識が低い・・・
まあ、どれも当たってるといえば当たってるし、全然違うといえば全然違う。
「教師は」というくくりで見ている時点で、確実に全員に当てはまらない。
色んな教師がいるのに、そんなひとくくりで見られてはたまらない。
教師にだって、個性がある。
しかしながら、我々教師も、子ども達をひとくくりに見がちである。
「1年生だし・・・」「6年生なんだから・・・」というのも、必ずしも正しいとはいえない。
「忘れ物が多いから○○」「算数が苦手だから○○」「発表しないから○○」という風にも、つい見がちである。
上記のようなことができようができまいが、人格とは全く別問題である。
だが、ついつい学業成績のいい子どもは「いい子」と錯覚しがちである。
人間には、個性がある。
それを認めながら、教師は平均的な能力を身につけさせることを求められる。
なかなかに苦しい立場である。
大体、教師自身が平均的な能力を持っていないのである。
教える相手も、同じである。
たまたま平均的によくできる子どもが、学校内での「優秀な子」である。
個性について、今後少し論じていきたい。
(陸上ネタが続いているので、ちょっと視点を変えて。)
2011年9月9日金曜日
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