教師なら、子どもから必ずこのタイトルのような質問を受ける。
色々答え方はある。
その中の答え方を三つばかり紹介する。
一つは、「大切な存在になる」ということ。
歴史の授業で「米作りの始まり」を教える。
米が作れるということは、猟生活からの脱却であり、食糧の安定につながる。
その時、必要とされるのは「米作りを知っている人間」である。
知識や技術があり、人々を導くことができる人間である。
(ちなみに、これらの人物が最終的にリーダーになり、豪族になっていく。)
人々を救えるリーダーには、知識や技術といった力、加えて人徳が必要である。
社会に出て人々に多く貢献したいならば、そういったことをたくさん勉強する必要がある。
まあ、こういう風に教えるのが一つ。
(間違っても「勝ち組になれ」といった方向に持っていかないこと。
他人のもとで働くことを否定しているのではない。)
もう一つは、「選択肢を増やす」ということ。
将来、なりたい夢があるとする。
この場合、勉強する方向性もはっきりしており、勉強する動機付けも十分である。
「夢に向かって努力せよ」で済む。
逆に、将来何になりたいか分からない場合がある。
それでも、自分が満足できる人生を歩みたいと思うことは、誰でも共通である。
だから、将来どんなことをやりたいと思っても対応できるように、一通りの勉強をしておく。
それが、後で選択肢を増やすことにつながる。
そして何よりも教えたいのは「勉強は楽しいからやる」ということ。
世界中の子どもの「願い」の第1位は、「学校に行って勉強すること」である。
日本の子どもは裕福だから、「新しいゲームが欲しい」といったことが第1位にあがる。
日本では、学校に行って勉強できる幸せは、健康であることのように当たり前すぎて、気付けない。
勉強できることは、幸せなのである。
人間には生来「知識欲」というものがあり、これが満たされると幸せを感じる。
毎日、たくさんのことを知ることができる学校の勉強は、幸せなことのはずである。
だから、勉強できる幸せを存分に味わおう。
そんな風に持って行く。
まだまだ勉強する理由は無数にある。
教師の側が、自信を持って「勉強しよう」と言えるよう、たくさん答えを用意しておきたい。
2011年5月13日金曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿