掃除は、汚い所ほどやる意味がある。
トイレ掃除は、その最たる部分である。
そういう話を、1学期の最初の方にする。
教師の側でも、便器を拭いた雑巾は汚くて触りたくないという人が多くいる。
ビニール手袋をして、掃除する人も多い。
日本人は潔癖症だから、それもわかる。
しかし、便器のような汚いものを、素手で掃除すると、自分の中で何かが変わる。
何というか、壁が崩れるのである。
かっこよくいうと、ブレイクスルーである。
誰だって、汚い便器は掃除したくない。
しかし、誰もやりたがらないところを、あえてやる。
そういうところに、自尊心とか公徳心とかが芽生えるのだと思う。
以前紹介したイエローハットの鍵山氏までいかずとも、見習う程度はしたい。
一見、トイレを掃除しているようで、心を掃除している。
そういう風に、前向きに掃除に取り組ませたい。
2011年5月4日水曜日
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