テストを考えるシリーズ第三弾。
今日は「テスト隊形」について。
テストの時、隣の答案を見ないように、机を離す。
色んな方向を向かせる。
色々な方法がある。
「テスト隊形だと周りから見られないから安心してテストが受けられる」という子どもの意見がある。
一理ある。
しかし、私はこれが気になる。
前提として、人を疑っているような気がしてならないのである。
だから、私はこういう方法を一切とらない。
普段通りの机の配置で行う。
理由は「隣の答案が見られる状況でも、正しくない行為なので、自分の意志で見ない」という子どもにしたいからである。
仲間を信用できる学級にしたいからである。
もう一つは、それができると教師が信用するからである。
多くの子どもは、その期待を裏切らない。
「周りの人の答案は見ないでね。先生、みんなの実力をきちんと見たいから。」と一言付け加えておく。
まあ、それでも見る子どもは出る。
確実に出る。
ここが、指導のチャンスである。
将来の受験時に同じ失敗をしないよう、ここで正しておく。
後で呼び出して「ここ、見たかな?」などと聞く。
不自然な解答があった場合(算数なら、式がでたらめで答えが正しい場合など)は、言い訳がきかない。
大抵正直に答える。
見てはいけないことを理由を付けて教える。
高学年の場合、受験の時は、これだけで不合格になることも伝える。
見た部分はどこか聞き、×をつけていいねと確認をとって、×にする。
大体、こういう流れで指導する。
色々な意見があると思うが、そういう意図を持って行っている。
それが正しいかどうかは、分からない。
是非、テスト時の隊形を変えるべきだという他の方々の意見もお聞きしたい。
2011年7月12日火曜日
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