「私は頭が悪いから・・・」
そういう言葉が、子どもの口から出ることがある。
こういう時は、完全に否定する。
頭が悪い訳がない。
特別な事情がない限り、ただ、そこに好き嫌いがあるだけである。
嫌いだから、努力できないのである。
特に、「漢字が苦手」という子どもは、90%以上が「努力不足」である。
自称「漢字が苦手」な子どもには、次のようにたずねる。
「100点とるつもりで努力した?」
「あなたの言う『頭がいい』人より、努力した?」
まあ、努力できないでこうなっているのだから、あまり詰めすぎない。
しかし、きちんと「頭が悪い」訳じゃないと、否定する。
最後は「○○さんなら、絶対できるようになる!」で、締める。
そして、少しの向上を大げさなぐらい誉める。
この繰り返しである。
「頭が悪い」も「頭がいい」「絶対できる!」も、ただの暗示。
ならば、良い暗示をかけてあげたい。
2011年5月15日日曜日
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