「先生方は、指導していないことを評価していないか」
私の勤務校の校長先生は、このことをよく強調して職員に話している。
次のような話をしていた。
学校では、子どもの活動に対して成績をつける。
評価や評定が必要になる。
しかし、果たして、評価を適切にしているのか。
イメージで評価していないか。
教えていないことを評価していないか。
評価は本来、指導したことに対して行われるものである。
実に、その通りだと思う。
以下、それを受けての私の考えた例を述べる。
そうは言っても実際は、印象評価になりがちである。
特に図工や体育等の技能教科はこの傾向がある。
まずは、図工の指導を例に。
水彩画で、下の方に街の風景を小さく描いて、空の色を塗るという活動をするとする。
この時、「建物を水平にかかない」「遠くの建物は色をうすくぬる」「空はごくうすく」と3点指導したとする。
その時、評価の対象は、この3点をきちんとできているかである。
「何となく絵がうまい」という感じの印象で評価してはならない。
「図工は芸術教科だから」という声もあるが、学校は指導の場である。
うまけりゃ何でもありを認めていては、指導にならない。
次に、体育の指導を例にすると、バスケやサッカーで「ゲームでよく点をとっていた」という印象だけでA評価だったりする。
実際は、パスの指導を中心にしているのに、ドリブルで一人で切り込んで得点しているという場合も多い。
一人で大活躍すればAというのは、この場合の指導に対する評価として適切とはいえない。
こういったおかしな評価にならないよう、何を指導して、どうなったらA評価なのか、きちんとおさえる必要がある。
常にこの時間は何を指導しているのか、明確に答えられるようにしたい。
2011年5月31日火曜日
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