2011年7月20日水曜日

認める個性、認めない個性

「みんなちがってみんないい」
ご存知金子みすゞの「わたしと小鳥とすずと」の詩の最後の一文。
いい言葉である。
人はそれぞれ違うのだから、違いを認めようと。
まさにその通りで、反論の余地はない。
私に向かって「何でお前はそんな字しか書けないんだ。普通の字を書け。」と言われても、凹むだけである。
他の部分なら、結構いいところもあるのである。
技能に関する面は、個人差を認める前提で、かつ全員が「できる」ように工夫をするのが教師の仕事である。
できない子どもを詰めすぎてもいけない。
どんなに工夫を凝らしても、できない場合もある。
結果的に全員「できる」ようにさせられるなら、それはプロの仕事である。
前号まで水泳の話をしたが、水泳指導において「全員を泳げるようにする」のは、大きなテーマである。

一方で、集団教育においては認めない「個性」があってもいい。
例えば、ルールやマナーを守るという点。
言葉遣い。
それらは、学校教育の場において強制(というより矯正)をしてもいいと思う。
学校の教師に対して横柄な言葉遣いをするようでは、外の社会でも同様のことが起きる。
将来、結果的に困るのは子どもの方である。(ちなみに教師側にとっては何も変わらない。)
だから、そこは強制的に矯正する。
元気がいいだとかおとなしいだとか、個人差はどうでもいい。
やるべきことはやる。
個性を認めつつ、そういう信念を持った姿勢も必要だと思う。

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