歩き疲れた1年生をおんぶしてあげる6年生。
ほほえましい光景である。
と、肯定的にとらえるのが、教師以外の一般の方に多いのではないかと思う。(憶測)
この後、どうなったか。
一組このようにおんぶをするペアが出ると、次々に連鎖的に「おんぶして」コールが始まる。
自分もヘロヘロなくせに、無理におんぶしてふらつく6年生。
おんぶしてあげたくても元々その体力がない6年生は、わがままな文句を言われる。
隊列を組んで歩いているのに、止まったり遅くなったりして、列がバラバラになる。
結果、歩道を広がって歩き、列が間延びして横断に支障が出るといった、安全面でも問題な事態となった。
私は、簡単に次のように指導した。
(6年生に)「歩かせて。遠足は歩き抜く体力をつけることも目的だよ。」
(1年生に)「ケガをしてるの?違うよね?自分の足で歩けるなら、歩こう。」
疲れて歩けないとぐずぐず言っていた1年生は、前の自分の位置までかけ足で戻っていった。
余裕の体力である。
そもそも、多くの幼稚園の年長組は、もっと歩かされているのである。
他の子ども達も、ほどなく自分の足で歩きはじめた。
教室に帰ってからは、次のような話をした。
「1年生が言うこときかなかったりわがまま言ったり、ルール破りをして困った人?(多くが手を挙げる)
それを注意した人?(半分以下に減る)
どうして注意できなかったのだろう?
ペアに嫌われるとか思う人もいるかもしれない。
でも、悪いことを悪いときちんと教えてあげるのも、優しさだよ。
おんぶしてあげる優しさもあるけど、歩かせるのも、優しさだよ。」
6年生になれば、模範を示すことが一つの役割になる。
地位が上がれば責任が伴うのだから、言いにくいことも言わねばならない。
そういう体験を通す中で、教師の厳しい注意にも納得のいく心が育つのではないかと思う。
優しいことは大切である。
グラウンドで転んで泣いている1年生を、優しく保健室につれていってあげる上級生。
文句なしに誉めてやっていい。
その場合も優しく「大丈夫?」と抱き起こしいたわるのが母性の優しさ。
「大丈夫。立てるよ。」と声をかけ、励ますのが父性の優しさ。
どちらも、大切な要素だ。
優しさも、時と場合と相手に応じてケースバイケースである。
2011年5月26日木曜日
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